mixiユーザー(id:24845727)

2020年08月09日17:16

31 view

彦根城・・・

旅というものは
いろんなものの集大成でもあるんじゃと
ワシは思うんじゃよ

あれは2017年だったろうか
NHKの大河ドラマで「おんな城主 直虎」というのを
やっていた・・・
その前年が「真田丸」だったので
スケールが小さいなと思いながら観ていたのじゃが
話の面白さにだんだん惹き込まれて行ったのサ〜

それはよ〜
今の浜松の井伊谷に在った地方豪族の
「井伊家」の話じゃよ

豪族として生きながらえるためには
これほどまでの紆余曲折と
我慢と苦労が在ったのかよ〜
と思わされたサ・・・

じゃから井伊家のことは
少しは知っているんじゃよ

ワシが今回の旅で選択したのは
JRで行く各駅停車の旅だったので

伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・美濃・近江・・・

と歴史の舞台を辿る旅になっていたんじゃよ〜

なるほど〜三河も尾張も豊かな国じゃわい
京都も近いしよ〜
信長・秀吉(尾張)家康(三河)が天下取りを行えたのも
納得することが出来るというものじゃわい

ワシは今回の旅の最終日は大阪から神奈川県の湯河原町に
帰るだけの7時間半あまりの行程だったので
初めから計画していたことじゃけど
米原の一駅手前の彦根駅で途中下車して
彦根城を見学してきたのじゃよ

この前日に見学してきた松江城と並ぶ
国宝のお城なのじゃよ

ちなみに
国宝のお城というものは現在五つ認定されていて
姫路城 彦根城 松本城 松江城 犬山城 の五城なのじゃよ

やっぱ国宝というのはそれ相応の価値が在るものじゃわいと
見学するたびにワシは思うのじゃよ

ここが松江城と違うところは
国内軍事の要衝にあるということじゃよ
それは秀吉が治めた長浜城
石田三成が治めた佐和山城
と同じ位置関係にある・・・

西国から攻め上がる軍勢や
北陸から攻め上がる軍勢を
防ぐ要になる位置と言えようか・・・

家康に草履とりから使えて
小姓になり
そののち徳川四天王の一人と言われるようになり
関ヶ原の戦いでは先鋒をつとめ
大いなる軍功をあげて
佐和山18万石を与えられた
井伊直政よりここの歴史は始まったようだ〜

直政は佐和山城の具材を使い
新しく彦根に城を作った。
それが今の彦根城なんじゃ
徳川の譜代中の譜代で
軍事の要衝に建てられた平城であるからして
それはそれは立派なものであったぞよ

城の中には栗林公園とか兼六園などに匹敵するような
池を回遊する様な日本庭園や数寄屋造りの茶室などもあり
雅も兼ね備えたものだったんじゃよ

関西にはこんなに身近に
歴史を物語る立派な国宝のお城が在るのに
わざわざ訪ねたことがある人は
意外に少ないのかもしれない・・・

少なくとも修学旅行のコースには
位置的にも含まれようがないからのぉ〜

ではワシが撮ってきた写真を
拝ませて進ぜようかのぉ・・・




1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する