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2019年04月01日02:36

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トラックこそ輸送の主役、鉄道なんか糞食らえ

 今日は大津まで練習に行った。去年の年末から4度目で、東向日乗り換えの裏技にも大分慣れてきた。
 空はいまいちだったが、練習の途中で窓の外が大雨になっていた瞬間はあった。いや、あるいは雪だったのかもしれない。週間天気予報などでは3月はほとんど晴れマークが続いていたのだけど、実際にはスカッと晴れた日は余りなく、春らしい周期的天気の変化が見られた3月初頭はともかく、中旬以降はずっと不安定な気候が続いている。
 今週は体調も悪く、あまり楽器をさらえなかった。練習は明らかに不十分で今日の合奏になってしまった。体調の回復も、今後余り期待できないのかもしれない。

 子どもの頃、天文学者になりたい、という夢を持っていたのだけど、それはついにかなうことはなかった。個人的には「宇宙の始まり」なんかにとても興味を持っているのだけど、2001年ごろにBellの若い人達と話をしたときに、彼らは素粒子には興味を持っていても、宇宙の始まりなんか眼中にないようで、ちょっと残念に思ったことがある。
 宇宙マイクロ背景放射、という良く知られた光でこの宇宙は満たされているようなのだけど、最近の研究ではどうも空間そのものが広がっている(膨張している)ということらしい。このことが、「光速不変」の原理と矛盾するのではないか? と思い始めている。
 もし、宇宙の空間が一様に膨張しているのなら、光速は見かけ上だんだん小さくなっている、ということなのだろうか。実際の観測は「波長が大きくなる」という、ドップラー効果に似たような結果を示しているのだけど、この辺ちょっとわかりにくい。
 空間の膨張より、重力による星の形状維持、の方がずっと影響が大きく見えていて、地球上の距離感は変化しないのだろうし、やはり重力で支配されている、惑星の運動とか、もっと大きなスケールでの銀河の回転運動などが、空間の膨張の影響で、例えば地球と太陽が離れていってしまう、という事象にはつながらないのだろう。けれども空間自体は「広がっている」のだよね。それ、光の到達時間で考えるとどうなるの?

 相対論は、高校生以下ぐらいの思考レベルだと容易に受け入れ難いものなのだろうが、ローレンツ収縮のような分かり易い式で記述できるので、現代の大学生で疑う者もいないだろう。でも、初期に提唱された時には、そもそも「光速不変」という概念そのものが容易に理解されなかった。
 ニュートン力学はかつて様々な問題をすっきり解決できたので、今でも大学1年次のカリキュラムに入っていて、そして、大学という教育機関の根底をなす科目としても扱いを受けている。「同じような手法、分かり易く方程式を解いて解を得ることで問題を解消する。」という科学的手法の一番手ともいえるものである。

 そのニュートン力学で、どうしても矛盾点を抱えてしまう問題が、光速不変、という新しいルールを取り入れて一気に解消されたのは20世紀の大きな進歩だったろう。
 けれど、宇宙の探索が進んで、デカルト座標で与えられるような絶対的な距離、という概念も崩れるのならそもそも距離を測定するフォトンの飛行距離(時間)が物差しとして不適当なものならば、新しい物理概念を持ってくることになるのだろう。
 もしかすると、距離は時間の関数なのかもしれない。そうすると、時間とは何なのか、また新しい議論になるのだろう。

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 北海道の夕張市の破滅的顛末は、一つの大きな時代の終焉だとも言えた。「昭和の時代」という言葉を使うなら、日本でも石炭が生産され、産業の原動力になった、と言える時代だったろう。でも、石炭の資源そのものは世界中にありふれていて、高コストを強いてまで国内生産にこだわる理由もなかった。
 石炭産業が衰退した後に、それに代わる「何か」を見つけ切れなかったのが、夕張市の敗北だった。今になってみれば、IT産業を誘致して、夕張市が世界中のゲームを作っている聖地、にでもなっていれば、などと戯言を言うこともできる。未来のことが分かるなら誰も苦労はしない。諦めてさっさと不必要なものを畳んでシンプルにしていれば傷も浅かっただろう、と感ずる。
 石炭の輸送、という使命をとっくに終えてしまった鉄道を維持できないのもやむを得ないと思う。その一方で、せっかく現存するインフラを使いこなせなかった後の世代の人々、の責任も大きい。
 日本では鉄道輸送や、海上輸送のような大規模輸送システムが軽視されている、と思える。高速道路をたくさん作って、きめの細かいトラック輸送を主体にした、という行為のディメリットは、交通事故による死亡事故とか、過大な労働環境とか、トラックの休憩場所や駐車場の不足、など目に見える問題を多々抱えているのだけど、そのほぼすべてが「トラックドライバーの自己責任」という投げやりな対応に終始している。
 夕張の顛末を国民全体で、「どうすれば良かったのか、そして現在何をしていけば良いのか」という教訓に昇華させられるような土壌にできないものだろうか、と思う。

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■さよなら夕張支線、お別れセレモニー 「寂しいけど…」
(朝日新聞デジタル - 03月31日 19:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5561823

 北海道夕張市を走るJR石勝(せきしょう)線夕張支線(新夕張―夕張間、16・1キロ)が31日最終運行日を迎え、夕張駅では午後2時過ぎ、JR北海道主催の「お別れセレモニー」が行われた。

 あいさつに立ったJR北の島田修社長は、石炭輸送で日本の近代化と経済発展を牽引(けんいん)し、市民の生活を支えてきた夕張支線の意義を強調。一方、石炭産業の衰退に伴う人口減少により支線の乗客数が激減し、鉄道として維持できなくなったことに理解を求めた。

 そのうえで、夕張市と話し合って合意し、4月1日から運行を始める代替バスなどの新しい公共交通網について「今後の地域交通のモデルとなることを期待し、引き続き全力で協力させていただく」と述べた。

 地元住民代表の夕張高校2年・大原音乃(のんの)さん(17)は「南清水沢駅をよく利用していたのですごく寂しいけど、これからは私たちが夕張を盛り上げて、多くの方々に来てもらえるように頑張っていきたい」と話した。(斎藤徹)
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