東京新聞
戦後70年を記念した「平和の俳句」
紙面の片隅で3年間続いて終わった。
一番 心に残って忘れられないのは、東京大空襲を詠んだ、
「三月十日 南無 十万の火の柱」だ。
「あの日だけで、十万人の人間が燃えて死んだよ」と言う。
「柱」という言葉が哀切だ。
「柱」は「人柱」を連想させる。
川に何回橋をかけても流されてしまう時、昔の人は生きた人間を「人柱」として捧げた。神に対して命を捧げたのだろう。
古来から日本の神は「守る」だけでなく「祟り、喰らう」ものでもあった。
また、「火の柱」は、人間が立ったまま燃えている様子、とも思える。
今、巷では 翌日の3月11日の 東北大震災の方が注目されて、前日から「明日で震災から◯年」とやっているけど 3月10日と 11日を両方一緒に悼んで欲しいと思う。
おっと、横道に逸れた。
. 応募してみる
で、今年、8月に、 1日限定で平和の俳句募集 の記事。 選者は プレバトの夏井先生 他2名。
ええと 題材は、
この間 私が霞ヶ浦に行った後、母にその話をしようとしたら、
「霞ヶ浦は嫌いだ。戦争を思い出してイヤーな気持ちになる。」
と言われてしまった。
それが詠めないかなあ。
五七五の17音は字数が少なくて 気持ちを表現するのが大変。
考えていると、プレバトMCの浜ちゃんの「どういう気持ちで?」といういつもの言葉や、
「◯ ◯ すりゃ良いんだよ!」という夏井先生の言葉が聞こえてくる。
こうか?
「霞ヶ浦は 嫌(いと)う 湖(うみ)らし 母米寿」
短歌なら、字数が多いから簡単なんだけどなあ。
「霞ヶ浦は嫌な名前と言ふ母の背中見ながら車椅子押す」
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