2月28日、上映初日に鑑賞。客は8人ほど。
終映後、シアターから出た中年女性の二人連れが
「うわーっ、凄かったーっ!」「良かったねぇーっ!」と興奮して叫んでいた。
チケットが即日完売した昨年12月の舞台を
早ばやとシネマで観られたのはラッキーと私も満足した。
特等席のアングル、要所はクローズアップ、幕間はさくさくスキップ。
チケットは取りやすく、日程も選べ、料金は通しで前売8,000円(舞台は34,000円)。
生で観た方も、シネマで観直せば新たな発見がたくさんあると思う。
前編の感想日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974814037&owner_id=1833905
資料アルバム「ナウシカ歌舞伎」
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000106690049&owner_id=1833905
公式
https://www.kabuki-bito.jp/news/5982/
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/shinbashi/play/604/
原作
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?&oldid=76387255
松竹の予告編は非公開になった。代わりにディズニーの動画がアップされている。
後編は四幕目『大海嘯』、五幕目『巨神兵の覚醒』、大詰『シュワの墓所の秘密』。
前編前半を序幕(=アニメ版の内容)だけで使い切ってしまったシワ寄せで、
後編は大事なところをあちこち端折っていた様子。予習なしで見てもわかる。
後編の方が圧倒的に深くて面白い内容だったのに!
全体の時間配分がイマイチで残念だった。
活劇が中心だった前編に対し、後編は人間心理と哲学に物語の力点がある。
優秀な弟(ミラルパ)を恨む日陰者の兄(ナムリス)。
身を投げ出して守ってくれた母を慕う、孤独な娘(クシャナ)。
そして、母に愛されなかった娘(ナウシカ)の、常軌を逸した代償行動。
優秀な女(クシャナ)を憎み、排斥する男たち。
恐れと憎しみは果てしない争いを生み続けること。
それらを手放し、愛に生きるしか人間の未来はないこと。
人間の手で生命をコントロールすることの傲慢さや危険性。
清浄のみを追求し一切の汚濁を認めない思想の恐ろしさ。
生命の光は陰から生まれ、やがて陰へと還っていくもの。
だから、苦しみや悲しみ、死もまた「人間の一部」だと肯定すべきこと。
我々はどんなに辛くても前を向いて生きていくしかないこと。
あらゆる命は醜いも美しいもなく、等しく尊いこと。
人間が汚し破壊し尽くした自然が蘇るには、千年もの時を要すること。
これだけのメッセージを含む物語を、4時間弱で上演するとは無謀な挑戦だ。
役者と裏方が力を合わせ、何とか最後までやり遂げたのは快挙といえる。
コロナ禍で世界が混迷する現状と作品世界が重なり、心に響いた。
そう。 どんなに辛くても、手を取り合って生きねば。
舞台美術は前編と比べるとシンプル。
だが、大小のセリとプロジェクションマッピングを巧みに駆使する演出が功を奏し、
決して見劣りはしなかった。
冒頭、口上の道化が登場人物たちをテンポよく紹介していき、出揃ったところで回り舞台が作動。脇役たちは消え、入れ替わりでナウシカ登場。闇の中でピンスポットを浴びたナウシカがすっくと立つ頭上に、鈴木敏夫筆のタイトルが白文字でドーン!
前編の時と同様、画が決まった瞬間、感動して思わず拍手した。
その他、蘇った巨神兵の体が不気味に拍動するプロジェクションマッピングの演出は見事だった。また、大海嘯で土鬼に集結した王蟲たちを猛毒の粘菌が飲み込み、舞台全体を死の胞子が静かに覆い尽くしていゆく前半ラストも、幻想的で美しかった。
後編前半のクライマックスは、「蟲の大群に飲み込まれるクシャナ一行」のシーン。
前編では「錦絵から飛び出してきた烈女」「頭も刀もめっぽう切れる女武者」
「血塗られた白き魔女」「統率力抜群で敵には冷酷な和製オスカル・フランソワ」
「女シャア・アズナブル/歌舞伎バージョン」
といったキャラだったトルメキア皇女クシャナが、人間らしい弱さを露呈する。
短いが、後編屈指の名場面だった。
トルメキアと覇権を争う土鬼(ドルク)では、生物兵器として開発した粘菌が暴走。
粘菌が発する瘴気を無毒化する蟲たちは、土鬼をめざして大集結した。(大海嘯)
土鬼から逃走を図るトルメキア第3皇子の船を奪おうとしたクシャナは、思いがけず
卑劣な兄から実母の消息を聞かされる。
大切な母は、クシャナを守るため、かつて娘の身代わりに毒を食らったのだった。
「気が狂ったあの女は、軟禁部屋の隅で人形を抱き、子守唄を歌っておるわ!嘲笑」
その場は激怒を押し留めて対処したクシャナだったが、部下と共に逃げ遅れ、
蟲の大群に飲み込まれてしまった。逃げた第3皇子は蟲にやられて死んだ。
「皆、身を沈めて決して動くな!」的確に指示を出し、手負いの部下・クロトワを
かばってうずくまったクシャナは、蟲の嵐にひたすら耐えるうち、頭が真っ白に。
これまでにない虚ろな表情で、クシャナは我知らず、昔聞いた子守唄を歌い始めた。
(「らん らんらららんらんらん らん らんらららん」と子供が歌う例のメロディ)
陰鬱な声で振り絞るように歌うクシャナの姿は弱々しく、哀れを誘い切なかった。
(エコーがかかった七之助の歌声は、驚くほど玉三郎に似ていた!)
