憲さんの日々随筆
「醒酔庵日乗、どーよ!どーなのよ?」
今日のお題
「脳内ユートピア『江戸しぐさ』の真実」
もう30年くらい前だが、憲さんは車の免許を静岡の教習所に合宿で取りに行った。
合宿免許は同期に入学した人たちと「同じ釜の飯」を食うよしみで年齢や性別に関わらず大変親密になり、よく空いた時間などは雑談などして過ごした。
その際、当時出来たばかりの「ディズニーランド」で働いている同世代の男性と知り合い、話を聞いたのだが、彼はディズニーランドについてトクトクとその素晴らしさを話すのだった。
憲さんは当時まだディズニーランドなどは行ったこともなく、その中身は報道等で知るくらいだったが、「園内では持ち込みのオニギリなどの飲食は禁止」という報道に接し、またその理由が「アメリカ発の『おとぎの国』には“オニギリ”などは似つかわしくない」との理由に、「ケッ!何がディズニーランドだよ!オニギリも中で食べられないような、アメリカナイズドされた近代資本主義にまみれたクソランドが!」という論調で、彼と大論争になったことを今でも覚えている。
そんなディズニーランドについて憲さん驚くべき事実を知った。
それは、何とあの東京ディズニーリゾートにおける社員教育で「江戸しぐさ」が利用されているというのである!
ディズニーと江戸しぐさとはこれまた、似てもにつかない関係のようだが、ディズニーリゾートを運営する株式会社オリエンタルランドの社長が江戸しぐさの信奉者らしく、社員教育ではそれを使うのであるが、こんな「江戸しぐさ」なるまがいもので教育されてはディズニーリゾートの従業員もたまったものではあるまい。
偽書「江戸しぐさ」
先日、憲さん「偽書」に凝っているといって『東日流(つがる)外三郡誌』は偽書であることを暴いた本の紹介をしたが、今回もまた、「偽書」の話である。
これは厳密には「書」ではないが、大きくカテゴライズすれば「偽書」にあたるそうだ。
ズバリ「江戸しぐさ」とは「偽書」なのである。
『江戸しぐさの正体−教育をむしばむ偽りの伝統』 (星海社新書)という本を図書館で借りて読んだ。
参考
↓
https://bookmeter.com/books/8190926
この本の著者、原田実氏は歴史研究家であり、特に日本でも数少ない偽史・偽書の専門家である。そして偽書『東日流外三郡誌』事件に際しては、真書派から偽書派に転じ、以降偽書派の急先鋒となり徹底的な追及を行ったことでよく知られている。
そして、その偽書研究家が「江戸しぐさ」は偽書であると断じているのである。
「江戸しぐさ」とは?
では、「江戸しぐさ」とな何か。おさらいしよう。
2004〜5年に公共広告機構(AC)のテレビコマーシャルにこの「江戸しぐさ」が採用されてテレビで連日放映され、また東京メトロのポスターにも鉄道客車内でのマナーを説いたイラストが貼られているのを見た人も多いだろう。
では、その「江戸しぐさ」の中身とは何か?
「江戸しぐさ」の代表には以下の仕草が挙げられる。
「傘かしげ」
「こぶし腰浮かせ」
「時泥棒」
などである。
これらは、江戸っ子の知恵に基づくマナーとして注目され、公共広告機構(AC)のCMに利用されたのである。
そして以降、これらの仕草は江戸時代の歴史に基づいているとされ、道徳教育に適していることから、現在では前出の東京ディズニーリゾートなどの企業研修や学校の授業などにも利用されているという。
しかし、実はこの「江戸しぐさ」まったく偽物の歴史なのである。
それをこの本の著者原田実氏は完膚なきまでに暴いてくれているのだ。
例えば
「傘かしげ」についてだが…
「江戸しぐさ」における「傘かしげ」はこうである。
「雨や雪の日、道路ですれ違うとき、相手も自分も傘を外側に傾けて、一瞬、共有の空間をつくり、さっとすれ違う。お互いの体に雨や雪のしずくがかからないようにするとともに、ぶつかって傘を破らないようにする実利的な意味もふくんでいた。」
これに対して、原田氏はこう反論する。
「和傘と洋傘の構造の違いが一番大きいですね。和傘であれば、かしげるのではなく、すぼめる方が早い。江戸時代においては、傘は大きく広げるよりも、すぼめるように持つのが主流でした。浮世絵などで大きく開いているのは、本当に見栄をきるような、非日常的ポーズとして描かれているからです。実際に歩いている人を描いた当時の絵などを見ると、全部開ききらないように持っている人の方が多い。
また、江戸の家の造りというのは、路地に土間が面していて、大きく外にむけて開いている構造になっているんですよね。その構造のところで、傘かしげをやると、下手をすると、店頭や人の家の台所に水をぶちまけることになってしまう。」
さらに、追加するとそもそも和傘は高級品の上、江戸においては、京都や大阪に比べて和傘の普及が遅れていて、江戸っ子たちは雨具として頭にかぶる笠や簑を使っていたのである。
江戸で傘を差した物同士がすれ違うという状況がそんなにも頻繁にあったようには思えないのである。
「こぶし腰浮かせ」についてはこうである…
そもそも「こぶし浮かせ」とは
「川の渡し場で、乗合舟の客たちが舟の出るのをまっているとき、あとから乗ってきた新しい客のために、腰をかけている先客の2〜3人は、腰の両側にこぶしをついて、(あるいはこぶし分)軽く腰を浮かせ、少しずつ幅を詰めながら、一人分の空間をつくる。…現在、電車やバスでこんなしぐさを見るのはまれになった。」
これについて原田氏は、「(そもそも)江戸時代の渡し船には、座席にあたる構造がない。」とバッサリ。
「渡し船、馬の小便、一大事」という川柳があり、逃げ場がなく狭い舟で、一緒に乗っている馬が小便などしようものなら、一大事で座ってなどいられなかったと解説している。
渡し船は客船というよりは貨物のように人も運ぶ船だったようだ。
「時泥棒」については…
「(江戸時代の不定時法という)複雑なこの時間に合わせて、商人は厳密に行動していたから、突然、押しかけて相手の都合にかかわりなく、勝手に時間を奪う行為は、“時泥棒”といって厳しく禁じられた。(中略)訪ねるときは事前に書き付けを送って了承を得ておくか、アポイントをとっておくのがならわしで、“訪問しぐさ”といった。」
これに対しても原田氏は、「江戸時代、都市の住人は寺の鐘、あるいは夜間なら夜回りの拍子木で時刻を知った。(中略)現代の時計のように厳密なものではない。」「江戸時代の人々はその複雑な時刻制度にどのように対処しながら暮らしていたのか。それはまさに、細かいことは気にしない態度によってであった。」
とバッサリ切り捨てる。
「江戸しぐさ」の胡散臭さ
憲さんもこの「江戸しぐさ」をはじめて聞いたとき、胡散臭さを感じた。
何故か?
