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2019年02月18日12:57

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中川信夫 「怪談 蛇女」(1968) (神保町シアター)

 神保町シアター。特集「こわいはおもしろい」ホラー・サスペンス
・ミステリー特集。(映画のラインナップはいいんだけど、中川信夫
の「地獄」と成瀬巳喜男の「女の中にいる他人」が同じ特集って(^▽^;))

 「怪談 蛇女」は、東映CHで放映されたのを観たことがあり、その
ときの感想がこちら。https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1764001175&owner_id=6645522

 Movie Walker https://movie.walkerplus.com/mv22283/
 またも、あらすじがかなり映画と違っているので、正確なあらすじを
まとめてくださっているページをリンクしときます。
http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou55/kaidanhebionna.html

 冒頭から、中川信夫監督の妙手に圧倒される。
 予告編がネットにあがっているので、できれば観ていただきたいのだが、
暗闇の中、棺桶のタガがばらりと外れて、亡霊が出現する見事なイントロ。
 明治初期、強欲な地主に虐げられる、小作人たちの生活を象徴するかの
ように、画面の上下に黒帯がでて、小作人たちの働く姿が、まるで横長の
スリットの中にうごめくように描かれる。物語冒頭から、一瞬、「え?」
と唖然とする映像である。横長のスリットのあとは、ほぼ普通の映像に
なるが、やはり左右に黒帯があって、スクリーンいっぱいの映像になるまで
数カットかかる。

 この地方一帯を支配する地主、大沼長兵衛(河津清三郎)が馬車に
のって山道を走っている。視点は長兵衛の視点で、疾走する馬と山道が
正面にみえる。そこへ突然、馬車にとりすがる男(=弥助。西村晃)の
映像がわりこむ。肺病を病んで、借金のかたに土地をとられた弥助が、
病身をひきずって、長兵衛に嘆願にきたのだ。長兵衛は相手にせず、
弥助は馬車から振り落とされるように、路傍に力つきて倒れてしまう。

 この無理がたたって、弥助は死に、妻すえ(月丘千秋)と娘あさ
(桑原幸子)が残される。長兵衛はこの母娘を自分の屋敷へ連れ帰るが、
もちろん、すえには長兵衛が、あさには、息子、武雄(山城新伍)が
よからぬ下心を抱いていたのだった。

 武雄の結婚話がでた日、迷いでてきたへびを殺さないでくれ、
と頼んだすえは、長兵衛に足蹴にされ、薪に頭をぶつけてそれが
もとで死ぬ。

 両親を失ったあさを、幼馴染みの捨松(村井国夫)が、きっと一緒に
なろう、と力づけるが、あさは、武雄に乱暴され、捨松にもそれを
なじられて、自殺してしまう。

 それから地主一家には、弥助一家の亡霊が蛇の姿を借りてつきまとう
ようになる。

 思わずぞくっとする映像が次から次へ、まさに数えきれないが、
たとえば、仏壇に蛇が落ちてきて、刀で長兵衛がきりかかってみると、
その仏壇裏が、常々すえがランプを磨かされていて、長兵衛がすえに
色目をつかった部屋だったり、武雄の新妻が寝所で鱗にまみれた、
まさに「蛇女」に一瞬のうちに変貌したり、政江が嫁の給仕で食事を
しようとすると、飯びつの中に蛇がとぐろを巻いていたり。
 テレビでは、「蛇女」の映像はさほど気持ち悪いと思わず観ていた
のだが、やはり映画館の大スクリーンでみると違う。

 それと、このような「因果応報」タイプの怪談は、「仕事人」
シリーズと一緒で、祟る側よりも祟られる側の演技によって、恐怖や
現実味が増すのだ、と実感した。具体的には山城新伍と河津清三郎。
 特に山城新伍は、本当にあざとい役柄を死ぬまであざとく演じて
おり、「蛇女」になってしまった新妻の首を締めてしまうところ、
恐怖にかられ、鎌を持ち出してやみくもに暴れ回ると、いつしか、
あさが生前、機を織っていた機織り小屋へ来てしまい、あさの亡霊を
みて、逃げようとして階段からおち自分の鎌で醜い最後をとげる
ところ、まさに「因果応報」、思わず「ざまあみろ」と思わされて
しまう。

 武雄の死後、お祓い人が呼ばれ、仏壇の前に奉公人たちが集め
られるが、突然の大地震。長兵衛の眼には居並ぶ奉公人たちが、
お遍路姿に見え、その上すえや弥助の亡霊が現れて、長兵衛はまたも
刀を持ち出して斬り掛かるが、なんとそれは自分の妻、政江だった。

 そして仏壇がみるみるうちに奥にひっこむと(このシーンも秀逸
)、いつのまにか長兵衛は裏のランプ部屋にきており、すえとあさ
がランプを磨いている。

 長兵衛は完全に気が狂い、武雄が死んだ機織り部屋がいつのまにか
墓場になったり、沼になったりする。最後には、長兵衛は崩れ落ちて
きた2階の下敷きになり息絶える。

 ラストはこれも中川監督らしく、非業の死をとげた弥助一家と
捨松がお遍路姿で、光の中へ静かに歩んで行き、成仏をとげたことを
暗示して終わる。

 中川信夫監督は、実は、怪談映画は多くなく、文芸映画に傑作が
多い、というのが私の持論だが、独特の人の心の背後からスルリと
入り込んで来るような映像は、古風な怪談映画に本当に向いている
ということは確かだろう。
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