リバティタワー
千代田区駿河台の明治大学です(母校ではない)。
リバティの由来は分かりませんが、このタワーが建つ駿河台は、かつて文京区の湯島や本郷と一続きの神田山という小山でした。
家康の江戸入府以降、神田山を崩して日比谷入江を埋め立て、神田川を開削。
この過程で神田山は湯島・本郷と切り離されてしまった訳です。
さて
この辺りを通る度に思い出すのは、小学生の頃のこと。
母親の弟である叔父さんが手伝っていた?所属していた?その辺りはよく分かりませんが、何とかいう少年団(笑)の合宿みたいのに参加した事が有りました。
おそらく、昭和50年辺りでしょう。
出来て間も無い船の科学館に行って、バスでこの辺りのなんたらホテルに泊まった筈…
もちろん修学旅行などと同じ、すし詰め状態での宿泊でしたが、あれは何処だったのか。
記憶に有るのは、「駿河台」という地名と、夜(と言っても20時くらいか)にホテルを出てすぐ先に大きな通りが有った事くらい。
山ノ上ホテルならその条件に合いますが、そんな立派な場所でないのは確か(^_^;)))
もちろん、龍名館でもありません。
分かったところでどうだという程ではないですが、今でも駿河台という地名を見る度に思い出してしまうのです。
先日、ネットで調べていると、駿河台ホテルという名前が出てきました。
駿河台ホテル…そう言えばそんな名前だったかも…
そんな場所を知らない頃ですから、地名を覚えていたというより、ホテルの名前で覚えていたと考える方が自然です。
しかし、ネットの中にも駿河台ホテルの情報は殆ど有りません。
現在「駿河台ホテル」で検索すると、出てくるのはそういう名称の不動産会社ばかり。
かろうじて有ったのがこれくらいです。
http://www.daisuki-kanda.com/guide/photostudio/?cno=&no=74
キャプションから考えると、こうした角度で撮っていたよう。
現在はこんな感じ。
この写真の左側に「駿河台ホテル」が有ったのなら、現在大学院などが有る場所がその跡地という事でしょうか。
この立地であれば、エントランスは明大通りに面していそうですが、実は横か裏側にエントランスが有ったのか。
或いは私が裏口から出ていたのか。
であれば、私の微かな記憶と矛盾しません。
更に神保町駅寄りに新駿河台ホテルというのも有ったよう。
こちらもすっかり別の建物となっているのですが、この場所だと私の記憶と合わなさそう…
こうした事から、かつて合宿みたいので泊まったのは、「新」ではない駿河台ホテルであり、その跡地は現在明治大学の一部となった!という可能性が大です。
にしても、この辺りなら古くからの住人もまだかなりいるでしょう。
なんで、これほどネットに情報が少ないのか。
在りし日の駿河台ホテルの写真も見つかりません。
謎は残ります。
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