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2018年09月05日15:38

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9月歌舞伎座(昼)「金閣寺」福助復活

18年9月歌舞伎座(昼/「金閣寺」「鬼揃紅葉狩」「河内山」)


福助、5年ぶりに舞台復帰


播磨屋・吉右衛門が主催する「秀山祭」も、11回目。吉右衛門への大向うは、すっかり「大播磨」という掛け声が多くなった。存在感といい、科白廻しといい、吉右衛門には、「大播磨」と呼ばれるに相応しい風格がある。そういう中、今回の昼の部は、「成駒屋」への熱い掛け声が目立った。昼の部「祇園祭礼信仰記 〜金閣寺〜」の上演では、九代目福助が4年10ヶ月ぶりに舞台復帰したが、福助自身はもとより、我々観衆も待ちに待った瞬間を迎えたことになる。

9月2日午前11時、歌舞伎座初日の昼の部「金閣寺」が幕を開けた。場面は、「国崩し」の極悪人・松永大膳(松緑)が、将軍の足利義輝を殺害し、さらに足利義輝の生母・慶寿院尼を金閣寺最上階の部屋に幽閉しながら、権力奪取の機会を狙い、金閣寺に立て籠もっている。立て籠もりとはいえ、大膳は、悠々たるもの。弟の松永鬼藤太(坂東亀蔵)を相手に碁を打っている。碁盤を挟んでいながら、大膳は、観客席正面を向いている。鬼藤太から見れば、大膳は横を向いていることになる。鬼藤太は、大膳に正対している。後に尋ねてきた此下東吉(梅玉)と碁盤を挟んで対局する際は、斜めに、つまり客席斜め下手の方に身体を向けている。梅玉は、客席斜め上手の方に身体を向けて座る。大膳―弟の鬼藤太―正客の此下東吉という登場人物の立場や位の関係が、こういう演出からも、窺えるのである。古典歌舞伎のおもしろさは、こういう細部にも宿っている。

芝居の上演予定時間は、1時間37分だが、開幕から1時間26分後、慶寿院尼を救出しようと、此下東吉、実は、春永の使者・真柴筑前守久吉(梅玉)が、金閣寺の下手にある桜木をよじ登り、最上階へ忍び込む。そこの回廊から御簾を開ける。室内に幽閉されていたのは、紫の衣装に身を包んだ慶寿院尼(福助)であった。春永(信長がモデル)の命により久吉(秀吉がモデル)は、将軍・足利義輝の生母を救出に来たのだ。

初日の歌舞伎座は、昼の部の開演前から、場内には、福助の屋号の「成駒屋」の声がかかっていたが、梅玉が最上階の回廊に立った瞬間から、福助の姿が見える前なのに「成駒屋」、「待ってました」などの大向うの声が何度も飛び交っていた。御簾が上がると高まり続ける掛け声に負けじと、場内からは強く、熱い拍手が鳴りやまなくなった。およそ2分間は熱い祝福の拍手が続いたと思う。福助の科白は、以前に松竹の大谷信義会長から聞いていた通り明瞭であった。「頭や口跡は、大丈夫なんですがね」と、2年ほど前に会長が言っていたのを思い出す。

「未来の仏果を」や(人質からの解放の)「嬉しさよ」など3つの科白を言うたびに、満員の観客は熱い拍手を繰り返して福助に送り、福助の舞台復帰を温かく迎えていた。「病に拠る幽閉」からの解放を祝しているように思えた。

福助は、終始座ったまま、下半身は動かさずに竹本の浄瑠璃の文句に合わせて手ぶりと3つの科白で慶寿院尼の幽閉から救出される喜びを表現していた。福助自身の喜びも、当然ながら二重写しになっている。金閣寺最上階の窓の御簾が上がって、下がるまで、出演時間は、およそ4分間。5年近い、地道なリハビリテーションの成果を踏まえて、科白と頭脳は明晰と観客にきちんと印象付けた、と思われる。ただし、手ぶりは、衣の外に出した左手だけを動かしていたし、衣の下に隠れたままの右手を上げる場面では、左手で衣の下の右手を持ち上げていた。それほど違和感を感じさせないスムーズな動きだったので、観客の中には、気がつかないまま感激の拍手や涙に気を取られていた人もいたことだろう、と思う。

