mixiユーザー(id:9213055)

2018年10月13日16:52

2215 view

10月国立劇場/23年ぶりの「平家女護島」がおもしろい

18年10月国立劇場・通し狂言「平家女護島」


芝翫熱演・ダイナミックな最終場面も見どころ


「平家女護島(へいけにょごのしま)」は、歌舞伎の人気狂言なので、特に、「俊寛」は、歌舞伎座などでもよく上演される。しかし、「平家女護島」を「通し」で観る機会を得るのは、なかなか難しい。今月の国立劇場は、国立劇場としては、23年ぶりに「平家女護島」を通しで上演する。「平家女護島」は、軍記もの古典的作品「平家物語」の世界を題材としている。近松門左衛門が1719(享保4)年に大坂・竹本座の人形浄瑠璃初演用に書き下ろした全五段構成の時代もの。翌年には、歌舞伎でも上演された。

平安時代末期の権力者・平清盛の悪逆非道とそれに翻弄されながらも立ち向かう人々の苦悩や戦いぶりを描いた名作。私は、歌舞伎で「平家女護島」の「通し」を観るのは、今回が初めてだが、人形浄瑠璃では、17年2月の国立劇場小劇場が、国立劇場開場50周年記念として「近松名作集」と題して「平家女護島」を上演した際に初めて拝見した。その時の場の構成は、次の通りであった。「六波羅の段」、「鬼界が島の段」、「舟路の道行より敷名の浦の段」。

今回の歌舞伎の場面構成は、三幕四場で、以下の通り。

序幕「六波羅清盛館の場」、二幕目「鬼界ヶ島の場」、三幕目「識名の浦磯辺の場」「同 御座船の場」。歌舞伎では、「鬼界ヶ島の場」は、通称「俊寛」として親しまれ、繰り返し上演されてきた。俊寛も清盛も平安時代末期の実在の人物で、史実を下敷きに虚実取り混ぜて、平家物語をベースに近松門左衛門が劇的な世界を構築した。今回の上演は、国立劇場が、1967(昭和42)年の上演に際して「六波羅清盛館の場」を復活、さらに1995(平成7)年の上演で、「識名の浦の場」を復活し、今回のような「通し狂言」として再構成した。今回は、さらに、1963(昭和38)年の歌舞伎座所演本(武智鉄二脚色)も参照して補綴した、という。見逃せない公演だろう。


人形浄瑠璃「平家女護島」


人形浄瑠璃としての原作全五段の主な内容は、以下の通り。
初段:平家に囚われの身となった俊寛の妻・あづまやが平清盛から辱めを受ける前に自害する。二段目:後白河法皇対平清盛の対立という構図中で、いわゆる「鹿ケ谷の陰謀」(清盛打倒計画)露見で、俊寛らは鬼界が島に流される。事件から3年後を描くのが「鬼界が島」。通称「俊寛」。上演が長らく途絶えていた人形浄瑠璃「平家女護島」は、1930(昭和5)年、まず「俊寛」が復活した。三段目:朱雀御所、巷説「吉田御殿」(大奥のような女性ばかりの居住で、「女護島」と揶揄された)に居住する常盤御前は、源氏再興の望みを腐心する。義経の母・常盤御前は「一條大蔵譚」という演目でも、清盛を呪い殺そうとする場面がある。1957(昭和32)年復活。四段目:悪逆非道な権力者・清盛の末路。五段目:源氏が平家を追討する文覚上人の夢。
(注:人形浄瑠璃と歌舞伎では、「あずまや」、「東屋」、「鬼界が島」、「鬼界ヶ島」などと若干表記が違うが、それぞれを尊重して、表記した)

「平家女護島」という外題は、三段目「朱雀御所」由来する。竹本の語り出しが、「朱雀の御所は女護島(にょごのしま)」とある。平清盛の愛妾となった常盤御前と侍女たち、つまり女性のみが住む男子禁制の御殿である。牛若丸(後の義経)も、御所の出入りでは、女装して腰元に化けている。巷説「吉田御殿」は、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿子の振袖で」という俗謡にもあるように、吉田御殿に住む千姫が美男と見れば屋敷に引き入れたという巷説にちなみ、朱雀御所が「吉田御殿」になぞらえられた、という。

