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2020年03月04日04:29

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7年前の3月2日

FACEBOOKの昨日『過去のこの日』。7年前の3月2日の日記。文章までよーく覚えてる。この『どうぞ』の女の子のことは2日前にも思い出していた。プロテスタントだった。おれの嗜好は変わってない。グアテマラ。

昨日の夜はとんかつと揚げ出し豆腐とお茶
(別料金)をオーダーした。「お茶を先に」
と頼んだ。レストラン外の低いテーブルの
前に座ってPCを開いていた。初めて見る娘
がお盆に急須と茶碗をのせこちらに近づい
てくるのは視界に入っていた。背筋を伸ば
しているとか、姿勢がいいもあるけんど、
ゆっくりとした端正さ(端正よりもっと的
確な言葉があると思うが)で歩いて来た。
おれの目はPCの方を向いていた。そばに来
ると娘は軽く上体を曲げ、日本語で『お茶
ですね』と言ったように思う。「お茶」は
ハッキリ聞こえたが「ね」に関しては自信
がない。おれが肯定的に顔を上げて彼女を
見上げると、『どうぞ』と言った。

声は低く小さいが、こんな『どうぞ』は過
去言われたことはないし、聞いた覚えもな
いように思う。一切の侠雑物のない混じり
気なしの『どうぞ』だった。
品がある。おれが品を持ち出すと反発する
のが約2名いたが品は気持ちがいい。
過去のその手の女優を思い出してみたが、
原節子は微笑とセットだし学習があるよう
に思う。吉永小百合はお茶目が入るかな。
若い人では思いつかん。
日常では行き過ぎのホスピタリティーの
『どうぞ』から嫌味な『どうぞ』まで色々
ある。あの娘は日本人の『どうぞ』の使わ
れ方を知らないだろう。だから言外の感情
が入らなかったのかな。わからん。
表情に笑みはなかったが穏やかな仏像っぽ
い感じがした。品も仏教用語と聞いたこと
があるがよく知らん。

無信心者の日本人が東南アジアを旅すると
「自分も仏教の影響下にあるのかな?」と
言う人がいる。おれもその1人だ。

沖縄で浄土真宗の布教使の人と2日同宿だ
った。いい機会と色々質問したがもう覚え
てない。おれが『私が死んだら骨なんぞそ
の辺に捨ててもらってけっこう』と言った
ら、『それがお釈迦さんです』と言われ、
『おれ、お釈迦さんか』という日記で色々
とその人のこと書いたはずなんだが探せな
い。とにかく柔らかいポジティブな人だっ
た。で、浄土教のこともちょっと調べたん
だがもう忘れた。

京都の銀閣寺のそばに居た頃、近くに法然
院というお寺があった。谷崎潤一郎や九鬼
周造のお墓があるんでホント暇つぶしで行
ったら田宮二郎のお墓があった。京都人だ
ったんだな。映画『悪名』のモートルの貞
は凄かった。で、そこに阿満利麿さんが東
京新聞に書いた記事の配布用のコピーがあ
った。バックパックに入れたままだったん
でまた読んだ。
仏教ではある時期まで、修行も出来ない、
劣った人間のことを『凡夫』と言ってた
そうだ。『聖人』の反対語だったらしい。
だが、またある時期から、欲望、とくに自
己愛から解放されることは人間には不可能
だということになり、聖人、凡夫の区別が
なくなった。その凡夫のための仏教として
浄土仏教が提唱され、その旗手が法然だっ
たそうだ。
凡夫、まあアホです。お互いアホな存在と
思ってりゃあ、一方が絶対正義で他方が悪
だというレッテル貼りは出来ん。
阿満さんは大阪の漫才を例にあげ、大阪に
は浄土宗が深く根付いていると言う。

随分前だが五木寛之の新刊の広告が新聞に
出た。『大阪は浄土仏教のメッカだ』みた
いなキャッチ・コピーで、大阪にもけっこ
う住んだおれだが?だった。でも大阪はア
ホの宝庫だ。上記を読んでそうだったのか
と腑に落ちた。

この後、冒頭の娘とラオスの娘の類似点に
触れ、若原さんの、ラオスの織物とマヤの
織物の共通点などから地殻変動の時期に対
する疑義とプロテスタント(冒頭の娘)の
倫理との経験的共通項を書こうと思ってた
んだが、知識がないし、堪え性がない。
ああしんど。

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