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2019年09月10日05:40

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ロボトミー殺人事件


犯人は、桜庭章司です。罪状は殺人です。被害者は、死亡した医師の母Tさんと妻Mさんです。1979年9月26日夕方、東京都小平市の精神科居宅に、桜庭が宅配業者を装って訪問し、医師の妻Mさんとその母のTさんを刃物で脅して縛り上げた。そのまま医師の帰りを待ったが、2人が騒ぎ出したため、喉と胸をさして逃亡した。

桜庭はスポーツ評論家として有名だったが、短気で暴力を振るうことが度々ありました。35歳の時、家庭内のトラブルで逮捕されたのをきっかけに、精神病院で半強制的にロボトミー手術を受けさせられた。ロボトミー手術とは、脳の一部を切開して暴力行為を鎮める治療で、現在は禁止されています。

前頭葉の一部を切除するか破壊してしまうことで患者の感情は壊死したように働かなくなり完全におとなしくなる、凶暴な精神病患者や自殺癖のある鬱病患者に絶大な効果があるとされた手術です。1935年にアントニオ・デ・エガス・モーニスという神経学者が考案した療法で、ノーベル賞を受けています。

1950年代に入って後遺症などの欠陥が次々と指摘され、1960年代には人権思想の高まりもあってほとんど行なわれなくなりました。1929年1月1日、桜庭章司は長野県松本市で次男として生まれました。小学生の時、東京に移った。神経質なところがあったが、気が強く明朗闊達な子だったと言います。

小学校卒業後、芝浦工業大学付属工科学校に進学したのですが、貧窮家庭の生活を支えるため、1年で退学して工員になりました。1945年の終戦の頃、松本市に戻り、商売をしながら町のジムでボクシングの練習をやり始めました。19歳のとき、北陸5県社会人ボクシング選手権大会にライト級で出場して優勝しています。

1949年、20歳のとき、これからは英語の時代を確信して独学で英語を勉強し、通訳の資格を取得しました。その英語能力をかわれ、占領軍基地のある新潟のNTTに通訳として就職した。その後、米軍のOSI(諜報機関)にスカウトされ、英語力に磨きをかけました。だが、病躯の母親の面倒を見るため、松本に帰ることになったのです。

松本には英語を生かす職場がなかったため、体力に自信のある桜庭は日銭稼ぎに土木作業員として飯場で働くことになった。飯場では喧嘩が絶えなかった。ある日、刺青をした土木作業員が出稼ぎの農民を殴っているのを見て、桜庭は刺青の男を叩きのめした。ボクシングで鍛えたパンチは衰えていなかった。

桜庭は土木作業を続けているとき、路肩工事の手抜きを発見した。班長に注意すると、その夜、桜庭は社長に呼ばれ小料理屋に連れて行かれて、5万円を握らされた。桜庭には作家になりたいという夢があった。そのために読書や執筆に専念したかった。5万円あれば、しばらく働かなくても暮らせると思い、悪いこととは知りながら受け取ってしまった。

その後、桜庭は警察に逮捕された。刺青の男が訴えたのである。訴えにより、事情聴取された社長は、金を脅し取られたと供述した。桜庭は暴行と恐喝容疑で起訴され、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けた。1958年8月、ダム工事現場で働いていたとき、賃金不払いと不当解雇問題が発生した。

桜庭は社長宅に談判に行ったが、恐喝容疑で逮捕された。執行猶予は取り消され、12月、長野刑務所に収監された。1961年8月、刑務所を出所した桜庭は、東京で鉄筋工として働きながら、翻訳会社を介して翻訳のバイトをした。1962年の春ごろ、スポーツ新聞を見て、海外スポーツ情報のいい加減な紹介に腹が立った。

桜庭は幾つかの新聞社や雑誌社にクレームの手紙を書いて出した。手紙を読んだ編集者たちは桜庭に原稿を依頼してきた。33歳になっていた桜庭はこれを契機にライターへ転身した。その後の仕事は順調に運び、資料整理のために2人の学生アルバイトを雇うほどになった。月収は10万円を超え、当時の中堅サラリーマンの4倍は稼いでいた。

1964年3月、桜庭は東京都板橋区の妹宅に立ち寄った。老いた母親のことで話し合っているうち、喧嘩になった。桜庭はそばにあった人形ケースなどを壊した。妹の夫が110番通報した。志村署の警察が駆けつけ、桜庭は器物破損の現行犯で逮捕された。翌日、妹夫婦は告訴を取り下げたが、桜庭の過去を調べ、暴力、恐喝などの前科を洗い出した。

繰り返される暴力行為は、精神疾患からくるものとして、桜庭は世田谷区の都立梅ヶ丘病院に連れて行かれ、精神鑑定にかけられた。担当の医師は桜庭を「精神病質」と鑑定した。桜庭は釈放を求めたが、警察によって今度は、東京都多摩市の聖跡桜ヶ丘の桜ヶ丘記念病院に連行され強制措置入院させられた。

桜庭はスポーツライターとして編集者から信頼されていたので、入院後も原稿執筆を続け、編集者は病院へ原稿を受け取りにきていた。桜庭は拘禁中に精神外科手術をされることをおそれていた。それは、入院中に、八重という20歳くらいの女性が精神外科手術をされ、担当の藤井澹きよし医師が手術は大成功だったと言っていたにもかかわらず、約1ヵ月後に八重が首吊り自殺したからだった。

桜庭は精神外科手術によって廃人にされることをおそれ、主治医である藤井医師に対して明確に手術の拒否を告げていた。また、手術するには母親の承諾が必要であることが分かっていたので、桜庭は安心していた。

ところが、藤井医師は何も解らない母親から承諾書を取って手術してしまったのです。桜庭(当時35歳)は藤井医師から肝臓検査と称して、全身麻酔をかけられ、加藤雄司医師によってロボトミーの一種であるチングレクトミーという精神外科手術を強行されました。

術後、桜庭は別人のように無気力となり順調だった仕事もすべて失った。そのため「自分がこうなったのは、あの医師のせいだ。これ以上自分のような犠牲者を出してはいけない」と、医師を殺そうとして家に押し入ったのです。1996年11月16日、最高裁で無期懲役が確定しました。私の自殺した従姉弟も同じ状態だったのであろうか。

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