来年1.30(水)、サムライ・シローこと越中詩郎の40周年記念大会「侍祭り」が後楽園ホールで行われます。
…という事で、チケットを手続きしましたヽ( ̄▽ ̄)ノ
越中の名前を聞いたのは、まだ私が高校生の頃。
近くの席に私よりも熱意有るプロレスファンがおり、どういう文脈だったか「全日の若手越中のサインを貰った」と言っていたのです。
月刊誌だった「プロレス」が週刊化され、今に繋がる週プロが始まった頃ですが(週刊ゴングは少し後)、当時は若手選手に注目…という事はあまり有りませんでした。
それが変わったのは、UWF勢&ジャパンプロレス勢離脱後の新日で、選手不足を補う為、若手選手を一気に売り出してからでしょう。
因みに当時の「若手選手」には、後の闘魂三銃士や獣神サンダー・ライガーらがおりました。
そんな状況になる前の話ですから、「越中?う〜〜ん…なんか聞いた事が有るような無いような…」という感じでした。
その後、メキシコで一緒だった三沢(故人)が呼び戻されたのに焦り、新日の坂口に誘われ移籍したと言われています。
そして移籍した新日、当初はファイトスタイルの違いなどから、浮いているような感じも受けましたが、それが一変したのは旧UWF勢の新日Uターン参戦です。
越中同様、ジュニアヘビーとされた「青春のエスペランサ」ことUWFの高田延彦との戦いで、一気に注目を浴びるようになりました。
一方的に蹴られるばかりだったのが、回数を重ねるにつれ、キックをキャッチして反撃していく…
そんな不屈の闘志に共感する人が多かったのでしょう。
2人の戦いは「新名勝負数え歌」、そして耐え続ける泥臭い姿は「ド演歌ファイター」と呼ばれました。
暮れのタッグリーグにはその高田とのコンビで活躍、この頃が越中の第一次黄金期でしょうか。
間も無くプロレス史に残る前田の長州顔面蹴撃事件が有り…
UWF勢が分裂。
この時、高田は越中をUWFに誘ったとも言われています。
越中はヘビーに転向しましたが、闘魂三銃士の影に隠れ、トップと中堅の間辺りにいましたが、誠心会館との抗争を経て結成された反選手会同盟、後の平成維震軍でまた大ブレイク。
第二次黄金期、今の越中のイメージが出来たのはこの時期ではないでしようか。
WARとの戦いは熱狂しました。
一時、平成維震軍で独自興業を行った時期も有りましたが、反体制が旗印の維震軍も、団体となってしまうと体制側に…
その矛盾によるものか、長州率いる昭和維新軍との抗争も有りましたが、この興業は今ひとつ盛り上がらずに終わってしまいました。
その後平成維震軍自体は解散、越中は新日本隊に復帰、そしてWJ移籍を経てフリーとなりました。
平成維震軍解散から長い年月が過ぎましたが、単発とは言え、今でも色々な興業で当時のメンバーと平成維震軍として戦っています。
プロレス界には、今まで多くの軍団とかユニットが有りましたが、その団結力はビカイチと言えるのではないでしょうか。
実は私も平成維震軍Tシャツを持っています。
当日はこれを着て後楽園ホールへヽ( ̄▽ ̄)ノ
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