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2019年01月29日09:03

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日本は戦争をしていたが、蒋介石はビジネスをしていた(>_<)

China事変(1937〜1941)のとき、大陸で負け続けた蒋介石がなぜいつまでも日本に抵抗し続けたのか。
その答えが今日のタイトルにある「蒋介石はビジネスをしていた」です。
当時米英仏ソは、義和団事件(1900)年の戦後処理としての北京議定書(1901)によって、Chinaの大半の地に、すでに大きな利権をもっていました。
日本が勝てば、彼らはその利権を失います。
けれど、蒋介石が日本に抵抗し続けていてくれる限り、彼らはその利権を守り通すことができました。
つまり蒋介石と米英仏ソは、利害が一致していたのです。

そのため米英仏ソは、蒋介石に莫大な戦費や物資の援助を行っていました。
このことを蒋介石の側から見ると、彼は日本と戦い続ける限り、兆円規模の莫大なお金が天から降ってくることを意味します。
その額は、どんなに頑張っても商業や製造業では、決して手に入れることができない額です。
ありえないような巨額の利益が、ただ「日本に抵抗」していさえすれば手に入ったのです。

英国は1939年に1000万ポンド(現2500億円)、1940年に1000万ポンドを蒋介石に貸与してます。
貸与というのは貸し与えたということですが、国際社会において借りたお金を返したのは、日露戦争のときの日本と、南北戦争のときの南軍の借金を肩代わりして返済した米国くらいなものです。
国際社会では、借りたお金は返さないのが常識です。

フランスは1938年に1億5000万フランを貸与、1939年に9600万フランを蒋介石に、こちらは無償援助しました。

ソ連は1937年に航空機900、戦車200,トラック1500,銃15万、砲弾12万発、銃弾6000万発を蒋介石に提供し、1939年には1億5000万ドルを援助(現6400億円)し、さらにソ連空軍が密かに参戦しています。

米国は1927〜41年に4億2000万ドルを無償援助、1940年に50機の新鋭戦闘機、装備、武器、弾丸150万発を援助、1941年に100機の戦闘機を援助、259名の米空軍パイロットを義勇兵の名目で中国空軍に参戦(フライング・タイガース)させ、さらにトラック300台と5000万ドル分の軍事物資を供与して、米軍事顧問団を派遣、また、500機のB-17爆撃機を援助しています。



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