「脳内出血による筋力低下」という当初の病名通りなら下半身は不自由なのかもしれないが、晩年の六代目歌右衛門がそうであったように、役柄を選べば、七代目歌右衛門の舞台も観ることができるのではないか。余裕が出てくれば、福助本来のキャラクターも滲み出てくるだろう。「建礼門院」(平清盛の娘、安徳天皇の母。歌舞伎の「建礼門院」は、北条秀司原作の新作歌舞伎。六代目歌右衛門が得意とした演目)なども、役柄として考えられるような気がする。

ならば、詳しい事情を知らずに勝手に言うなら、5年間も待たずに、福助舞台復帰は、もっと早く可能だったのではないか、とも思う。まあ、それはそれとして、現実的には、できるだけ早い機会に福助の七代目歌右衛門襲名と児太郎の十代目福助の襲名を実現させて欲しい、と思っているのは、私だけではないだろう。九代目中村福助、1960年10月生まれ、来月で、58歳。ハンディを乗り越えて、役者人生を充実させて欲しい。合わせて、父親の病苦という苦境にもめげずに地道に精進してきた息子の児太郎の十代目福助の襲名披露舞台も観てみたい。

贅言;九代目福助は、七代目歌右衛門襲名内定後、2013年11月、襲名の準備に入っていたが病に倒れてしまった。自身の七代目歌右衛門襲名と同時に息子の児太郎の十代目福助襲名披露の舞台が14年3月、4月の歌舞伎座再開場の柿落とし興行以降、各地の劇場で披露される予定で、その記者会見も13年9月に開かれていたことを私たちは忘れていない。

歌舞伎座の今月の筋書には、楽屋の話として、福助は「この5年近く、毎日のように芝居の夢をみました。目覚めて涙したこともありました。(略)まだ万全ではないですが、見守っていただけましたら幸いです」と言っている。また、福助が何度か演じた雪姫を今回初役として演じた児太郎も「父と同じ舞台に立たせていただけますことを心より感謝致しております」とある。成駒屋親子の同時襲名を期待したい。筋書には、「金閣寺」で共演した役者たちが、福助へのメッセージを載せているので、コンパクトに記録しておきたい。

まず、梅玉:「福助さんがこの舞台で復帰してくれ、一門の一人としてこんなに嬉しいことはありません」。幸四郎:「福助のお兄さんの復帰の舞台に出ることができて嬉しい。待っていた日がやっと来た感じです」。松緑:「慶寿院尼は福助兄さん。まず何より兄さんの復帰を、そしてその舞台でご一緒できることを心から嬉しく思います」。彌十郎:「いつ舞台に復帰できるのかと気を揉んでいましたので、一緒の舞台に出る事が出来て本当に嬉しいです」。

今回の主な配役。松永大膳(松緑)、大膳弟・鬼藤太(坂東亀蔵)、此下東吉(梅玉)、狩野直信(幸四郎)、慶寿院尼(福助)、雪姫(児太郎)、十河軍平、実は佐藤正清(彌十郎)ほか。

なお、歌舞伎座昼の部は、成駒屋親子に焦点を合わせて書いたので、劇評はコンパクトにしたい。


「祇園祭礼信仰記 〜金閣寺〜」、私がこの演目を観るのは、今回で10回目。これまで私が観た雪姫は、四代目雀右衛門(2)、玉三郎(2)、当代の福助(2)、菊之助、七之助、それに芝雀・改め五代目雀右衛門。そして今回は、児太郎が初役で挑戦した。

中でも03年10月歌舞伎座で観た四代目雀右衛門の雪姫は、「一世一代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であった。結局、四代目雀右衛門の雪姫は、この舞台が最後だった。

