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2019年03月27日09:10

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バガバッド・ギーター解説2―2

https://ameblo.jp/kuwatayoshio/entry-12405538521.html


Q.「自分の身体を使って神が修行している」とはどういう状態か?
A.経や真言を忘れたら、神様が思い出させてくれる。
 仕事から疲れて帰って来ても、「よし、お祈りをしよう」という
 気持ちにさせるのは神の働きである。
 神仏が我々の修行をバックアップしてくれているのだ。
 怠け者の我々が、自力で修行できるわけがない。
 科学的根拠もない事にエネルギーを費やせるわけがない。
 我々が信仰や修行が可能なのは、神が我々をそうさせているのだ。

Q.「成功や失敗を気に止めるな」というのは無理。
A.神々の働きの末の失敗というのは、必ず、何らかの幸いにつながっている。
 神々は失敗を失敗で終わらせる事は万に一つもない。
 仮にそれが病魔に負けて死んだ、という失敗でも。
 失敗して落ち込むのは人情。
 せめて、それを他人に当たり散らすな。
 笑えなくても平然としたふうを装え。

Q.仏と神の違いは?
A.ない。
 ただし、仏と仏の眷属。神と神の眷属には違いがある。
 眷属は「仲間」の意味だ。
 例えば、薬師如来の元には医療関係者の霊が集まっており、
 いわゆる彼らが薬師如来の眷属である。
 眷属であっても、必ずしも解脱しているわけではない。
 よく神社に行くとカラスがいる。
 単に神社には森が多いという理由があるが、
 カラスは日本の神の眷属とされている。
 中には、本当に神の眷属のようなカラスがいて、
 彼らは人に危害を加えない。

Q.どうすれば入我我入のサマディー(三昧)の状態になるのか?
A.修行が進むと信仰が深まる。
 信仰が深まるとサマディー(三昧)に入れるようになる。
 インドで有名な坊さんの故ラーマクリシュナは、
 一日の大半、サマディー(三昧)状態だったらしく、
 一見・・・だな。

Q.三昧を経験すると欲に執着しなくなるというのは本当か?
A.どうも本当らしい。
 例えば親に「ソーセージ」と言われて、魚肉ソーセージを
 食わされていたのが、ある日、牛肉、豚肉のソーセージを食ったとたん、
 魚肉ソーセージに見向きもしなくなるようなものだ。

Q.神や仏の姿は見えるか?声は聞こえるか?
A.神仏は姿を人に見せない。声も聞かせない。混乱させるからだ。
 神仏と会話した、という人がいたら危険人物なので気をつけよう。
 神仏は声なき声で、人の心に「気づき」や「警鐘」を与える。

Q.「わたし」はブラフマンを示す場合と、宇宙エネルギーを示す場合がある
 と言うが、なぜ、そんな紛らわしい文章表現をするのか?
A.「詩」だからだ。
 また、生命であるブラフマンと物質である宇宙は本来、異なる。
 だが、同じ波動を有している。
 だから、同一と言えない事もない。
 例えば、あなたの髪の毛や、爪が、あなた自身かと言えば、
 あなた自身だろう。しかし、切れば別の存在となり、あなたではない。


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