昨日は、地酒フェスタなる場所にお邪魔してきました。
それぞれは少量づつではありますが、色々なお酒を戴いたので、かなり酔っぱらいっぽくなっています(^^;)))
さて
全く別の話ですが、戦国時代の中国地方に吉川(きっかわ)氏という領主がいました。
吉川経基の時代には、精強な戦いで「鬼吉川」などと呼ばれていたそう。
毛利元就の正室も吉川氏の出ですし、元就の子元春が養子として入り(例の三本の矢のうち二人です)、小早川氏に入った隆景と共に、毛利の両川と呼ばれ、毛利本家を支えました。
ところが元春の子の広家が、関ヶ原で西軍にいたにもかかわらず、徳川と内通し、毛利を戦闘に参加させなかった…という事が有りました。
結果として、それまで中国地方に覇を唱えた大大名だった毛利家は、取り潰しこそ無かったものの、長門及び周防二ヶ国へ大幅に減封されます。
広家としては、戦闘に参加させない事で毛利家を救おうとした訳ですが、もし広家が西軍側で参戦していれば、戦う気満々の安国寺恵瓊はもとより、日和気味だった毛利秀元、史実では東軍へ裏切った小早川秀秋、更には長曽我部盛親も西軍として戦闘に参加した可能性が高く、もしそうなっていれば、関ヶ原の奥へ陣地を進めていた家康は包囲殲滅されていたかもしれません。
そう考えると、吉川広家の東軍への内通が毛利家を救ったのか、或いは落とし込めたのか、かなり怪しいものです。
江戸時代を通じて、吉川氏は毛利本家から冷遇されていたようですから、本家側では「お前が余計な事をするから…」という意識が有ったのでしょうか。
さて
時は流れて令和です。
数日前の「徹子の部屋」に吉川晃司が出た際、衝撃の発現が有ったとか。
https://www.google.com/amp/s/www.narinari.com/smart/amp/2019/10/56612/
ええっ(@ ̄□ ̄@;)!!
私と同い年である事は知っているので、年齢自体は別に驚きませんが、自動的に私も波平さんと同い年という事に…
まじかΣ(゚◇゚;)
年々老化しているのは重々承知していますが、まだ波平さんほどは老けていない筈…
それは自信持って言えますo(^o^)o
というより、波平さんの老け具合は、どう見てもとっくに70を越えているように見えます。
さてさて
吉川晃司がかの吉川氏の末裔なのか分かりません。
吉川元春→広家の系譜は江戸時代中頃に途絶えていますが、徳山藩毛利氏から養子を迎えていますから、元就の正室から吉川氏の血自体は繋がっていると言えます。
安芸吉川氏は鎌倉時代末期からいるようですから、それぞれ何人もの子はいたでしょう。
広島で吉川という姓なら、何らかの繋がりが有る可能性は有るかもしれません。
それにしても波平さんか…
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