mixiユーザー(id:36152363)

2019年03月10日17:26

76 view

今日は陸軍記念日です!


明治38年(1905年)2月21日から3月10日にかけて行われた奉天戦は日本陸軍24万名、ロシア陸軍36万人、合わせて60万の大兵力が直接激突した、史上最大の陸戦のひとつです。
戦いは9日間に及び、3月10日、日本が勝利して奉天城への入城を果たしました。

世界最大の陸戦といえば、ドイツとソ連が戦ったクルスク会戦(昭和18年)を指す人がいますが、なるほどこの会戦は、独ソ合わせて210万の兵力が衝突した戦いではありますけれど、これはクルスクで行われた戦闘の全体を指しています。
日露戦争でいえば、旅順要塞攻城戦から奉天戦までの全部の戦いを総称したものなのであって、軍と軍が直接対決した戦いという意味においては、実は、世界の歴史上、最大の戦いとなったものが、実は奉天戦なのです。

奉天戦を指揮したのは、日本が大山巌(おおやまいわお)元帥、ロシアがクロパトキン将軍です。
この戦いにおいて大山巌元帥の指揮が実に見事であったことから、米陸軍のマッカーサーは、世界でもっとも尊敬する陸軍軍人として大山巌元帥をあげています。
マッカーサーは、GHQの総裁として日本に赴任した際、日本各地に設置してあった日本軍人の銅像を片端から破壊する命令を出していますが、大山巌の銅像だけは破壊することを厳として認めませんでした。
おかげでこの銅像は、いまも東京九段に安置され、地下鉄九段坂下から靖国神社に向かう坂道の道路の反対側に、いまもその勇姿を見せています。

クロパトキン将軍は、司馬遼太郎の坂の上の雲などでは、矮小な将軍として描かれていますが、彼は日本でいう陸軍士官学校を首席で卒業したロシア陸軍のエリート中のエリートです。
プラハ遠征、サマルカンド攻略戦、サハラ遠征作戦などに参加して勝利を飾り、ロシア陸軍の誇るもっとも優秀な将官のひとりであり、かつ明治31(1898)年には陸軍大臣に就任しています。
ロシア皇帝ニコライ二世の評価も高く、明治36(1903)年にニコライ二世が来日した際も、来日に同行しています。

クロパトキン将軍は、日本陸軍をたいへん高く評価していて、日露戦争の開戦についても、宮廷内で猛反対を繰り広げた人でした。
皮肉にも、その反対者がロシアの満州総司令官となり、日露戦争を戦うことになったわけです。

彼の作戦は全体でみると、旅順要塞を史上最強の要塞として固め、ここに日本陸軍を釘付けにして、世界最強のロシア太平洋艦隊に、同じく世界最強の欧州バルチック艦隊を合流させ、両艦隊を合わせた史上最強艦隊によって日本海軍を殲滅し、日本陸軍の補給路を断ってこれを包囲殲滅する、というものでした。


以下引きよう元です。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-4063.html#comment63757
20 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する