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2018年12月14日16:06

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表現モノの審査は、趣味・嗜好抜きに出来ない。

とろサーモンに苦情、宮崎知事選の公報写真差し替え
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5417545

このニュース。武智氏の「更年期」は、暴言と思われても致し方ないかも知れないが、久保田氏の「好き嫌いで選ばんとって下さい。」は暴言ではないと思う。これは、依頼だよね。「そういう選び方はしないで下さい」という。
久保田氏がやたら叩かれているけれど、私は、彼、凄いなって思うんだ。昨年M-1チャンピオンになったのだがら、元ハリガネロックのユウキロック氏が言うよに、高見の見物も出来たはずなのに、それが出来なかった。泥水を啜った時期が長かったから、若手芸人や賞レースに対する思いも人一倍あったのだろうとも思う。

久保田氏が「こっちは真剣にやっているのだから、好みで選ばないで下さい。」と言いたくなる気持ちは分かる。
でも、これだけは言いたい。
表現モノにおいて、個人の趣味・嗜好を100%排除し、100%客観だけで審査するコトなど出来ないのだと。
なので、久保田氏のこの依頼に対しては「そう言われても出来ない。」としか回答のしようがない。芸歴16年。とろサーモンも色々な賞レースに出ているはず。それを分かっていたとは思うのだが。

今回は、上沼さんの件だが。
確かに、上沼さんは、好みで評価した。
ギャロップの時に「自虐ネタは基本的にウケない」と言ったのに、後のミキには「ミキの自虐は明るい。」と言って高得点を入れた。
この発言って、大変矛盾しています。でも、「私は、明るい自虐ネタは好き(好み)なので、ミキには高得点を入れる。」ならば、それは矛盾にならないんだ。
確かに、上沼さんはジャルジャルにも「このネタ嫌いやは〜。」と言って、低い点を付けたり、好みが前面に出過ぎてしまった部分はあると思う。でも「好みで評価する」の部分は、誰も、否定は出来ないはずなんだ。何故なら、全員そうだから。全員好みで審査する部分があるから。

上沼さん以外でも、あの中の審査員で100%自分の好みを排除して審査している人なんていない。M−1に限らず、漫才やお笑いに限らず、絵画でも、映画でも、表現モノの審査は必ず好みが入ってくる。

今回不思議なのは、私が知る限り、この件でコメントを出してる人が誰も「100%自分の趣味・嗜好を除いて審査するコトは出来ません。」と言わないコト。数年前のM−1で「う〜ん。ここまで来ると好みなのよねぇ。」と明言した松本氏すら、その点には触れていなかった。何故?これは、言っておかないと駄目だと思うんだ。
今回の松本氏のあのコメントは、上沼さんというより、M−1という番組を守らなくてはいけなくて、それだと「好み」という言葉を使うと、又炎上するかな?と思ったから言えなかったのかも知れないけれど。

今回のM−1の審査で言ったら、富澤氏の「ジャルジャルの漫才はマシンみたいで。もう少し人間味が欲しい。」と言ったのも好み。何も、マシンみたいなロボットみたいなネタがダメなわけではないんだ。富澤氏は、それより「人間味が出てるネタの方が好み」というコトだ。志らく氏がトム・ブラウンを評価した時「私は、変わったネタが好きなのかな?」と言っていたが、それも好み。おそらく、彼は談志氏同様、イリュージョンを見せるようなネタが好きで、トム・ブラウンを評価したのだろう。かつて、談志氏がラーメンズを高く評価したように。

今回の武智氏と久保田氏の1番のミスは、酒宴の席で、これを行ったコト。酒宴の席で酔って批判すれば、例えまっとうなコトを言っても「酔っぱらいの戯言」に聴こえてしまう。本当に、物事をきちんと批判したい場合は、冷静に論理的にやらないと駄目なんだ。
今回だったら、例えば、塙氏や富澤氏を呼び(上沼さんでも良いが、上下関係の厳しいよしもとで、面と向かって先輩芸人に意見を言うのは無理だろう。上下関係がゆるい人力舎なら出来るかもだが(笑))、審査員の立場からの意見をききつつ、「では、審査方法をこう変えたらどうだろう?」と提案するんだったら良かったのだと思う。
ただ文句を言ったり、「好き嫌いで選ばんとって下さい。」と依頼するだけでは駄目なんだ。その代案を立てなければ。

ただ。その代案も難しいだろうとは思う。
現状出来るのは、「ネタの構成を評価する人」「ネタの新しさ、アイディアを評価する人」「芸人の仁(にん)を評価する人」など、評価のポイントが偏らないように、審査員に配慮するくらいしか出来ない。(この評価ポイントってのが、そもそも好み、趣味嗜好ね)

私は、M−1やKOCの日記を書くたびに書いてしまうのですが。
私は、表現モノに点数を付けるコトを本来好みません。趣味・嗜好が色濃く反映される表現モノに点数を付けても無意味だと思うからです。
ゴッホ、モネ、ルノアール、ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ、ダリ、ミレー、ピカソ。これらの画家の絵を並べ、「どれが1番か点数を付けなさい。」と言っているような物だと思うからです。
印象派好きが多い日本できけば、おそらく1位になるのはモネです。でも、私は、明暗がはっきりしていてヌードと血が出てる絵が好きなので、カラヴァッジョを1位にする。光が多すぎるモネは最下位にする。ただ、それだけのコトなんです。

又、表現モノの評価など、時代によって変わってしまう。今は重要文化財指定の青木繁の『わだつみのいろこの宮』は、展覧会に出品した際、最下位の三等末席でした。失意のまま、青木は故郷に戻り死んでしまう。私はこの時、1位を取った絵を観たコトはないのですが、美術ジャーナリストの山田五郎氏は観たコトがあるらしく、美術番組で「(1位になった絵は)凡庸でつまんない絵なの。わだつみのいろこの宮の方がずっと良い。」と言っていました。
じゃあ、当時の審査員は皆ぼんくらだったのか?
違うと思うんです。時代が変わって評価が変わった。ようは世間の好みが変わったのです。
表現モノとは、そういう物なのです。

M−1の良いところは、本来の芸人の職業であるネタをゴールデンタイムで出来るコト。しかも、高視聴率を取る。そこで、知名度のなかった芸人を皆が知って、彼らの仕事が増え、彼らの思う形で芸人として糊口を凌ぐことが出来れば良いと。その為には、きっと、バトル形式も仕方ない。こういうバトル形式にしないと、皆、なかなかネタ番組など観てくれないでしょうしね。

表現モノの審査は難しいです。フィギュアのように、拍手笑い1回で1ポイント等、そういう明確な基準もないわけですから。そして、人は、どうしたって100%趣味・嗜好を除いて表現モノを評価するコトは出来ないのだから。
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