mixiユーザー(id:5437811)

2019年06月10日12:24

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罪 積み ツミ そして 罰 跋(読み方バツ意味ふみつける。ふむ。ふみつけて歩く。)

正常な精神状態て何だろう、環境汚染が目の前で起きてるそれが認知できる文明人なら加害者で何もせず眺めている居るなら正常な精神状態ではないと考える事も出来る。

死刑制度も同じ、制度で殺す側殺される側に分かれてしまう、被害者感情も言われるがその姿も洗脳。

本文から【精神障害の影響があったことは認めつつ、ナカダ被告が金品を奪い、証拠隠滅を図ったことなどを重視。「残された正常な精神状態に基づき、犯罪になると分かっていながら犯行に及んだ」として求刑通り死刑を言い渡した。】

我々は父と母より生命を受けた人間だ、「殺す側殺される側に成りたくない」

毒を嫌うのに、毒を飲まされるそれも最強の毒を飲まされるシステムの現状。


以下https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971768245&owner_id=5437811 引用
我々は父と母より生命を受けた人間だ
生命こそ原点で、不良品も良品も無いのだ。
でも、いろいろな沢山の意味で文明に触れた瞬間私たち人間は、地球生態系から見たら間違いなく異端になるのです。
さて、異端=不良品になる場合もあるが、異端改めれば不良品も含めて良品になります。
でも実際、文明を横臥する為にさらに異端のものが異端者を探し求める故作り出し見せしめとして殺人行為の死刑として淘汰さへして、死の商人(軍事企業)ある故さらに国家介入の組織的暴力の大量殺人は戦争と呼ばれる行為になり、社会的孤独、家族の中での孤立も含めて精神的抹殺行為に成ります。

(死刑制度を認めることは、戦争の行為を認める事でもあります)

…こう考えると、幸せを独り占めして不幸や死を自他に強制する側こそ根源問題なのだと定義できます。

仏教哲学で見ると。
業(行いの結果報いると解釈 特に悪業)と果報(因果応報。報い。幸せ) 対立するように見えるが、差別が入り込み差別分断された階級社会と言う「別報¹」が出来上がる。

別報¹=同じ人間に生まれたという共通の果報を総報というのに対し、貧富・貴賤・男女など個別的な差異として現れた果報。

東ちづる、松本人志の不良品発言に「私たちは人間」

◆本題
熊谷6人殺害、改めて無罪主張
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5656501
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