「鬼界が島」の世界は、まさに俊寛の物語。しかし、「六波羅の段」、「鬼界が島の段」、「舟路の道行より敷名の浦の段」を通して観ていると、清盛を極度に憎々しい人物だ、という印象がとても強く打ち出されていることが判る。平清盛対俊寛と俊寛を慕う人々との対決。この対決、前半は、入道清盛の代行人・瀬尾太郎兼康と俊寛が直接ぶつかる。島の娘・千鳥が俊寛の助勢をする(後半の伏線)。後半は、入道清盛と俊寛・東屋を父母と慕う千鳥が直接ぶつかる。「鬼界が島」だけで千鳥を見ているとわからない千鳥の性根が見えてくる。通しでこういう風に対決の実相を見抜いてしまうと、鬼界が島の娘・千鳥が、非常に重要な登場人物として浮き上がってくるのではないだろうか。「鬼界が島」だけでは、原作者・門左衛門の意図が理解できない。通しで観た人形浄瑠璃「平家女護島」の上演は、平清盛の物語としての上演だった。その清盛に対抗する人物として、可憐な島娘という触れ込みのスーパーガール・千鳥を門左衛門は創造したのだろう。「平家」=清盛対「女護島」=東屋・千鳥。外題に隠された暗号は、千鳥の物語、という、この物語の本性を読み解かなければならない。今回の歌舞伎上演も、人形浄瑠璃の、この本性の筋は、概ね踏襲しているように思った。国立劇場歌舞伎の舞台に目を移そう。それにしても、客席は、ガラガラであり、芝翫一座の熱演ぶりがもったいないような光景。役者もやりにくいのではないか。


歌舞伎通し狂言「平家女護島」


序幕「六波羅清盛館の場」。六波羅にある清盛館は、客席から見ると左右対称。黒塗りの階、黒塗りの手摺りに柱、壁や襖は、金色。上手下手の、合わせて2枚の金地の壁画には一番(ひとつがい)の孔雀の絵だろうか。色鮮やかな羽に赤い尾をつけた大きな鳥が画面いっぱいに舞い飛んでいる。平治の乱に勝利し、覇権を握った平相国入道清盛。清盛館に俊寛の妻・東屋(孝太郎)が、清盛の重臣・越中盛次(松江)に連行されて花道からおずおずとやってくる。夫の俊寛や後白河法皇の平家打倒の陰謀が発覚し、夫らが鬼界ヶ島へ流罪となった後、洛中に潜んでいたが、捕まってしまったのだ。東屋は太い縄で後ろ手に縛られている。花道から本舞台中央へ引っ立てられてきた。館の座敷の御簾が上がると中央に清盛(芝翫)が座っている。金ぴかの衣装を着ている。裏切り者の俊寛を激しく憎んでいた清盛だが、東屋を一目見ると気に入ってしまう。好色なのだ。東屋を側女に所望するが、東屋は、自分は俊寛の妻だと言って、清盛を拒絶する。一人残った東屋に清盛の甥の能登守教経(橋之助)が、奥から出てきて、声をかける。東屋に「清盛の欲情に屈しもせず、貞女の道をも立てられる方策があるのでは」と謎をかける。つまり、清盛の手が入らぬうちに自害せよ、俊寛のために女の操を守れ、と言葉の裏に滲ませる。教経の温情あるサゼッション(封建的だが)を理解し、俊寛への操を守り自害する東屋。「あっぱれ貞女」と、教経。東屋の首を刎ね、介錯する教経。東屋の死を知って、清盛館に乱入したのは、俊寛の郎等・有王丸(福之助)。怪力ゆえに清盛館の侍たちをなぎ倒す。教経は、有王丸に東屋の首を渡し、主人の俊寛のために無駄な死は避けるべきだと諭す。有王丸は、教経の意向を受け止め涙をこらえて、東屋の首を確かめると、傍に首を抱えて六波羅を立ち去る。

二幕目「鬼界ヶ島の場」は、通称「俊寛」と基本的な筋は同じ。幕が開くと、浅葱幕。「元よりこの島は、鬼界ヶ島と聞くなれば」、幕の振り落しで、舞台中央奥、下手の岩組の後ろから俊寛(芝翫)が出てくる。やがて、花道から若い同志たち、平判官康頼(橋吾)と丹波少将成経(松江)、成経の許嫁となる島の娘・千鳥(新悟)が、登場。早3年間の流人暮らし、成経と千鳥の祝言、御赦免船の到着とその後のトラブル、つまり、成経の妻となった千鳥の乗船問題、中でも、御赦免船に乗ってきた上使(清盛の代行者)の瀬尾太郎兼康(亀鶴)殺し、同じく上使の丹左衛門尉基康(橋之助)の俊寛らへの情味ある対応など。お馴染みの展開が続く。「俊寛」だけの、いわゆる「みどり上演」だと、俊寛の妻・東屋を殺したのは瀬尾太郎だと本人自身が俊寛に教える。それゆえに、俊寛の瀬尾殺しは、妻の命を奪った張本人を討つことになる。しかし、通しを観ている私たち観客は、「六波羅清盛館の場」ですでに東屋は自ら命をたったことを知っている。

