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2020年06月21日23:15

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凹の側からを思ってみた時に・・・

ワシよ〜
なんかしら思うことが在って

この自然界っというものは
凹と凸の法則で出来ていることが
少なからず在ると思っているんじゃよ

それは全部が全部じゃないよ
一部じゃよ〜
でもそれは厳然として存在して居ると思っているんじゃよ・・

たとえばそれは
動物の雄雌のことだし
人間の男女のことじゃよ

ワシなんかよ〜
言うまでもなく
ポコチン野郎じゃよ

凸の法則に従って
この半生を生きてきたんじゃよ

でもよ〜
時々凹の人生を生きるということは
どういうことじゃろうかと
思いを馳せることもあるんじゃよ・・・

凹ということは
凸を受け入れるということ
やんかよ・・・

それってそういうこと・・・?

想像してみたりするのじゃよ・・・

そうすると
受け入れられる人と
そうでない人とは
厳密に分かれるような気がするのよ・・・

わたくしは
これっと思った
私が認めた殿方ではなくては
頑として
受け入れられません

思うんじゃよ・・・

そうすると
私が身体を許してもよい
と思った殿方は
生涯で3名しかありませんでした
ということにもなるのかもしれないし

女性によっては
男性のほぼ半分が
大体OKっという
大変間口が広い方も
実際にいらっしゃるということになるのだろう・・・

実際に生身で男を
何十年もやっていると
様々な女性に出くわすし
お世話になったりするものなんじゃよ・・・

世の中を
生身で生きていくことは
何でもあり
というのが当たり前と
思っていいのかもしれないし
そうでなければ生きることも
難しくなるのかもしれないサ〜


凹の側からすると
受け入れられる人しか
受け入れませんとういうのが
絶対にあると思うんじゃよ・・・

そう思う時
ワシはあの娘にあのとき受け入れてもらえたんじゃと
あらためて思い
ありがたくうれしいことじゃと
この身の幸せを
あらためて思ったりするんじゃよ・・・

人とというものは
50歳を過ぎると
それまでと違う
老境に差し掛かるんじゃよ

そこで思い返すのは
昔していた恋のことばかりじゃよ

しっかり いっぱいに
恋をしてきた人は
心には豊かな老後を過ごせるというものじゃよ

それが乏しかったら
それなりの老後でしかないのであろうよ・・・

そういうものじゃね

そういうことがだんだん分かってくるのが
50歳以降を過ごす人生なんじゃよ・・・




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