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2019年02月12日13:23

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野崎正郎 「広い天」(1959) (ラピュタ阿佐ヶ谷)

 ラピュタ阿佐ヶ谷、開館20周年記念。ピッカピカニュープリント。

 Movie Walker https://movie.walkerplus.com/mv26021/

 空襲が激しくなった昭和20年の東京。母と別れて、疎開先である、
父の郷里、広島へひとりで向う新太郎少年は、顔の長いひげづらの
「おじさん」と乗り合わせた。おじさんと向かい合って、「もしかして
悪い人だったらどうしよう」と不安になる新太郎…

 突然の空襲で、列車は止まり、避難する人々の混乱の中、新太郎は、
行く先を書いた紙片を紛失してしまう。新太郎は級長をつとめるほどの
利口な少年だが、さすがに行く先までは覚えていない。

 途方に暮れる新太郎を慰めたのは、向かいの席にいた「ウマおじさん」
(伊藤雄之助)だった。小杉朝雲という、しかめつらしい名前の
おじさんは、星がふるような、広い夜空を見上げ、大空を見上げて
いれば、戦争なんて忘れる。元気をだせ、と励ます。

 おじさんは、行くあてのなくなった新太郎を、自分の故郷である
四国に連れ帰り、兄のもとに身を寄せた。新太郎は早速、母に無事を
知らせようとするが、投函したハガキは返送されてきてしまう。
空襲の混乱か、母の行方もわからなくなってしまったのだ。

 四国で暮らす新太郎は、何かにつけていじめられるが、かばって
くれたのはいつも「おじさん」だった。

 やがて戦争が終わり、「おじさん」は懐から古い布包みを取り出した。
そこに包まれていたのは、彫刻用のノミだった。正体不明だった、
「おじさん」は、彫刻家だったのだ。

 「おじさん」は何かにつかれたように、木材に向かい、一緒に夜空
を見上げていたときの新太郎をモデルに「広い天」という少年の
素晴らしい彫刻を彫り上げる。

 このときの鬼気迫る伊藤雄之助の演出が素晴らしい。それまで、
兄の家の厄介者(しかも、何のゆかりもない子連れ)であった、
朝雲が、せきをきったように、戦時下で押さえつけられていた芸術
への情熱をぶつける。アップでとらえられた伊藤雄之助の表情は、
それまでの、「優しいおじさん」とは一変している。

 朝雲は、この彫刻を東京の展覧会に出品するために単身上京する。

 この「広い天」は大評判をとり、偶然、その彫刻を取材にきた
記者が、なんと新太郎の父であった。新聞に掲載されたその写真を
みた母がそれと気付き、朝雲に連絡をとる。

 一方、新太郎は、おじさんのいない生活に耐えかねて、家を
飛び出し、それと知らずに闇船にのってしまい、警察に保護される。
両親が迎えにくるのも知らず、新太郎はまたも四国を飛び出し、すれ
違いになる親子。しかし、朝雲は、「広い天」の彫刻が公開されて
いる美術館に新太郎は来るに違いない、と考え、ついに美術館の前で
親子はめぐり会う。

 戦争の混乱のさなか、こうして行方不明になる子供は数知れず
いたであろう。そしてその多くが不幸な結末を迎えただろう。

 しかし、この映画はそういう不幸を描かず、心優しい「おじさん」
と新太郎少年の交流が、親子の再会というハッピーエンドを迎える
までの優しい物語をつむぐ。

 アクの強い役柄を演じることの多い伊藤雄之助が、めずらしく
心優しい芸術家を演じているのが、このおとぎ話めいた話に
よく似合っている。

 新太郎が、自分も朝雲にならって小さな兎の木彫りをつくって
持っており、それが朝雲に認められる、という結末もいかにも
話の流れにふさわしく、戦争に押しつぶされることのない、
人の優しさ、出会いの不思議さを物語っており、観賞後、
心からほっとする映画である。ニュープリントになったのを機に
より多くの上映機会があることを願わずにはおれない。
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