『大切な人たち』
不要不急の外出ができないという、
自粛生活が続く中、
みんなストレスを溜めています。
こういう時、見方を変えるって、
大切な事なのかと思います。
この望まない状況だからこそ、
普段味わえない気持ちを体験できている、
という捉え方もできます。
例えば、
家にいる時間が多い分、
家族と共に過ごす時間が多くなります。
なので、家族のかけがえのなさを、
改めて味わい知る機会を頂いている、
と思う事もできます。
誰かと寄り添う機会を作りにくい分、
今寄り添う事の出来る人たちが、
とても貴重な存在なのだと、
今更ながら、気づかされます。
今、一緒に過ごせる人がいるって、
当たり前の事じゃないなと思います。
しかし、そういう中にあって、
誰とも寄り添えない、
という人もいるかもしれません。
地域が地域としての機能を失い、
家族が分断され、
孤立している人が多いのが、
今の時代の現実かもしれません。
そういう社会の現状の中で、
声を出して言いたい。
どうか、日本全国のキリスト教会が、
誰にでも開かれたコミュニティーとして、
用いられてほしいです。
教会はだれにでも開かれていて、
神様を中心とした、
人と人との家族的なつながりが、
そこに形作られています。
そして、どんな人も分け隔てなく、
互いに励まし合い、慰め合い、
喜ぶ人とともに喜び、悲しむ人とともに悲しむ、
という事の出来る場所です。
自粛要請の続く中、
営業を続ける飲食店や感染者に対して、
行き過ぎたバッシングをする人たちが増えて、
話題になっています。
正義中毒という言葉を、
今週聞きました。
正義の名のもとに、他人を批判するという事で、
脳の中枢神経が刺激されて、
快楽ホルモンが分泌するのだそうです。
しかし、それは、気持ちの盛り上げ方として、
健康的な方法ではないと思います。
むしろ、大切な人たちとの家族的な関係の中で、
お互いに存在を喜び合い、認め合い、
それで快楽ホルモンが分泌された方が、
よほど健康的ではないでしょうか。
是非最寄りのキリスト教会にご連絡ください。
新しい出会いがあると思います。
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