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2019年10月10日05:42

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死後の世界とは

「終活」という言葉をよく耳にします。私はそのような言葉は好きではありません。自分の死生観とまるでそぐわないからです。終活とは、すなわち「死のための準備」ということでしょう。そんなことを考えるのは好きではありません。

自分の死に意味を持たせようという思いが現われているからです。人間は生まれた瞬間から死に近づいています。そこに特別な意味を持たせようとしてはいけない気がします。私は心肺停止で臨死体験しているのでもう死んだようなものです。

もう一つの命を戴いたものなのに、死の間際でとりみだすのは嫌なのです。普通、人が死ぬのは怖いと考えるのは、いわゆる「現世」への未練が死を寂しく思ったり、誰も教えてくれない死後の世界に対する不安みたいなものがあるからでしょう。

私も「死んだらどうなるのか」と考えることはよくあるけど、それは怖いというより、何処に行ってしまうのだろうという感覚に近いです。結局、きちんとした形で死んだ後のことを説明できる人間はいないわけです。そこになにがあるか、完全な「無」しかないのか。

死んだら物理とか化学では分からないことが分かるような世界に連れてってくれるのか、と思うと魂となってふわふわとする気分すらあります。宇宙とか人間とか神とか、生きているうちに説明つかなかったことが、死んだ瞬間に「あ、そういうことだったのか」とわかるのかも知れません。

まぁ、そういう風に考えを想像することで、死ぬことに保険を掛けているところはあるのかな。今週も私を励まし続けてくれた同級生の通夜・告別式に出席します。亡くなった友人から死に対するあきらめみたいなものを感じました。

「自分で死を選べる社会を」という意見は、私の持っている感覚に近いものかもしれません。ある程度、この世でやり切ったという感覚があれば、最後に望むのは死に場所とか死ぬタイミングを自分ではからせてくれということになるのではないでしょうか。

死ぬことの意味というのを哲学的に考えてもよくわかりません。でもそれ以上に生きる事の意味のほうが難しいかもしれません。なんで生きているのかという意味は、年を取るほど難しくなってくるような気がします。

自分の限界が分かって、人はいずれ死ぬという当たり前のことを受け入れられるようになれば、少々のことでは動じなくなるのではないだろうか。もし、理想の老いと言うものがあるとしたら、そういうことなのではないだろうか。

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