俊寛は、島の海女(海士)・千鳥と成経が夫婦の約束を交わしたことは、康頼に聞かされて初めて知るとしても、孤島で3年間も一緒に暮らしていて、千鳥と成経が恋仲だろうということは、とうに知っていたのではないか。海女としての千鳥の優秀さも知っているのではないか。康頼が、花道で千鳥を呼び寄せ、連れてくる。俊寛は、この場面で都に残さざるをえなかった妻の東屋への恋慕の情を募らせながら、成経に千鳥との馴れ初めを語らせる。ふたりの話を聞き、感動を深める。若い男女の出会いは、容易に自分と東屋との、遠い昔の出会いを連想させる。この芝居で、俊寛が唯一、嬉しそうな、優しい表情を見せる、和やかな場面がしばらく続く。俊寛は、千鳥を娘のように思い、ふたりに祝言を挙げるように、と勧める。山の清水を酒に見立てて、盃(鮑の貝殻)を交わさせる。祝いにと瞬間が舞を舞う。そこへ、沖に見慣れぬ船が見えることに気が付く。

「鬼界ヶ島の場」、その幕切れの場面、地の文は別にして、原作の台本にある科白は、「おーい、おーい」だけなのである。まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉である。船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘・千鳥と、ついさきほど祝言を上げた若い仲間の成経がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと自らの意志とはいえ自分だけ残された悔しい気持ちを俊寛は持っている。未練を断ち切れない。揺れる心。孤独感が募る。俊寛は、普通の、普遍的な、人間なのだ。「思ひ切つても凡夫心」。

俊寛役者は、この場面をいく通りにも解釈をし、幕切れの最後の表情をいろいろ工夫して演じてきた。「虚無」、「喜悦」、「悟り」などなど。初代吉右衛門系の型以降、いまでは、この後の場面で俊寛の余情を充分に見せるような演出が定着している。どの役者も、そこがやりがいと思って演じるので、ここが、最大の見せ場として定着している。いろいろな解釈をする役者たちの演技を私も観てきた。

今回の芝翫は、「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの果ての『虚無』の表情」であった。なにしろ、「おーい」「おーい」「おー」「おー」が多数発せられる。最初は観劇の記録に残そうと、勘定をしながら芝翫の俊寛を観ていたが、本舞台、花道と移動しながら、叫ぶ「おーい」「おー」は、数が分からなくなるほど多かった。「凡夫」俊寛の人間的な弱さか。「虚無」の表情を歌舞伎というより現代劇風(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、情感たっぷりに虚しさを演じていた先代の猿之助に芝翫も近いのか。十八代目勘三郎演ずる俊寛の最後の表情も、この系統で、「虚無的」な、「無常観」が感じられた。芝翫もこの系統だろう。汗か、涙か、芝翫の顔は、幾筋も光って見える。悟りきれない俊寛がそこにいる。弱い人間の悔しさは近松門左衛門の原作のベースにある表情なのだ、と思う。

「俊寛」のみどり上演をしたことがある芝翫は、「島に一人残された俊寛の悲しみを(二幕目の「鬼界ヶ島」)終演後もひきずってしまう」が、今回は、引き続き、三幕目の「識名の浦」で、清盛を演じなければならないので、「今回は、清盛と俊寛を切り替えて、しっかりと勤めたい」と楽屋で話している。


千鳥という娘の謎


千鳥は、鬼界ヶ島でも、ちょっとした立ち回りを見せていたが、「敷名の浦」では、実は、大活躍することになる。

人形浄瑠璃に戻ろう。というのは、国立の、今回の歌舞伎「平家女護島」は、人形浄瑠璃に近い。ということは、門左衛門の原作に近いのだろう。「鬼界が島に鬼は無く、鬼は都にありけるぞや」と千鳥の科白。千鳥のひとり舞台の見せ場。「エエ、むごい鬼よ、鬼神よ、女子一人乗せたとて軽い船が重らうか。人々の嘆きを見る目はないか。聞く耳は持たぬか。乗せてたべ、ナウ乗せをれ」。都からきた鬼とは、ここでは、瀬尾太郎兼康。この科白には親密な関係を作った男との同行を求める若い女性の叫びが素直に出ている。彼女の気持ちには純愛しかない。この辺りは、歌舞伎も基本的に同じ。

