mixiユーザー(id:3835843)

2019年12月23日06:45

136 view

村上春樹と司馬遼太郎

ノモンハン事件の本を読んでいますが、ふと二人の有名作家のことを考えました。
真珠湾攻撃に比べ影の薄いノモンハン事件(事件というよりも戦争です)ですが、満州とモンゴル国境での日ソ激突に対する対応の違いはある意味太平洋戦争の帰趨を決しました。情報の軽視、兵力の逐次投入、軍中央と現場の考えのずれ、兵站の無視、装備よりも精神論などなど、これらの教訓を行かせないまま戦争に突き進みました。

坂の上の雲を書いて国民的作家となったあとに司馬さんが書こうとしたのがノモンハン事件でした。
10年近くの歳月を投じて資料を集め、人に会い、調べ続けました。でも結局かけませんでした。
調べれば調べるほど「日本人であることが嫌になった」と語り、断筆してしまいました。
『ノモンハン事件は日本人の骨髄の中の病巣となって眠っているように思う。気づかぬ人には何でもないが、気づく人にだけ痛みを発信します』

一方で村上春樹さん。
ねじまき鳥クロニクルや辺境・近境でノモンハンを感じさせます。
小学校のとき手にした本でノモンハンの写真を目にしたときに、どういうわけかその情景が頭の中に焼き付いたと述べています。
『僕らは民主国家の中で人間として基本的な権利を保証されていきているのだと信じている。でもそうなのだろうか?表面を一皮むけばそこには以前と同じような密閉された国家組織なり理念が脈々と息づいているのではないか』

兵站の差がわかっていながら関東軍の暴走を許した参謀本部、ちゃんとした戦況を報じず、辻政信をはじめ事件の首謀者を罰することもせずうやむやに。誰も責任を取らないまま記憶の彼方に消し去ろうとした戦争指導者たち。
80年近くたってもほとんど変わっていません。

現在のノモンハンは特別立ち入り禁止区域で外国人の立ち入りが厳しく制限されています。
でもナスカの地上絵のごとく掘られた塹壕はそのままです。
ソ連軍の戦車を始め戦争の傷跡も数多く残っています。
日本の陸軍が使っていた三八式歩兵銃の薬莢も数多く転がっています。
残っているのものから読み解くことができるのは装備の差。
精神論だけで戦争に勝てるわけではないのに、陸軍上層部は何を考えていたんでしょうか。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年12月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記