今週もそれなりに呑んだ。
水曜はサラリーマンのオアシス新橋、木曜は千ベロの赤羽。
なしごれんの行くところ、安居酒屋ありだ。
そして、週初めの日曜は盟友ろまさんと恒例の中野昼呑みをやった。
正午ちょうどに待ち合わせて呑むからには1軒で終わるわけがない。2軒でも足りん。
結局、3軒ハシゴした。
1軒目は呑み放題2時間一本勝負の店にした。
「このポスターの酒、すげえネーミングだ」 「鬼ごろしなら昔からあるけどな」
「こんなの家で呑んでたらこっちが殺されかねん」 「岐阜県人おそるべしだ」
で、夫婦問題について話し合った。
いや、お互い前の日の土曜の晩はカミさんと二人で外食したんでね。
僕ら夫婦は近所のいつもの店に行った。
お互い7皿ずつ食べて、なんだかそそられた青森名物黒石しる焼きそばなるものも一皿取って分け合った。 僕だけ、ハイボールを2杯呑んだ。
締めて2千5百円也。 実費払いということで僕が1千5百円、カミさん1千円。
一方、ろま夫妻は近所のこの店に行った。シルバー割5%引きがあるんだって。
で、秋刀魚やらなんやらを食べた。鏡月のボトルを入れて、主にろまさんが呑んだ。
締めて6千円也。 ワリカンで一人3千円。
2千5百円vs6千円。 正確には1千5百円vs3千円。。。
次を飛ばして最後の3軒目を先に紹介すると、ろまさん行きつけの洋食屋さんに行った。
よく見えないと思うけど、写真のスナックの向こう側のお店。
カウンターだけのちっさな店で、オーナーシェフが一人で腕を振るう。 エビフライ美味し。 ネバネバ系バクダンっぽい摘まみも美味し。
シェフは元力士にして元行司。 なので、テレビではお相撲中継をやっていて、稀勢の里に土がついた一番を皆で見た。
「まあ、こんなもんだろうな」 「今場所は勝ち越せば御の字だよな」
で、僕が十八番の東北話をした。 岩手の人らの自慢は総理大臣を6人出してること。ただし、米内光正は入れるけど、東条英機は東京者だということで勘定に入れない。 この話を青森の人にすると、決まって返ってくるのがこの答え。
「青森は総理大臣は出してないけど、横綱を6人出してる」
そしたら、シェフがまさにその青森出身の人だった。
そして、本日の日記のメインテーマの話題は2軒目のこの店で出た。
最初はおとなしく酎ハイにしてたのを常温コップ酒、白鶴に切り替えた頃。
こういう安居酒屋にありがちなBGM、70年代の懐メロ歌謡曲に耳を傾けた僕がふと気がついた。
そういえばさ、俺は南沙織一途なことを昔から公言してるけど、君のアイドルが誰なのか聞いたことがない。 何年か前にキャンディーズのファイナルコンサートのDVDだかCDだかを買ってたのは覚えてるけど、あれは本命じゃあるまい。
お前のアイドルは誰なんだ? 聞こうじゃないか。
そしたら、ろまさんが恥じらいを含んだような小声で名前をあげたのはこの人だった。
ということで、クイズです。
ろまさんが好きだったというこの人は誰なのでしょう。この写真を拡大してみて。
わかりますかね。 わざと字が読めそうもない切り抜きみたいな写真にしたんだけど。
この顔写真を見ただけで彼女だと分かった人はかなりの70年代歌謡曲通だよ。
答えはこの人。
僕自身は白鶴呑みながら岩淵リリと言われて、まったくピンとこなかった。
リリ、フー?だったんだけど。
「サルビアの花」をもとまろと同時期にリリースした人と言われてようやくわかった。
早川義夫の埋もれていた名曲をめぐる逸話は日本歌謡曲史上に残る出来事だからね。
僕自身はリアルタイムの中学生当時はもとまろバージョンが好きだったんだけど、大分たってから後追いで事情を知った。 さらにサルビアの花をテーマにしたmixi日記をアップしたとき、マイミクさんに赤い花びらがなにを象徴してるのかを教えてもらった。
ということで、岩淵リリによるサルビアの花を聴こうと思って、YouTubeを探したんだけど。 ない、どこにもない
YouTubeにアップされてるサルビアの花リストを上から順に拾うと。
もとまろ、天地真理、あみん、甲斐よしひろ、シモンズ、早川義夫(やっと出てきた)、小柳ルミ子。。。
岩淵リリは出てこなかった。
その代わりこの曲が載ってた。 たしか、ろまさんはこれが一番と言ってたと思う。
岩渕リリ 隣の男の子
https://www.youtube.com/watch?v=-bBusRq_LSw
なるほど、聴いたことあるようなないような。。しかし、澄んだ声よろし、曲想も70年代アイドル歌謡の王道をいってる感があってよろし。
しかし、おいらが茨城の田舎で南沙織が一番、シンシアに限る、なあにが天地真理でえとかなんとかやってたときに、長野の田舎でこういうマイナーな存在を追っかけてたとは。