さらに、千鳥は次のようなことを言う。「海士の身なれば一里や二里(4キロから8キロの遠泳のこと)の海、怖いとは思はねども、……」。これは、通しでないと判らない、後の伏線。水泳が得意ゆえ、彼女は識名の浦での大活躍となる。

次の場面。この千鳥の嘆きを聞いた俊寛は、次のようにいう。「今のを聞いたか、我が妻は入道殿の気に違うて切られしとや。三世の契りの女房死なせ、何楽しみに我一人、京の月花見たうもなし。二度の嘆きを見せんより、我を島に残し、代はりにおことが乗つてたべ」。御赦免船の上使に向かって言ったはずの科白の結末部分は、千鳥に向かって言っている。俊寛は千鳥のどの情報に反応して、自分は降りて代わりに千鳥を船に乗せる気になったのか。千鳥のミッションは? 三幕目で、謎が解ける。

これに対して、上使の一人、瀬尾太郎は役人として、常識的なことを言う。「ヤア、梟入(ずくにゅう)め。さやうに自由になるならば、赦し文もお使ひも詮なし。女はとても叶わぬ、うぬめ乗れ」。人数ではない。赦し文通りの官僚的対応を最善とする。「梟入」とは、僧侶などへの罵りの言葉だが、この場合は、俊寛への罵り。

これを聞いて、なぜか俊寛はブチ切れて、瀬尾に騙し寄り、瀬尾の腰刀を抜いて斬りつける。ふたりの立ち回りを見ていた千鳥は何をしたか。

「千鳥耐へかね竹杖振って打ちかくる」。このような場面は歌舞伎でも演じる。だが、歌舞伎では、十分に判らない意味が、この「行為」にはあるのではないか。つまり、千鳥の潜在的な「戦闘力」を俊寛は、すでに感じ取ったのではないのか。超能力への期待感。

これらの疑問に対して、三幕目でいろいろ謎解きができる。

人形浄瑠璃「舟路の道行より敷名の浦の段」同様、歌舞伎には三幕目「敷名の浦磯辺の場」「同 御座船の場」がある。人形浄瑠璃では、幕が開くと、舞台は大海原の道具幕。御赦免船は、「鬼住む島を逃れ出で」海上をひたすら走る。道具幕振り落としで、船は潮待ちのターミナル・備後の敷名の浦(現在の広島県福山市)に着く、という演出。歌舞伎では、幕が開くと、舞台上手に御赦免船がすでに停泊している。花道から有王丸(福之助)がやってくる。俊寛の乗っている船を探し訪ねてきたのだ。目的の赦免船と判り、喜ぶも、俊寛が乗船していないことを知らされ、がっかりする。御赦免船に乗っていた成経(松江)、康頼(橋吾)のふたりが、千鳥(新悟)を「俊寛の養い娘」だと有王丸に紹介し、俊寛が島に残った経緯を説明する。東屋を助けられなかった上、俊寛の赦免も叶わなかった。郎等でありながら主従失格の自分が情けなくなり、有王丸は自害しようとする。千鳥らに引き止められる。

そこへ、清盛らが乗る御座船接近が知らされる。御赦免船に若い娘を乗せているのが、これから御座船でやってくる清盛に知れると大変だと丹左衛門(橋之助)の判断で、千鳥は、有王丸とともに陸路先行することになり、花道から去って行く。御赦免船も、一旦、上手に入る。

三幕目「御座船の場」。舞台には海原の道具幕が振り被せとなる。場面転換。やがて、幕の振り落し。幕は、幕下に入った道具方によって下手に運ばれる。厳島神社参詣途中という清盛一行も後白河法皇とともに御座船に乗り、敷名の浦の船着場にやって来る。舞台下手から御座船。朱の衣装と金色の袈裟姿の清盛(芝翫)と紫の衣装と黄色の袈裟姿の後白河法皇(東蔵)のふたりは御座船の上で並んで座っている。遅れて上手から御赦免船となる。丹左衛門(橋之助)は御赦免船の船上から御座船の清盛に俊寛の瀬尾太郎殺しを報告し、成経、康頼のふたりのみ連れ帰ったと伝える。清盛は、それなら、なぜ俊寛の首を討たなかったのかと激怒する。御赦免船は、上手に戻って行く。

