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2020年02月13日05:42

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化学の基礎を築いた天才

アイザック・ニュートンは「リンゴが木の枝から落ちるのを見て、引力を発見した人」として、知っている人は多いでしょう。しかし、ニュートンが発見したのは引力だけではありません。物体がどういう法則の基に動くのかを発見したのも、光のなぞを解き明かしたのもニュートンでした。

どれも、300年以上たった今も価値を失わず、化学の基本法則となっています。しかも、それらを、ニュートンは誰に教わることもなく、誰と協力することもなく、たった一人で成し遂げたのです。アイザック・ニュートンは、1642年のクリスマスの日に、イギリスのウールソープで、一人息子として生まれました。

首都ロンドンのあるこの村で、父親は小さな農場を営んでいましたが、ニュートンが生まれる3カ月前に亡くなっていました。母親も、ニュートンが3歳の頃、再婚して家を出ていきましたので、幼いニュートンは祖母と二人で暮らすことになりました。6歳になると、ニュートンは学校に通い始めました。家庭でやっている塾のようなものでした。

ここで習う科目は、読み書き・算数だけなので、ニュートンには退屈でした。学校のみんなはニュートンを馬鹿にするので、友達は一人もできませんでした。けれども、ニュートンは全然気にしませんでした。家に帰れば、自分一人の楽しい時間が待っているからです。

ニュートンの部屋には、のこぎり、かんな、かなづち、のみなど、祖母にねだって買ってもらった大工道具がそろっていました。それらの道具を使って工作をするのか、なによりの楽しみでした。そんなニュートンの様子を、祖母は家畜の世話、畑仕事に家事と、忙しく働きながら、かわいい孫が今何をしているか、目を配ることを忘れなかったのです。

このときは、庭の大きな石をのみで何日もこつこつ削って、日時計をつくっていたのでした。感心して日時計に見とれてしまった祖母は、この孫が学校では馬鹿にされているとは思いもよりませんでした。11歳になると、ニュートンは、学校に入学しました。電車もバスもない時代のことなので、町の薬屋の2階に下宿して通学しました。

学校でも、ニュートンに友達はできませんでした。また、作る気もありませんでした。学校の授業はぼんやり聞き流し、下宿の部屋に戻ると、ひとりで大好きな工作に熱中します。また、この頃、ニュートンは化学の本をよく読むようになりました。薬屋の主人がたくさん持っていたからです。それらの本を片端から借りて読んでいきました。

そのうちに、ニュートンの頭の中にどんどん科学の知識が貯まってきました。本に書いてあることが本当かどうかを確かめようと、実験をするようにもなりました。学校を卒業すると、ニュートンは名門ケンブリッジ大学に進みました。1661年、18歳の時でした。

家が貧しかったので、授業料ははらわなくてよいのですが、大学の寮に住んで、金持ちの学生の身の回りの世話をしなければなりません。そんな生活の中で、ニュートンは、寝る間も惜しんで自分の時間をつくり、化学の本を読み、実験を重ねました。しかし、その頃、ロンドンで伝染病のベストが大流行し、その勢いはケンブリッジにもおよんできました。

1665年8月、とうとう大学は閉じられました。しかたなく、ニュートンは故郷のウールソープに帰りました。たっぷりできた自由な時間に、目に見えるものすべてについて、思う存分想像の羽を広げると、様々なアイデアが、泉のように、次から次にわいてくるのでした。一つ目の大発見は、光についてのものでした。

「アリストレスは太陽の白い光は単純で混じりけがない』と言っているけど、本当だろうか?」そこで、日光をプリズムに通す実験をしてみると、光は七色に分かれました。その七色に分かれた光をもう一度プリズムに通すと、元の白い光に戻りました。この実験で、白い光は決して単純ではなく、七色が混じってできている事が、初めて証明されたのです。

二つ目の大発見は「万有引力の法則」です。あるとき、リンゴの実が木から落ちるのを見ました。「引力」の発見でした。しかし、実はここからがニュートンのすごいところなのです。空を見上げると、昼間の白い月が出ていました。「月はどうして地球に引っ張られて落ちてこないのだろう?」ニュートンは考え続けました。そしてついに答えを見つけました。

「そうか!月も落ちているのだ!」ガリレオ・ガリレイは、本の中で、物体は外から何かの力を受けない限りまっすぐ動くといっていました。月も何も力を受けなければ、まっすぐ進んでどこかへ行ってしまうはずです。でも、月は地球の周りをぐるぐる回り続けています。月が地球に引っ張られている何よりの証拠だとニュートンは気づいたのです。

つまり、月はまっすぐ進もうとするのだけれど、地球が引っ張るので、横に少し進んでは、下に少し落ちるのだとわかったのです。「地球が太陽の周りをまわるのも、太陽の引力を受けているからだ。」ニュートンは一個のリンゴの実から想像を膨らませ、「宇宙のすべての物体は引力を持っている」という法則にまで高めてしまったのでした。

さらにニュートンは、物体の動きについての法則を発見し、「運動の三法則」としてまとめました。第一法則「物体に力が加わらなければ、動いている物体は同じ速さでまっすぐ動き始める。止まっている物体は止まり続けている。第二法則「物体に力が加わると、ちょうど同じ大きさの力を、その物体から受ける。」というものです。

これらの大学発見がすべて、ニュートンという20歳そこそこの一人の若者によって、1665年8月から1668年初めまでの、わずか一年半という短期間になされたのは、驚くべきことでした。それで、この期間のことを人々は「驚異の一年半」と呼び、ニュートン自身も、独創力の面で、生涯最高の時といっています。

それからまもなくして、ニュートンは26歳の若さでケンブリッジ大学の教授になり、32年間勤めあげました。1687年には、驚異の一年半の成果をまとめた「プリンキピア」を出版。晩年は国会議員や造幣局長官としても活躍し、1727年3月20日、84歳で天才の生涯を終えました。

若い頃、孤独に過ごしたニュートンでしたが、人生の大半は人々の尊敬の的となり、今も世界中の人々に尊敬され続けています。ニュートンより100年遅れて世に出たフランスの学者グランジュは、うらやましさの中にも尊敬を込めてこう言いました。「ニュートンは今までに生まれた天才の中でも、もっとも偉大で、最も幸運な人だ。ただ一つしかない宇宙の法則を発見したのだから。」

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