雪姫(児太郎)は、最初は金閣寺に渡り廊下で繋がる上手のお堂に幽閉されている。金閣寺では横恋慕の松永大膳(松緑)に虐められる。大膳の科白を聴いていると性的な虐待をしようと姫を苛めているのが判る。やがて、大膳が持っていた刀が、名刀「倶利伽羅丸」だと知り、大膳が父親雪村を殺した敵と判る。増々、大膳に憎しみを燃やす雪姫。大膳は、雪姫の夫も幽閉していて、雪姫が従わないので、夫の狩野直信(幸四郎)を処刑させることにし、引き立てさせる。

両手と上半身を縄で縛られ、その縄で桜木に繋がれていて不自由な雪姫は、引き立てられる夫と今生の別をする場面が良い。可憐な姫の中にある人妻の色気が滲み出てくる。拒絶しても滲み出る雪姫の官能性。夫への情愛が科白の無い表情の演技だけで演じなければならない。

贅言;雪姫(児太郎)は、舞台に二本ある桜木のうち、上手の木に縄で繋がれる。雪姫の所作がスマートに見えるのは、雪姫と桜木を結ぶ、この縄がいつも弛みがないように調節されているからだろう。桜木の後ろに姿を隠している後見が、縄に弛みができないように、絶えず調整しているのが見える。もう一本の桜木は、下手にある。此下東吉(梅玉)は、桜木をよじ登り、金閣寺の最上階に入り込む。桜木の裏には、よじ登り用の段が付いている。

雪姫は可憐な姫であり、色気を滲ませる人妻である。「鎌倉三代記」の初心な時姫が見せる決意の果ての色気より、人妻ゆえの色気がムンムンしている感じが雪姫には必要だろう。それに加えて、雪舟の孫という絵描きの血を引く、芸術家としての芯の強さもありで、難しい役どころ。四代目雀右衛門が今も目に浮かぶ。若い児太郎の雪姫は、姫ではあっても、「色気を滲ませる人妻」ではない。さらに今後の精進を期待したい。ほかの配役では、今回は、松緑が良かった。最後に三段に乗って、大見得を切るのは、国崩しの極悪人。歌舞伎は、悪のアンチ・ヒーローが軸にならないとおもしろくない。



「鬼揃紅葉狩」、私は2回目の拝見。更科の前、実は鬼女は、前回(06年9月・歌舞伎座)は、染五郎時代の幸四郎ということで、2回とも、高麗屋。

「鬼揃(おにぞろい)紅葉狩」は、1960(昭和35)年4月、歌舞伎座で吉右衛門劇団の興行として、六代目歌右衛門の更科の前、実は鬼女を軸に初演された新作歌舞伎。普通の「紅葉狩」は、何回も拝見。主筋は、一緒だが、演出は大分違う。

舞台の大道具は、前回同様。軒先のみの大屋根を舞台天井から釣り下げている。松と紅葉、信州・戸隠山中。屋内のようであり、屋外のようでもある。舞台上手に竹本、中央に四拍子(囃子)、下手に常磐津。そして途中から、上手、床(ちょぼ)で、御簾を上げて大薩摩。この際、上手の竹本、下手の常磐津には、霞幕がかけられる。大薩摩は、いつもの通り、「幕外」(効果)という感じか。

筋立ては、基本的に「紅葉狩」を下敷きにしている。更科の前が、後ジテで、戸隠山の鬼女になるのは、同じだが、こちらは、4人の侍女たちも角の生えた鬼女に変身するのが、ミソ。鬼女となった侍女たちは、金地に赤い鱗(ウロコ)模様の着物を着ている。だから、5人の「鬼揃」というわけだ。4人の侍女は、高麗蔵、米吉、児太郎、宗之助。後ジテの毛ぶりでは、高麗蔵が、赤毛。米吉、児太郎、宗之助は、いずれも茶毛。

