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2019年07月21日16:04

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棄権は危険 投票呼びかけ、きっかけは「いらだち」

■棄権は危険 投票呼びかけ、きっかけは「いらだち」
(朝日新聞デジタル - 07月21日 06:09)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5714853

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選挙に行こう。そして未来を自分で選ぼう――。そんな呼びかけが広がっている。見過ごすなんてもったいない。きょう21日は、参院選の投開票日。


 参院選に行こうと呼びかけるポスターを、絵本作家やCMディレクターたちがネットに投稿している。


 美大出身者たちが3年前の参院選から始めた「Shall we 選挙?」というプロジェクト。ポスターを募集してネットで公開する取り組みで、今回で3回目だ。


 「行かないことで何を選んでるの?」と猫が問いかける。「棄権は、あなたの国の健全を悪化させる危険性を高めます」は、たばこのパッケージをパロディーにした作品だ。


 きっかけは、国政選挙の低投票率だという。プロジェクトの立ち上げや運営に携わるクリエーティブディレクター入江洋平さんは「近年は衆参ともに投票率は50%台しかないのに、国の在り方、自分たちの代表が決まっていくいらだちがあった」と言う。簡単なメッセージ付きのポスターであれば、選挙に関心のない若い人たちの目を引くこともできると考えた。


 だれでも参加することができ、プロの芸術家たちに交じって、16歳の高校生や離島のミカン農家からの投稿もあるという。特定の政党の応援目的などでなければ表現は自由だ。


 入江さんは「政党の公約を理解するのは大人だって難しい。だったら、気になったポスターから自分の印象に残ったことを探って候補者を選んでみては」と話す。
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恐ろしい事に、我々は権利を放棄する事ができる。そして権利の放棄を禁止する如何なる理由も持っていない。ゆえに、投票に行かない事も、決して非難されるものではない。

もちろん、民主主義における唯一の権利が投票権である。これ以外に、民主主義に特有の権利などない。

例えば基本的人権でさえ、民主主義であろうが、なかろうが人間が固有に保有する権利である。もちろん、異論はあるだろう。なぜ人間だけがそのような権利を持つのか、その合理的で、説得力のある、普遍的な思想を提供できる人間はいない。

犬や猫、鯨、のみならず、その辺に漂っている藻類には基本的人権を持たないのか。たぶん、持ってたら、昨日のよる、僕は蚊を殺すことさえできなかったであろう。ゴキブリがでただけでキンチョールやアースを持って追い掛け回すような愚挙に出る事もなかったであろう。

そんな基本的人権でさえ人間は放棄する自由を有する。この点で、自由は強力である。そして、自由であることは、何よりも重んじられる権利であると考えられている。では、契約によって権利は奪い取れるのか、権利は売れるものなのか、と言うと、これは難しい。

だが、唯一はっきりしていることは、たとえ権利を放棄しようが、いついかなる場合も、なんの見返りもなく、取り戻す事が出来るという事である。たとえ契約で奪われようと、取り戻す事ができる。その場合に、代価を払う必要性さえない。損害賠償の責任さえ負わない。

だから権利を奪う事も契約で縛る事も可能ではあるが、実際には何の利益も得られないはずなのである。

という訳で選挙に行かない自由はある。白紙投票する自由もある。それで何かを選択したとは思わないが、その放棄を非難する原理的な思想はない。批判する理由なら、幾らでもある。それについては、多くの人が語っている通りであろう。

また、放棄したものを取り戻す事も可能だ。ただし、必ず取り戻す事ができるかどうかは確実ではない。手遅れという場合がある。そうなった場合、後悔しても遅い。もちろん、権利を放棄しなくても手遅れになるなど幾らでもある。そういう意味では、選択する自由を行使しようが、すまいが結果は同じかも知れない。

だが、選択する事を繰り返す人たちには、選択したという理由がある。放棄した人にも選択した自負はあるだろう。

だが、一般的に言えば、放棄は選択のひとつではない。武力を放棄することが戦争をしない選択ではないのと全く同じ理由だからだ。生命の放棄が生きる選択になっていないのと同じだ。もちろん、安楽死を望む人たちがいる、治癒する可能性のない病気において、判断ができる間に死を選ぶという決断がある。すると、それは果たして本当に放棄であろうか、と考えざるを得ない。

つまり、放棄するとはどういう意味か。それさえも我々はよく知らないで使っている。考え抜いたうえでの放棄には価値がある。それを民主主義は求めているのかも知れない。

どっちみち、放棄しない理由はそう多くはない。まして説得力のある理由などない。それでも放棄したら文句は言えない。例えダメでも、文句は言う。そのために放棄しない。もちろん、その時には手遅れで暴力に屈し、口をつぐむ可能性は残っている。放棄しない理由にはそういう懸念も含まれている。もちろん、これも大した説得力のある理由ではない。杞憂だろ、と言われたらそれっきりである。

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