(だんだん音程がずれていく感じが、壊れそうな心を巧みに表していた)
人に弱みを見せず、必死に戦うことで生き抜いてきた彼女にも、生身の心があった。
誰より聡明で能力も高いのに、ただ女であるがゆえ、父と兄達から命を狙われた。
この世でたった1人の味方だった最愛の母は、自分のせいで生ける屍にされた。
お母さまーー。
極限状態で最後に残ったものは、恐れでも憎しみでもなく、母への思慕だった。
やがて蟲達は去り、クシャナ一行は探しにきたナウシカ達と再会した。
そして、「蟲たちは人間の恐れや怒りに反応して攻撃行動をとる習性」と聞かされ、
皇女は自らが助かった理由に気づく。
「そうか。あのとき、わらわの心の中には何もなかったーー」と。
解説するとこれだけの文章量になるが、実際は七之助の顔のアップと歌声の表現力で
複雑な心情のニュアンスまで観客に伝わったのだから「ブラボー!」の一言だ。
他のシーンでも、七之助の名演技は光っていた。
べらべら台詞で説明しなくても、わずかな表情や仕草で
クシャナの人間性や心情が見事に伝わってきて、強く印象に残った。
まるで北島マヤだわと思った。
たとえば、弟を殺して帝位についたナムリスから持ちかけられた政略婚を
クールに承諾したものの、肩に回された手を払いのける仕草のニュアンスで
クシャナの潔癖な処女性が見て取れた。
部下の配慮に対し、ちらっと目をやりながら左の唇の端を少し上げてみせるだけで
(そうだな、よろしく頼む)という労いが聞こえるようだった。
クシャナが部下の信頼が厚いリーダーであることは前編から多々示されてきたが、
こうした人間味も慕われる理由の1つだなと発見した。
マニ族の仇とケチャらに襲われた際、
「やはりわらわは血塗られた道を往くしかないのか!」と刀を抜きかけたのを
ユパに仲裁されると「この刀(わらわの命)をそちに預ける」と潔く非道を認め、
刀をしまうよう促されると神妙に従う、といった心情変化も自然で良かった。
土鬼の女達に毒を盛られそうになった場面では、ただ寂しそうに佇んでいた。
ペジテ市を殲滅し、マニ族や土鬼の民を殺した罪を悔いているのが分かった。
死にゆく父王に手を差し伸べられ、一度は怯えたように手を引っ込めるものの
思い直しておずおずと手を握りなおすシーンは「赦し」「和解」を象徴していた。
一方、鎧に身を包み、紫のマントに風をはらんで花道から堂々と登場する場面では
ただ歩いているだけなのに高貴な威厳と眩い強さで周りを圧倒する風格を示した。
それもこれも、クローズアップ映像のおかげで隅々まで堪能できた。
(ど近眼の客にとってシネマ歌舞伎は本当にありがたい)
そう、クシャナは強面一辺倒ではない。部下や民の命を守ろうと常に考えていた。
(仲間や蟲の命を懸命に守ろうとするナウシカと同様に)
心が綺麗で情も厚い。
深い傷つきを心に秘め、内外の敵と戦いながら懸命に生きてきたのだ。
実は健気な「白き魔女」に、私は深く感情移入した。
前編(昼の部)に比べて、クシャナの出番や台詞の数は減ったにも関わらず、
キャラは複雑な奥行きとドラマチックな魅力を増していたことは注目に値する。
「ポスト玉三郎」はやっぱり七之助で決まりかな。
クシャナと全く対照的だったのは、主役のナウシカ(菊之助)。
出ずっぱりだった割に、心にグッと刺さったシーンはほとんど思い出せない。
決して落第点ではないが、私はずっと「コレジャナイ感」を抱きながら観ていた。
はっきり言って、これは致命的問題だ。
戦ったり、探求したり、いろいろ忙しかったのは覚えているが、印象は薄い。
芝居も踊りも端正で安定感があるし、セリフもやたら多かったのに。
「腐海の謎を解明し、世界と生命の真実に到達する」SFと哲学がミックスした
難しいテーマは、ひたすら言葉で提示するしかない。菊之助は頑張っていた。
それはよく分かるが、難解なテーマをこなすことに気を取られるあまり
ナウシカの人物像が掘り下げられなかったのは残念至極。
菊之助のナウシカは「ステレオタイプな才色兼備の姫/優しい優等生」だった。
ある一点を除いては。
それなのに、出会う男達はみんな、ナウシカにメロメロ〜! 説得力がない。
これも「ステレオタイプなご都合主義」と感じる理由だった。
なぜ男たちは聖女タイプに弱いんだろう??なんでや??爆 と興ざめた。
