以前、「戦犯」の問題について書いたように、「夏が来れば思い出す」というタイトルで、何度か前の戦争について触れてきました。
今年は夏が過ぎてしまいましたが、やはり書いてみる事にします。
さて
今ごろ?と言われそうですが、先日「永遠の0(ゼロ)」を読みました。
なんだか戦争賛美とか、物議をかもした一冊ですが、話題になっている時に読みたくない…といういつものひねくれた思いで今まで読んでいなかったのです。
少々話は逸れますが、私が小学生の頃、太平洋戦史アニメ「決断」というのが有り、それから歴史好きだったりミリタリーマニアだったりした為、おそらく先の戦争に関して、戦況の推移とか歴史的背景とか、同年代の平均よりは知っている方だと思っていますし、それらから導いた自分なりの考えを持っています。
「戦争は悪である」
それは誰もが分かっていても、軍備がいらない時代はまだ当分先の事でしょう。
そして不幸にして戦争になってしまった時、どんな国でも「勝利」を目指すのは当然ですし、軍人としては戦うしか有りません。
「永遠の0」は、特攻して亡くなった隊員の孫の姉弟が、祖父の事を調べようと思う事から始まります。
戦友会を通して、祖父を知る元軍人に会って話を聞くのてすが、ある人は祖父を臆病者と罵り、またある人は最高のパイロットと讃える…
何人もの人と会って行く中で、だんだんと祖父の実像が明らかになってきます。
近年、貧富差が拡大していると言われていますが、戦前のそれは今よりも遥かに大きなものでした。
2・26事件などが起きた背景には、そうした歪みが有った事は間違い有りません。
その一方、軍部の独走に伴い、報道の自由は失われ、平和を訴える報道機関の声は消されていった…
一般的にはそのようなイメージが有るかもしれません。
しかし、そればかりでなく軍部に批判的な記事を書いた事で不買運動にさらされ、好戦的な記事を書くよう、「自ら」軌道修正した大新聞が有りました。
以前「戦犯」について書いた文章のように、私は28人の所謂「A級戦犯」とされた人々があの戦争を起こしたとは思っていません。
国内外の色々な思惑があのような形となったものでしょう。
あえて、国内で「A級戦犯」的存在を上げれば、前述のような無責任な報道機関ではないでしょうか。
圧政に苦しむような国ではしばしば自由の象徴のように見られる報道機関ですが、必ずしもそればかりとは言えません。
「永遠の0」では、戦時中「軍神」と讃えられ、戦後は一転して「戦犯」扱い…という場面が有ります。
これは生き延びる為、国の為と戦ってきた人には堪らない事でしょう。
読んだ感想が人それぞれなのは当然ですが、私はこれが戦争讚美だとは、とても思えませんでした。
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