やがて、御座船も敷名の浦を離れ、都に向かう。清盛は同船している後白河法皇に源氏に平家追討の院宣など出すなと怒り、法皇に入水を迫る。清盛は最初から法皇の参詣同伴にかこつけて、法皇殺害を狙っていたようだ。嘆き悲しむ法皇を斟酌せず、入水を躊躇する法皇を舟べりから背を押して突き落とす。人形浄瑠璃では、この場面は、もっと過激。「両足かいて真逆様、海へざつぷと投げ込みたり」。清盛は法皇を海に投げ込む。歌舞伎では、浪幕に隠れてセリで下がって行く。「法皇は浮きぬ沈みぬ漂へば」という切羽詰まった状況となり、千鳥の出番となる。入道清盛は、沈み行く法皇を見物している。溺れる法皇。船首を上手に向けていた御座船が、廻り舞台で180度回って、船首を下手に向ける。

「法皇入水」に気がついた千鳥が下手から抜手を切って溺れる法皇に泳ぎ寄ってくる。千鳥は、海士なので海には滅法強い。法皇を助ける。法皇と千鳥は青い浪幕に包まれて、舞台下手に消えてゆく。花道から駆け付けた有王丸(福之助)は千鳥(新悟)から法皇(東蔵)の身柄を受け取ると、法皇を連れて花道から戻って行く。法皇、千鳥を隠していた浪幕が、左右に片付けられる。有王丸は、花道で御座船の船子たちと立ち回りになる。その間に、本舞台は、廻り舞台で場面転換。舞台中央から上手にかけて岩組、綱、碇が置かれている。本舞台での有王丸と14人の船子の立ち回りとなる。有王丸が船子たちを花道に押し出して行く。法皇は、有王丸に助けられて花道から逃げて行く。千鳥と船子たちの立ち回り。本舞台は、廻り舞台で場面転換。御座船は、船首を上手に向ける。船には、清盛が載っている。浪幕と御座船の間を千鳥が泳いでくる。

法皇が助けられたことを知り、怒り狂った清盛は、船から長い槍を使って、海中にいる千鳥を捕まえる。御座船の引き上げられた千鳥は、自分は俊寛の養女なので、清盛は、母(東屋)と父(俊寛)の敵だと言う。「殺されても魂は死なぬ」と、千鳥。それを聞いた清盛は、千鳥を殺す。千鳥を演じる新悟が身体を逆海老に曲げる。柔軟でしなやかな身体。千鳥は海に打ち捨てられてしまう。御座船は、回って、戻って、半回しとなり、船首を客席正面に向ける。船首の先頭部分に清盛が立つ。火の玉が、舞台の左右から、ふたつ出てくる。

舞台は、一天俄かにかき曇り、薄暗くなった中で雷鳴が鳴り出す。その後も、御座船は、くるくると、廻り出す。御座船は、廻り舞台に載って、1回り半回転し、船首を舞台上手に向けて、やっと止まる。上手から、波の上に乗った態の東屋の亡霊(孝太郎)が、滑り寄ってくる。船尾には、千鳥の亡霊(新悟)が、張り付いている。御座船の中央には、ふたつの亡霊に挟まれた形で清盛がいる。人形浄瑠璃の竹本の文句を借りれば、「千鳥が躯(むくろ)より顕れ出づる瞋恚(しんい)の業火、清盛の頭の上、車輪の如く舞ひくるめく」。これでは、さしもの清盛も苦い高笑い。「目口を張つてわななきける」、という有様。清盛は、ぶっかえりで炎の衣装に早替りとなる。女性(にょしょう)ふたりの業火にとりつかれ、燃え盛る地獄の苦しみに落とし込められた清盛は、大見得を切り、壮絶な最期を暗示させる。

本来、人形浄瑠璃では、今回の歌舞伎のような御座船の場面での東屋や千鳥らの復讐の場面は無い。この後も、千鳥は清盛を悩まし続けた上、京都に帰る。清盛館では東屋と千鳥の霊たちが協力しあって、清盛を灼熱地獄に追い立てて、火焔の中で殺してしまうのだが、今回の歌舞伎は、そのラストシーンを清盛館ではなく、御座船と廻り舞台を使ったダイナミックな立ち回りに替えて上演したことになる。千鳥は、俊寛の養女として、義父母の俊寛・東屋の仇討ち成就となる。鬼界ヶ島に残った俊寛は、養女・千鳥がかくなるほどの「武闘派」となることを知ってはいまい。それとも、鬼界ヶ島で彼女の本性を見抜いた上、ここまでの「結果」(仇討ち成就)を出してくれることを予測していたのだろうか。