憲さんの好きな江戸落語にはこんな「しぐさ」など微塵も登場しないからだ。
そもそも、江戸っ子はこんな行儀のいい人種ではない。もっと無作法でぶっきらぼうである。
それは、生きた歴史資料である江戸落語を聴けばよくわかる。
この、「江戸しぐさ」なるもの、憲さんからみるとどこか京都的ないけすかない臭いがプンプンするのだが…。
しかし、この本の著者、原田実氏は偽書『東日流外三郡誌』の時もそうだが、その追及の手は徹底しており、読んでいて追及されている相手が可哀想になるくらいである。
しかし、そこまで追及するには意味があるのだ。
「江戸しぐさ」の正体
そもそも、この「江戸しぐさ」とはどういう目的で偽造されたのか?
江戸しぐさの淵源は1980年代に芝三光(しばみつあきら)という人物が考えついた江戸っ子の言動や行動パターンである。芝やその継承者がいうには、「江戸時代の町人文化によって形成された生活哲学、行動哲学」であり、それが200年以上続く江戸時代の平和を守る基本になってきたそうである。
しかし、「江戸しぐさ」に関する文献資料が残っていない理由を、「江戸しぐさの伝承者である江戸っ子が明治政府によって大量虐殺されたからだ」と彼らは主張していれのだが、ここまでくるとこの話も荒唐無稽なホラ話であることがあらわとなる。
しかし、ここで憲さん気になるのは、この「江戸しぐさ」の創作者芝三光の思想や史観なのだが、彼が憲さんと同じ反権力であり、反薩長、反明治政府史観なのだ。
ここから、「江戸しぐさ」伝承者の明治政府による大量虐殺説がとびでるのである。
なので、この「江戸しぐさ」信奉者は「歴史というのは、勝者の歴史から残らないんだ」と主張し、「江戸しぐさ」が廃れたとしている。
「歴史は勝者により書かれる」というのはある意味事実ではあるが、それに対する反論はやはり、歴史的事実を対置してなされるべきである。
原田氏は結論としてこうまとめる。
この「江戸しぐさ」は明治以降の誤った日本を否定しようとする芝の反骨の産物であり、その中の「江戸」とは歴史上の「江戸」ではなく、芝の頭のなかにある反現実のユートピアにすぎないものである。
その偽「江戸」の存在は、まさにオカルト的な存在であり、「UFO」の墜落事件以上に有り得ない。そして、それは芝の意向とは裏腹に今では権力側に利用される物と成り果てている。
故に、その歴史の偽造を教育現場には持ち込むべきではなく、教育現場からただちに排除すべきである。
憲さんも同感である。
江戸の歴史と文化、そして江戸っ子の気っ風と行動様式は全て「落語」からまなべるのである。
憲さんもそうだった。
「憲さんの全ては寅さんと落語から学んだ」のである。
学者も騙された!
最後に、この本で知ったビックリエピソードを。
あの、江戸文化の権威、我らが法政大学総長の田中優子氏が「江戸しぐさ」に触れて麗澤大学の講演会でこう語ったそうだ。
麗澤大学のホームページから引用する。
「講演終了後の質疑応答では活発な質問がなされ、田中氏は『江戸しぐさ』を基に補足説明をされました。田中氏は、『”江戸しぐさ”といわれる”傘かしげ”や”こぶし腰浮かせ”などは、相手を思いやる気持ちがないとできない動作です。重要な点は、それらが社会へ出る中で、人間関係の距離感を自然につくりだすという、独自の日本文化であることです』と述べられました。」
出典
↓
https://www.reitaku-u.ac.jp/2013/06/12/32051
このように、科学的思考が求められる学者ですら、この偽書「江戸しぐさ」を好意的に評価してしまったのだ。
(その後、田中氏は「江戸しぐさ」の問題点に気がつき批判している。
https://ji-sedai.jp/series/edoshigusa/013.html)
江戸しぐさはおわりにしよう。
このように、「江戸しぐさ」にせよ「東日流外三郡誌」にせよ、「偽書」の魔力は想像以上なのである。
なので、私たちはこの「江戸しぐさ」なる紛い物に対して警戒心を持つと同時に、こんな紛い物で社員教育をしている会社に対しても無批判であってはならないのだと思う。
あの、「ネズミの国」などがそうであるように…。
どーよっ!
どーなのよっ?
参考
↓
https://lite.blogos.com/article/96470/
https://www.d3b.jp/media/5003
※画像は「傘かしげ」のポスター。
こんなことしないよっ!
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