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2019年06月21日19:29

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北条政子という女性は・・・

ワシが今住み暮らしている湯河原町というのは
関東の西の端で
伊豆半島の東の付け根の部分に当たるんじゃ

この伊豆半島の伊豆という言葉の
全ての典拠となっているのは
熱海市に在る伊豆山神社なのらしい・・・

今では地味な神社に過ぎないかもしれないけど
その昔はすごい力のある神社だったらしい・・・

そこはうちからバイクで15分くらいの距離にあるのじゃよ
とても気持ちの良いところで
ワシも月に一度くらいは参拝しているのじゃよ・・

そこは歴史的に観てどういうことで有名かというと

鎌倉幕府を打ち立てた 源頼朝と
その妻 北条政子が 結ばれた場所ということになっておるんじゃよ・・・

北条家というのは
この今でもど田舎の 伊豆の韮山周辺を治めていた土豪で
分かり易く言うと力をもった百姓の娘だったと思うんじゃ

この娘がよ〜
おキャンな恋する娘でよ〜

父で後の執権・北条時政が
平家の山木某の所に嫁ぎなさいというのを
親の言うことを聞かないで
雨の夜に韮山から一山超えて
伊豆山神社に居た頼朝の所に行ってしまったんじゃよ・・・

歴史的に見ると
それまでただの流人だった頼朝が
本格的な活動を開始したのはこの後からなのじゃよ〜

最初に平家と戦ったというのは
山崎の古戦場で
それはうちから6kmほど北へ向かった小田原市の根府川というところにある。

初戦から共に戦った土肥実平は湯河原町の土豪で
共に隠れていたしとどの岩屋というのも
湯河原の山の中に在るし
その後船で上総に渡ったとされる
その漕ぎ出した場所がお隣の真鶴町の岩の港だったらしい・・・

そういうわけでワシの住んでいる辺りは
歴史の舞台でもあるんじゃよ〜

神奈川県というのは
鎌倉が在り
小田原が在るから
歴史の舞台に登場することができたんじゃけど

それ以前のことになるとなんもないんじゃよ・・・

歴史の舞台にその名が轟いたことなんか一度もない土地というのは
日本には結構あるんじゃないだろうか・・・

歴史を振り返ってみるとよ〜

親の言うことを聞かなかった
わがままな この恋に燃えていた娘はよ〜

その後は日本の歴史に重要な影響を与えたサ・・・

まず夫は征夷大将軍となって
鎌倉幕府を開いた・・
その没後はその二人の息子が
2代目・3代目の将軍になった・・・

政子は二人の娘と二人の息子の母親となっていたのだが
病弱と不遇により4人とも10代20代で亡くなって行って
ただのひとりぼっちの尼さんになっていくのじゃよ

でもそれからが凄かった・・・

承久の乱が起こった時
「公家たちがいい気になって暴れておるようだから
おまえら京都に乗り込んでしめてこい」
と東国の武士たちにはっぱをかけたのはこの尼さんだったんじゃ

その言葉は吾妻鏡という歴史書に
はっきり残っているそうじゃよ・・

公家の世の中から武士の世の中に転換したのは
この乱をきっかけにしてからじゃよ・・・

じゃから天下分け目の関ケ原の戦いより
はるかに歴史的転回点だとワシは思っているのじゃよ・・・


その他に
自分の父の時政を執権にしたのも
それを追いやって弟を執権にしたのも
その没後その息子で甥の泰時を執権に据えたのも
この政子さまの力だったと言えるんじゃよ・・・

その後の執権職を担ったのも
北条家のもので
出来る人が多かったようで・・・
このころの日本は政治的には安定していたし
蒙古による2度もの襲来もはねのけていた様子だな・・・

ワシから観たら
この人は女子っぽくて
ただ女をやっていたんだと思う・・・

ただ感情の容量はものすごく莫大な人だったように思うな・・

要所要所ではまさに的確な行動をしている・・・

この人は政治家をやっていたんじゃなく
ただ女をやっていたと本人は思っているじゃろうサ・・・

でも「尼将軍」と言われていたことは
うなづけるものが在るのぉ・・・






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