「生意気な女と賢い女は大嫌いだ」と公言し、実子であるクシャナを殺そうとまでしていたトルメキア王が、「生意気で賢い」ナウシカを最初から気に入るという展開は、特に腑に落ちなかった。
結局、女の価値は「優しい雰囲気」なの? 腹立つなー。
前編に比べると、後編では真実を求めて断固戦う強さも徐々に出てくるが、
基本的にナウシカは「優しさ」を前面に押し出したキャラだ。人間臭さは薄い。
女の目から見て、優等生ナウシカは悪くはないが、少々つまらなかった。
森の人・セルムといい雰囲気かと思ったら、あっさり振っちゃうし。わからん。
「人間・ナウシカ」には共感しにくかった。
どんどん人間味を増していくクシャナとは対照的だった。
正直、役の魅力という点で、菊之助は七之助に食われちゃった感がある。
(はえーっ!)と驚いたのは、巨神兵をいきなり「わが子」にしちゃう展開。
「私はあなたの気持ちがわかる。悲しいのね」…シュールすぎて意味不明だった。
王蟲大好きな姫だからグロい巨神兵もへっちゃら、むしろ「可愛い」って感覚、
普通の女にはついていけない。アブなさすら感じる。爆
のちに、古代の御堂の上人が語った謎解きも、こじつけっぽく聞こえた。
「母から愛されなかった心の穴を、巨神兵の母となり愛することで埋める」ねぇ。
心理学の本にありそうな話ではあるけれど、伏線なしで唐突だから面食らう。
(孤独な影を纏うクシャナには辛い過去が…という話は腑に落ちたが)
こんな訳で、「ナウシカに感情移入する」のはちょっと難しかった。
名科白もいっぱい言っていたが、右から左に、さらーっと流れてしまった。爆
ミラルパとナムリス、正反対の兄弟のキャラを見事に演じ分けた巳之助は
やはり上手いなと思った。彼の芝居は迫力があるというか、ドスが効いている。
知盛入水(大物浦の見せ場、背面ダイブ)を模したナムリスの絶命シーンは見どころ。
ついでに、後編の見どころをいくつか記録しておく。
後半のクライマックス、墓の中で繰り広げられる墓の主と巨神兵の対決シーン。
石橋物(鏡獅子)のスタイルをとりながら「煙草工場の喧嘩@カルメン」「不良グループの対決@ウエストサイド物語」「ベジャールのボレロ」を想起させる振付が面白かった。
毛振り対決は巨神兵(尾上右近)の勝ち。目を見張る運動量に若さを感じた。
ゼイハアだった墓の主の精(中村歌昇)はお疲れ!笑
モブの動きは紅白ともに素晴らしかった。壁がぶっ返って鬼になる演出はクール。
娘道成寺と鷺娘をミックスしたナウシカの踊りは、まさしく古典の王道。
良くも悪くも、ナウシカは「古典的な姫」の枠に収まっている。
ユパの階段落ちは、頭から突っ込む勇気はすごいが、ケガへの配慮か3段ほど。
舞台装置がシンプルな分、衣装デザインの見事さは際立った。
特に道化の衣装とメイクは、登場した瞬間「シルクドソレイユか!」と驚くほど素晴らしかった。クシャナの豪華な衣装もバリエーション豊富で楽しめた。
余談だが、鱗柄という名の所以を発見した。
クシャナとその部下、トルメキア王など「濃色と箔のコンビ」の衣装で激しく動くと
遠目には鱗みたいにキラキラ光って見える。これぞ目から鱗!笑
ナウシカの衣装は引き抜きで工夫されていたが、基本的にデザインはシンプル。
原作のイメージを大切にしたためか、主役にしては地味な拵えだ。
青き股引が露わな足元はしっかり内股。これは珍しい。汐汲でさえ裾を引くのだから。
立役(セルム)よりも長身なのをカバーすべく膝を屈めているのもよく分かった。
(玉三郎は若い頃、観客に長身を笑われて以降、立役と背丈を合わせてきた)
座長の菊之助は、親譲りの麗しい目と柔らかな美声を持ち、踊りも上手い。
梨園トップクラスの正統派プリンス、上品な御曹司だ。
ただ、なぜだか親父殿と違い(笑)カッチリ真面目な優等生だなぁ…。
彼のナウシカを見てそう感じた。
ま、そのくらいの真面目さと情熱がなければ
5年も費やして『ナウシカ』全巻を「古典歌舞伎」化なんて、できなかったと思う。
ともあれ、非常に面白い作品を見せてもらった。
ここまでこだわり抜かなくても良いから、また新作にチャレンジしてほしい。
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=1833905&id=4919328
【INDEX】歌舞伎/舞台/映画 関連日記
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