ふたつの熱演


それにしても、芝翫は熱演。ふたつの場面で熱演ぶりが感じられた。俊寛の鬼界ヶ島での岩組の上での場面。悲しみの熱演。浜辺を横に移動しながら船影を追う俊寛。岩組に登れども、斜面を滑り落ちてしまう。岩組のてっぺん近くで掴まった松の枝が折れると枝を投げ捨ててしまう(ほかの役者は、枝は折れたまま)。「おーい」「おーい」の絶叫が続く。遠ざかりゆく船影に指を広げた右手を真っ直ぐ上に挙げる。暫くすると、俊寛は次第に指を折り始める。合わせて、手を下げ始める。最後に右手は拳に固める。そして、力なく右手を下ろす。右手の動きと変化が、俊寛の後悔、絶望、悲しみを表す。

人形浄瑠璃では、その場面はこうだ。歌舞伎同様に岩組に俊寛は乗る。「思ひ切つても凡夫心、岸の高見に駆け上がり、爪立てて打ち招き、浜の真砂に伏し転び、焦がれても叫びても、あはれ訪(とむら)ふ人とてもなく音は鷗(かもめ)、天津雁(あまつかり)、誘ふは己が友千鳥、一人を捨てて沖津波、幾重の袖や濡らすらん」。芝翫の絶叫と狂乱は、人形浄瑠璃の竹本を正直に歌舞伎に移したようにも感じられる。

特に「伏し転び、焦がれても叫びても、あはれ訪(とむら)ふ人とてもなく」という人形浄瑠璃の文句を芝翫は誠実に丁寧に所作に替えていっているように思えた。芝翫襲名後、初めての国立劇場出演。それだけに力が入っていた。

御座船でのダイナミックな最終場面は、芝翫も熱演しているが、廻り舞台を使った御座船の動きが、ダイナミックで素晴らしかった。歌舞伎の大道具方の勝利。人形浄瑠璃では、実現できない場面だろう。

この2年間に国立劇場の人形浄瑠璃と歌舞伎上演で見えて来たもの。
まず何よりも、近松門左衛門は、権力者・平清盛の極悪非道ぶりを描こうとした。「清盛館」「敷名の浦」の場面で、そのことがよく判るだろう。清盛に果敢に対抗するのは、何と千鳥。鬼界ヶ島では、初々しい娘だったはずだ。命を掛けて最期まで闘い抜く姿に観客は皆、千鳥を見直したことだろう。鬼界ヶ島の場面でも、俊寛に助勢をして瀬尾太郎に向かって行ったのは、この場面に通じるのだということが良く判った。「平家女護島」という外題は、平清盛「対」女護島=常盤御前の女軍団。女護島の背後に控える後白河法皇・源氏と平家の対立の物語、ということだ。

架空の人物・千鳥は、何のために創造されたのか。鬼界ヶ島の場面だけでは、千鳥は都から来た若い男と相思相愛になった島育ちの純朴な娘、というイメージだが、通しで観終わると、彼女のイメージは修正される。原作者門左衛門から託された千鳥のミッションとは、俊寛の清盛に対する怨念の解消だったのではないか。上使・瀬尾太郎を殺すという、新たな罪を背負ってでも、俊寛が御赦免船にどうしても乗せたかった人物が、千鳥なのだ。千鳥の「鬼」認識を思い出そう。「鬼界が島に鬼は無く、鬼は都にありけるぞや」。島にいない鬼とは? 平清盛。都の鬼退治、俊寛・東屋という、千鳥にとっての、いわば「両親」の敵討ち。

贅言;人形浄瑠璃が描写する千鳥の姿

「可愛や女子の丸裸、腰に浮け桶、手には鎌、ちひろの底の波間を分けて海松布刈る、若布あられもない裸身に、鱧がぬら付く、鯔がこそぐる、かざみがつめる。餌かと思うて小鯛が乳に食ひ付くやら、腰の一重が波に浸れて肌も見え透く、壺かと心得、蛸めが臍をうかがふ、浮きぬ沈みぬ浮世渡り、人魚の泳ぐもかくやらん」。色は浅黒いが、兵士としても有能。スリムな体躯を持つ野性美溢れるチャーミングな娘がイメージされるのではないか。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する