おぬし、できるな、だよ。
さすが、リアルタイム当時からキャンディーズの中ではミキが一番だったと断言した奴。
しかも、ろまさんは彼の本業の70年代ロックの中でも、リアルタイム当時、本場英国のツェッペリンやクラプトンよりも和蘭のこのバンドをイチオシしてたってんだから。
これも写真だけでは、大方の人がピンとこないのではないかと思う。
しかしどんな音を出す連中だったか、70年代のミュージックシーンに親しんだことのある人は聴けば思い出すと思う。
Focus - Hocus Pocus Live '73
https://www.youtube.com/watch?v=g4ouPGGLI6Q
僕自身はなかなかこうはいかなくて、そのときどきのメジャーなミュージシャンに寄せられてしまう傾向がある。
例えばこの人なんか、いい感じのおねえさんだなと思ったし。大ヒットした一発目は好きになってカセットに録音して何回も聴いたたけど、その後のことはよく知らない。
太陽がくれた季節/青い三角定規
https://www.youtube.com/watch?v=DyZjOYUHb3M
この人なんかもこの曲だけ好きになったけど、あとはよう知らない。
逃避行 麻生よう子
https://www.youtube.com/watch?v=ZgONZzZrX2w
しかも、西口久美子も麻生よう子も、アイドル歌手というのとはちょっと違うような気がする。。
ここで、アイドル歌手なるものを僕なりに定義してみる。
単なるアイドルでなく、歌手がつくのがミソね。 あと、野郎のことはおいとく。 女子のアイドル歌手オンリー。
僕の定義は簡単だ。
アイドル歌手というのは、小学校高学年から中学生をメインターゲットにして売っていく戦略で作られたスターたちだと思う。
要するにガキンチョ、ミーハーに売れ線になるスター。
優先されるのは歌唱力よりもかわいらしさ、親しみやすさ。 美人でないといかんけど隣のお姉さん的雰囲気も兼ね備えるのが大事。 そしてコスチュームはミニスカがお約束。
こういう存在は60年代はいなかったと思う。 いたかもしれないけど、少なくともメジャーではなかった。 それが70年代に一気に爆発した。
傍証は中野ブロードウェイにある。 あそこの古本屋で高値がついてる少年漫画雑誌の表紙を見るとね、60年代と70年代の違いがはっきりする。
少年マガジンや少年サンデーだ。
60年代の表紙はあくまで漫画の主人公たちが主役だった。 そりゃあ、あの時代もかわいこちゃん歌手はいっぱいいたけど。 そういうのの代表格、山本リンダや中村晃子、いしだあゆみを少年誌の表紙のモデルにしようなんて発想はまったくなかったはずだ。 ガキ向けに作られたスターたちじゃなかったからね。
それが70年代になると、かわいこちゃん歌手がドバっと少年誌を飾るようになるんだよ。 僕はこれを彼女らがガキ向けを指向してた傍証の一つではないかと考えるわけだ。
そして、もっと直截なのがこの僕自身のことだ。
アイドル歌手の起源については諸説あるようだけど、南沙織をもって始祖鳥とみなす学説がかなり有力である。 で、それは僕の身に照らすと、極めて腑に落ちるんだよ。
なんていうかなあ、理屈というよりは実感みたいなものなので、うまく表現できないんだけど。 僕は中二の冬にラジオから流れてくる「どもだち」を何気に聴いて痺れた。
それは「ともだち」という曲の音楽性とかシンシアの歌唱力とかそういうのが原因じゃなかったと思う。 そうじゃないいろんな要素がないまぜになった結果だったんだけど。
つきつめると、たぶん、好きだか〜ら、好きだか〜ら♪のところのシンシアのちょっと舌足らずなイントネーションにね、痺れちまったんだよ。
で、いったん痺れると、有馬美恵子の歌詞と筒美京平のメロディの絶妙な組み合わせ、郷愁を誘うような味わいがねえ、頭から離れなくなった。 もう、あのイントロのやわらかいトランペットの音色を聴くだけでじんじんするという、ほとんどパブロフの犬状態になってしまったのだった。
そのとき僕は中坊のガキンチョ。 まさにアイドル歌手のメインターゲット層で、シンシア自身に魅力があったのはもちろんだけど、プロデューサーの酒井政利が仕掛けたマジックにずっぽりハマったという感じがね、否めないわけだ。
現代の酒井政利にあたるのがつんく♂であり、秋元康なのは言うまでもない。
アイドル歌手にはこういう凄腕のバックアップが。。。
いかん、いかん。 学説なんていう言葉を出したせいで、アイドル歌手論みたいな柄じゃないゾーンに踏み込み出しちまった。
