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2018年09月24日07:40

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蓼科山365日 9-24-18 法隆寺

今朝はハッキリと秋と思えるような空です。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は秋を代表する句です。正岡子規が松山から上京する途中に立ち寄った法隆寺で詠まれた秋の句だと言われています。

近くに善光寺があり、度々訪れている。特別な意味や目的があって訪れるのではなく、ただ何となく行くだけである。仏像に詳しくはないので、奈良法隆寺の仏像と長野善光寺のそれとの違いは分からない。

心に迷いがあった時に、神様.仏様と手を合わせ、願望を伝えるだけです、一方的です。

百済観音は日本の仏像には珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情で多くの人々を魅了しているという。亀井勝一郎氏は、百済観音の前に立った刹那、深縁をさ迷うような不思議な旋律がよみがえってくる。ほの暗い御堂の中に、白焔がゆらめき立ち昇って、それがそのまま永遠に凝結したような姿に接するとき、我々は沈黙する以外にないのだ、と表現されている。


 はじめて法隆寺にまゐり、百済観音を拝して詠める。

いづくより 来ませし仏か 敷島の 大和の国に 廬して 千年へにける けふ日まで 微笑たまふなり
床しくも 立ちたまふなり ほのぼのと 見とれてあれば 長き日に 思ひ積みこし 憂さり 安けく
なりぬ 草枕 旅のおもひぞ ふるさとの わぎ妹に告げむ 青によし 奈良の都ゆ 玉づさの 文し
おくらむ 朝戸出の 旅の門出に 送りこし わがみどり児も 花咲ける 乙女とならば 友禅の
振袖着せて 窣ゐ行かむぞ このみ仏に

  反歌

現世は めでたきみ代ぞ 平けく 微笑て在はせな 百済みほとけ





森の人
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