それはつまり「血がつながっていても家族でないことがある」という意味。
単に親だから当然子を守るだろうとか子だから親のいうことに従うはずだとか、
そういうのは間違いってこと。
実際最近のニュースじゃ親が子を殺す話がものすごく多くないか?
しかも「虐待があった」ことを周囲や児相が把握しているのに、
親もとに子を帰してしまって結果、殺されている。
「子を親から引き離す権利があるのか?」とすごまれると児相は言い返せない場合が多いけど、
それは「子は親のもの」という無意識の思い込みが徹底しているからだ。
子はだれかの持ち物ではない。
独立した人格、親と違う将来を持つ人間だ。
親の都合で「しつけ」られてお座りだのチンチンだのするペットではないぞ。
ニュースで「しつけがいきすぎた」とかいうのを聞いていると、
それってしつけじゃなく単純に自分の言いなりにしているだけじゃん、と思う。
相手を言いなりに支配するという人格を持つ人間は親の資格がない。
どんな親でも親でさえあればいい、は子が経済的に独立して親と対等になった後に
そういう考えを持つ場合もある、というだけだ。
自分ひとりで生きていけない子どもの場合、
安全な環境を保ち危険を排除してくれる存在が親であって、
親自身が自分にとって危険なら親ではないのである。
虐待された子はそれでも親元に帰りたがるが、
それはそこしか安心できる場所を知らないからであり、
みみずしか食べたことない場合にパンは食べ物でないと思うようなもの。
みみずを食わせ続けた(子が悪いから殴られると思い込ませた)親から引き離し、
「みみずは食いものではない」と教えなくてはならない。
そこまでできないと虐待児をなくすことはできないが、
今の日本は子の養育は「生みの親」がするものという思い込みで運営されている。
家庭内暴力も、最初のころは「家庭内の事件に警察は介入しない」の原則があり、
殺人や重傷でもないと相手にしなかった。
家父長制度では「親(父親)が家の中の法律」だから家中は外のルールは通用しない。
その記憶がまだ生き残っている。
民法刑法も実は家父長制度の残骸をひきずっていて、
だから家庭内暴力や虐待に積極的に介入することが難しい。
家族は個人の集団、それぞれが尊厳をもった人間。
その人間同士が家族として信頼しあい面倒をみあいお互いを思いやる。
それが「家族」という集団なのだ。
家族に誰をどう迎え入れるかは、それこそ家族のルールに従うが、
家族内でのルールは外の社会でも通じる。家族が社会の一部だから。
おなかすいてもご飯あげないだのハダカで冷水シャワー浴びせるだの
そんな仕打ちはたとえどんな犯罪を犯しても社会では受けない。
だから家でもやってはいけない。
父親と母親がいなければ家族ではない、というのもおかしい。
ついでに、子がいないと家族でない(家族として不完全)というのも変。
アンジーの言葉から、いろんなことが見える。
(エンタメOVO - 10月04日 08:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=199&from=diary&id=5813194
ログインしてコメントを確認・投稿する