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2019年03月11日04:25

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かつて走っていた馬車鉄道

純子は金属アレルギーを持っていて、イヤリングなどを着けるとただれてグジュグジュになる。

お洒落はしたいのだが、イヤリングなど金属類は着けないようにしていた。

先日安平町からの帰りに大麻のジョイフルAKに寄った。
このジョイフルは数年前に建った新しい店なのだが、画材店みたいな売り場もあって見て周るのに退屈しない。
鉄道模型のジオラマなんか作ってる人や、プラモデルを作るのが趣味の人は、いろいろな材料が用意されているので便利だろう。

以前探した事のあるプラスチック用サフェーサーもいろいろな物が売られていた。

革製品制作用の道具や材料もあり、じっくり見ていると半日は楽しめそうだ。

純子が立ち止まって何かを取って見て居る。
いつまでも動かないから一人であちこち見て回って合流したらイヤリングを買っていた。

耳に取り付ける部分がプラスチックで出来てるので試しに使ってみるとのこと。

腹が減ったのでレストランでスパゲッティを食べる。
すごく旨い。

これは又来なくてはと思い住所をしっかり確認する。

それで今日友人たちと外で食事をするのに純子はイヤリングを着けて行ったのだが、全く問題無く過ごせた

新川の「ギャラリー喫茶工房WOO」で食事をしたのだが、3時間いろいろな話題について話す。

その中で軽川駅(現手稲)から花畔(ばんなぐろ)駅まで走っていた軽石軌道についての話題になる。

当初の計画では石狩町(石狩市親船町付近)まで伸ばす予定であったが実現できず、名前だけに「石」が残っている。


この馬車鉄道は札幌市街地の馬車鉄道が路面電車化され、不要になったものを引きつぎ大正9年(1920年)から昭和15年(1940年)の間走っていた。

海から運ばれてきた物が石狩川〜茨戸川と遡って、花畔駅から馬車鉄道で軽川までやってきたのだろう。
もちろん人も運んでいた。

http://www.city.sapporo.jp/teine/tthanashi/honbun/hanashi12.html

それで調べなおすために昔の地図を見ていたら、Tさんの奥さんの実家が昔呉服店を営んでいた事を知ってしまったではないか。

https://sun.ap.teacup.com/daddy-k/589.html

一体何時頃に作られた地図なんだろう。
馬車鉄道が描かれているということは、大正9年(1920年)から昭和15年(1940年)の間となるが。

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