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2019年12月05日16:21

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エッセイ集573:「読解力・作文力を考える」

<読解力・作文力を考える>
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国際的な調査によると、日本の学生の読解力・作文力のレベルが大幅に低下したと言われています。最近流行りの言葉でいうと特に「論理国語」の能力の低下ということになります。

人間の文明は良きにつけ悪しきにつけ、その「概念的な思考力」の発達によって進展してきました。

例えば、一万円札は食べてもまずいし燃やしても大して熱を発生しない小さな紙きれですが、それを重宝にするのは、一万円札の役割を概念的に理解しているからです。

この「概念的な思考力」は、強いて言えば「理系的な発想力」であり、感じたことや複雑なことを系統的に整理して表現する力であり、さらにその概念を皆で共有すると同時に、その概念をさらに洗練させるのには不可欠なものです。

読解力のレベルの大幅な低下にはラインやツイッターなどのSNSの悪影響が指摘されていますが、上記の観点から考えるとそれは単に読解力のレベルの低下といういわゆる「文系学科」の低下にとどまらず「理系的な発想力」の低下という深刻な事態なのかも知れません。

なお同調査によると中国の主要都市の学生のレベルが一番高かったようです。

これは個人的見解ですが、日本国内の学力テストでかつてあったように中国の調査結果には「調査の不正」や「サンプリングの偏り」があったか、あるいは「中国語の構造的欠陥(下注*参照)による単純化」に由来するもように思われ、いずれにしても「中国あるいは中国語の抱える大きな問題」を表しているようにも感じています。

またひょっとすると現在の米中対立は、少なくともその一部は、ツイッター依存のトランプと中国語の習近平という図式に根差しているのかも知れません。
(本文おわり)
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注記:
<中国語特有の構造的欠陥(養老孟司より引用)>

養老孟司は以下のように説明する。
「頭のなかにあるりんごは『an apple』、特定のりんごを指すときは『the apple』って言うでしょう。冠詞です。これは日本語だと理解するのが難しいんですが。『あるところにおじいさんとおばあさんがいました』は誰でもないおじいさんとおばあさんのことを言っているんですよね。一方で『おじいさんは山へ芝刈りに』は芝刈りに行く特定のおじいさんを指している。これが“a”と“the”の違いであるし、日本語にすると助詞の違いになりますよね。前者は『おじいさんとおばあさんが』で後者は『おじいさんは』になる。“a”と“the”のちがいは、“が”と“は”のちがいなんです」。

英語だと「aとthe」日本語なら「がとは」。で、難しいのが漢文なのだ。

漢文の白文には、冠詞も助詞もない(なんなら時制もわからない)。そこにルーツのある中国語は、意味を広くとれる文や会話が多く、コミュニケーションが難しいのだというのが養老先生の見解だ。

だから中国の過去の文献を読もうと思ったら、ただその文章を読んでもわからないことが多い。前提となる資料をひと通り知っていなければならなかったり、過去その文献に対して存在する解釈をひたすら読まなければならなかったりする。

それが非常に大変だったのが、過去中国に存在した「科挙」なのだ(清の時代くらいまであったはず)。膨大な知識を問われる難易度の高い試験として知られているやつである。(引用おわり)
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