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2019年07月07日06:59

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豊かになったのであろうか

生前父はこれからの日本国及び石原莞爾思想の行く末など話していました。その際、様々なご助言をいただきました。戦後の焼跡から出発した父たちは、戦後の時代を馬車馬のように働き、駆け抜けていきました。よくこのようなことを言っていました。

私は、自分の子供や未来の子ども達には、もっと豊かな暮らしをさせたいという願いから石原思想を実践してきた。そしてそれは、実現した。しかしその結果、日本人は本当に幸せになったのだろうか?物質面の豊かさが、心の豊かさになったであろうか?この問いに答えることはとても難しいと思う。「昔は良かった、人情もあった」ということは簡単です。

しかし、現実問題として、共同で農作業をしてかまどで火をおこして飯を炊き、同じ釜の飯を食べる。井戸で水を汲んでタライで洗濯するような生活に、戻りたいという人はいなくなってしまったのではないでしょうか。物質面から言えば、現代の日本国民は、明治維新前の大大名を凌ぐぐらいの生活をしています。

エアコンのきいた快適な室内で、冷蔵庫には食べ物や飲み物が詰まっています。テレビのリモコンのスイッチを押せば、世界中の様々な映像が溢れています。インターネットで、チャットやゲームを楽しむことができます。近所の公園を散策し、図書館に行けば、人間の学問や芸術の集大成から手軽な娯楽作品まで、好きな本を無料で借りることができます。

これは、何も特別な階級の人間だけに許されたことではありません。ニートやフリーターと呼ばれる人々が、現在享受している平均的な生活レベルです。もしもそれを幸せでないと言うのであれば、アジアやアフリカや中東などで、貧困にあえぎ戦火に追われて、生命の危機と直面して暮している人たちに、何と言えばいいのであろうか。

かつて飢えや病のために痩せ細り、望郷の思いに焦がれながら、異郷で散華した英霊たちに、どう申し訳が立つのでしょうか。しかし、それでも敢えていうなら、現実問題として、今の日本の社会には、何かが欠けています。医学の進歩のお陰で、病んで若死にする人がいなくなり、戦死する人もいなくなりました。

その反面、毎年何万人もの人が自殺しています。有り余るほどの豊かさの中で、親が子を殺し、子が親を殺す事件が頻発しています。今よりも、もっと貧しい時代においても、糞尿にまみれた老人が子供に殺される数は、少なかったのではないだろうか。かつて、一億総中流といわれた日本の社会は、いまや「格差社会」となっています。

一度、非正社員として雇用されると、正規採用されることはなかなか難しくなっています。いや、そもそも、積極的に働こうとしない若者たちが増えているのです。ニートやフリーターと呼ばれる人たちがそうです。彼らの大半は、何不自由ない家庭に育ち、健康にも不安はなく、経済的には心配ない状態です。

父親たちの世代のように、勤勉さそのものを愛するということはないのです。ある意味で、このような人たちが出現するということを常に懸念しておりました。少なくとも、食べることで精一杯だった時代では、仕事もせずにぶらぶらしている若者は、共同体の中で存在を許されなかったはずです。

それは別の言い方をすれば、近代という時代そのものが行き詰っていた現象とも似ているかもしれない。かつて、テクノロジーがもたらす繁栄の社会の進歩は、一直線に進むものだと信じられていた時代がありました。人々は、今日よりも明日がより良くなると信じて、希望をもってひたすらに働けばよかったのです。

そんな至福の時代は、確かに、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパにはありました。そして、20世紀のアメリカもそうだった。しかし、遥かな高みにまで続いているかに見えた道は、いつしか曲がり角に差し掛かり、やがて知らぬ間に下り坂となっているのです。そんな経験を、先進国と言われる国々は、多かれ少なかれ経てきています。

ニートという言葉も、もともとはイギリスで使われだした単語でした。そのことからも、現在日本の社会が直面している閉塞感は、ある程度、世界共通の現象であることは間違いなでしょう。しかし、他人の痛みや悲しみに対し、同じ体験を経ることなくして気づく事はできないものなのでしょうか。
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