昨日、奈良県立橿原考古学研究所は、
奈良県桜井市の前方後円墳の箸墓古墳の内部構造を探るため、
物質を透過する素粒子「ミューオン」を用いた探査を始めたと発表しました。
この古墳は宮内庁が孝霊天皇の皇女の墓として立ち入りを禁止し、
調査はほとんどできていません。
探査では石室の可能性がある空洞があるかどうかや、
その位置や方向、規模などを調べるとの事です。
ミューオン探査は宇宙線から生じる素粒子の一種を利用し、
物体の内部をエックス線写真のように写し出す方法で、
エジプトのピラミッドの内部を透視し、巨大な空間がある事を見付けています。
箸墓古墳は、実際の被葬者は明らかでありませんが、
宮内庁は、「大市墓」として、第7代孝霊天皇皇女の
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定しています。
このため、科学的な研究が全くなされていませんでしたが、
古墳を透視するならば、古墳に直接触れずに済みますから、
宮内庁も認めたのだと思います。
箸墓古墳は、古墳の中でも最古級と考えられていて、
築造時期は一応3世紀後半とされています。
邪馬台国の卑弥呼の死亡時期が242年〜248年とされている事から、
卑弥呼の墓ではないかとの説もあり、
今回の橿原考古学研究所の発表の報道でも「卑弥呼の墓」との表現もありました。
僕は、それはどうかなと思っていますが。
非常に言いづらい名前の倭迹迹日百襲姫命ですが、これは日本書紀の表記で、
古事記では「夜麻登登母母曽毘売」です。
父親とされる孝霊天皇は古事記や日本書紀に載っているだけの天皇で、
実在してはいないとするのが定説です。
倭迹迹日百襲姫命に関しては伝説があります。
彼女は大物主神の妻となりますが、
大物主神は夜に来るだけで、昼に姿は見せませんでした。
彼女が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れ、
百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまいました。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、
箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られたとするものです。
このため、この墓を「箸墓」と呼んでいます。
なお、箸は7世紀以降から支配層で一般的に使用されるようになったとされています。
今回、箸墓の透視による調査によって、
棺を納めた石室の位置などが明らかになれば、古墳の研究が進むと思います。
考古学でも、従来の実際の発掘とは異なる、
最新の技術を使うようになったと驚いていますが、
上手く行くと良いと思っています。
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