オカンが千葉に行って一週間が過ぎましたが、一人暮らしも明日で終了です。
あと一週間戦争が続いたら特攻で散った命は、大正・昭和・平成・令和と生き抜きましたが、ついに93歳で力尽きてしまいました。
義父母が2013年にリフォレに来られたときは、毎日朝夕の散歩が一番の楽しみでなかなか帰ってきませんでした。3年後には落ちている木の枝をぼっこがわりにつくようになり、やがて杖が必要になり、この春は敷地を歩くのもままならなくなりました。
病院などの関係もあり、千葉の義姉が引き取ったのは今年の4月。リフォレからの移動は大ミッションでした。しかし父は施設、母は病院の別居がいけなかったのか衰え激しく、肺炎で年の瀬にお亡くなりになりました。
生まれ育った瀬戸内海の直島から北海道の美幌に連れてこられての厳しすぎる飛行機訓練。暴力が支配する軍での生活。不足する炭鉱労働者解消のために自分の意志とは関係なく連れてこられた朝鮮の人たちの悲哀など戦争の理不尽さをいろいろと教えてもらいました。
今月アウシュビッツを訪れて、「終わることのない責任」とコメントしたメルケルを始めドイツの指導者たちは今もこれからも過去と向き合います。一方で日本の指導者たちは都合の悪い過去を忘れようとします。この違いは国民性ではどうも片付けられないと思うのですが。
やがて戦争体験者がいなくなるかと思うと背筋が寒くなりますが、そのころ日本はどんな国になっているのでしょうか。
なお今年は早々と賀状を出してしまいましたが、リフォレの賀状は近況報告を兼ねたものですのでどうかご笑納ください。
ログインしてコメントを確認・投稿する