まあ、とにかく、中二から高二くらいまでシンシアを追っかけてた僕は、秋元マジックに酔ってアイドル歌手を追っかけてる今のガキンチョの先輩を名乗る資格はあると思う。
じゃあ、なんで高二だかのときに離れちまったのか。
アイドル歌手もいつまでもアイドルではいられない。本人もスタッフもわかってる。
で、脱アイドルを図る。
思うに、脱アイドルで行くというのは、メインターゲットの年齢層を引き上げるということではないか。
南沙織もそうした。 僕が彼女の追っかけになった「ともだち」の直後から始めたような気がする。 でも、成功したかどうかというと、微妙な感じ否めずなんだなあ。
僕自身はジャズやらクラシックやらにのめっていくようになって、歌謡曲そのものから離れちゃったのが大きいので、シンシアがいくら頑張っても惚れ直す余地はなかったんだけど。 その頃の仲間にも大人路線にチェンジしたシンシアに惹かれたという例は見かけなかったからなあ。
しかし、僕は衝撃の1991・12・31、紅白歌合戦の「色づく街」をテレビで目の当たりにして、シンシア熱がぶりかえした。再びファンに回帰して今に至っているわけだ。
メインターゲットの年齢層引き上げの成功例は、今年の安室奈美恵を上回る社会的現象になったキャンディーズの解散フィーバーじゃないかな。 あのフィーバーの中核は大学生や働く若者だったと思うので。
子供ファン離れしないまま失速したピンクレディーと好対照だったと思う。
70年代にアイドル歌手百花繚乱の時代が到来した。
三人娘、中三トリオ、岩崎宏美、アグネス・チャン、キャンディーズ、ピンクレディー
キリがない中で誰か一人というと、シンシアを除けばこの人かな。 あの時代に「国民的美少女」という言葉があれば当確だったと思う。
麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
https://www.youtube.com/watch?v=h27mnsa5gzw
80年代は二大巨頭、松田聖子と中森明菜の時代だった。
だがしかし、ここは第三の極ともいえるこの娘のピチピチ弾ける感でいきたい。唄もこの日記にふさわしいし。
小泉今日子 なんてったってアイドル 1985年12月25日
https://www.youtube.com/watch?v=oLr9SFztnp0
で、90年代なんだけど。 単なる人気歌手でない国民的な存在がどうも思い浮かばないんだなあ。 この時代の社会現象といえばアムロ。 最後の方でアユとヒッキーが飛び出してきたけど。 この三人はポップス歌手であって、アイドル歌手という感じじゃない。
もしかしたら1990年代って、アイドルシーンの世紀末的黒時代だったのかもだ。
で、2000年代になると、これはもうこの女子大量ユニットの一人勝ちだった印象が強い。 この頃、僕は京都に単身赴任していて、熱狂的なファンだった小学生の姪っ子の誕生日祝いグッズを求めて、河原町のハローショップを漁ったもんだ。
(2001.09.08)モーニング娘。「LOVEマシーン」
https://www.youtube.com/watch?v=xbZzBe0tgto
そして、現代、2010年代。 2000年代末にデビューした当初はアキバ系ヲタク向けとキワモノ扱いされていたAKB48が国民的アイドルと呼ばれる巨大な存在になった。
欅坂やら乃木坂やら女子大量ユニット全盛時代の到来だ。
だがしかし、ここは非秋元系列として独自の存在感を発揮してるこの娘らを推したい。
なんつっても、僕の大好物の作品のOPを唄ってくれちゃってるので。 見にいったよ、新宿バルト9に。
ももクロ 猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」
https://www.youtube.com/watch?v=Pta2V9I9oS0
1990年代が空白なのは僕の無知のせい。
70年代以降はいつの時代も国民的アイドル歌手がいて追っかけがいた。
それは連綿として今に繋がっている。
自分が追っかけだった昔を懐かしむ人がいて、今が追っかけの真っ最中の人がいる。
そういう叙事詩的な日記の締めにはこの人のヴォーカルがふさわしいと思う。
歌詞を見ると、アイドルと言ってもやはり60年代のこの時代にはアイドル歌手はいなかったのではないかと思う。まあ、フランスのことで、日本の歌謡界のことじゃないけど。
シルヴィ・バルタン アイドルを探せ(LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER)
https://www.youtube.com/watch?v=IP2fTeOm788
ログインしてコメントを確認・投稿する