今回の、そのほかの配役は、次の通り。平維盛に錦之助(前回は、信二郎時代の錦之助)。従者は、廣太郎、隼人。男山八幡の末社の女神が東蔵、男神が玉太郎。

「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科姫、実は、戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、姫の「着ぐるみ」を断ち割りそうなほど、内から飛び出そうとする鬼女の気配を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更科姫の重要な演じどころである。観客にしてみれば、豹変の妙が、観どころなので、見落しては、いけない。

それが、この新作歌舞伎では、曖昧であった。平板な印象が残った。その原因のひとつとして、多分、「紅葉狩」に出て来る腰元・岩橋(道化役)のような、チャリ(笑劇)が、持ち込まれていなくて、一直線に豹変に向うから、奥行きがないのだという思いは今回も変わらない。


吉右衛門熟成の「河内山」


「天衣紛上野初花 〜河内山〜」を私が観るのは、今回で14回目。私が観た河内山宗俊は、吉右衛門(今回含め、6)、先代の幸四郎(4)、仁左衛門(2)、團十郎、海老蔵。御数寄屋坊主・河内山宗俊は、当代では、時代も世話も科白廻し抜群の吉右衛門で決まり、という感じがする。

このほかの主な配役。松江出雲守(幸四郎)、家老・高木小左衛門(又五郎)、宮崎数馬(歌昇)、腰元・浪路(米吉)、北村大膳(吉之丞)、後家・おまき(魁春)、清兵衛(歌六)ほか。

吉右衛門の河内山は、すっかり安定している。初代は、深い人間洞察を踏まえた科白の巧さが持ち味だったらしい。実際の舞台を観ることが出来なかったのは、世代的な不幸であるが、どっこい、当代の吉右衛門も、熟成してきている。人間洞察の深さは当代も今も精進しているだろうが、科白の巧さは、当代役者の中では、ぴか一で、最近は独走気味、さらに磨きがかかっているように思う。時として、吉右衛門に絡む役者の科白廻しの落差にがっかりするときもある。私たちが二代目吉右衛門と同時代の観客の一人というのは、世代的な幸福である。

悪事が露見すると、河内山の科白も、世話に砕ける。時代と世話の科白の手本のような芝居だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさせる芝居だ。度胸と金銭欲が悪党の正義感を担保しているのが、判る。そういう颯爽さが、この芝居の魅力だ。

「河内山」は、大向う好みの芝居だ。無理難題を仕掛ける大名相手に、金欲しさとは言え、寛永寺門主の使僧(使者の僧侶)に化けて、度胸ひとつで、大名屋敷に町人の娘を救出に行く。最後に、大名家の重臣・北村大膳に見破られても、真相を知られたく無い、家のことを世間に広めたくないという大名家側の弱味(見栄やプライド)につけ込んで、堂々と突破してしまう。権力者、なにするものぞという痛快感がある。

悪党だが、正義漢でもある河内山の、質店・上州屋での、「日常的なたかり」と、松江出雲守(幸四郎)の屋敷での、「非日常的なゆすり」での、科白の妙ともいえる使い分け。上州屋では、番頭(吉三郎)の役回りが、出雲守の屋敷では、北村大膳(吉之丞)の役回りとなることに気がつくと、黙阿弥の隠した仕掛けが判り、芝居味が、ぐっと濃くなる。幸四郎は、松江出雲守のような癇性の殿様のような役は巧い。

「上州屋質見世」と「松江邸」を必ず対にして、芝居を見せるのは、初代吉右衛門の工夫だという。

吉右衛門:「初代は、河内山がなぜ松江邸に乗り込んできたかがはっきりわかり、構想に化けている面白さをお客様に感じていただきたいと考えて『質見世』を付けたそうです」。

吉右衛門の河内山は、最後の最後になって、屋敷の奥から出てきた松江出雲守に向かって(実際には玄関先にいる北村大膳に向かって)「馬鹿め」と、小声で吐き捨てるように言う。権力を笠に切る出雲守への嘲りの科白だ。花道を颯爽と引き揚げる吉右衛門。

贅言;「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京の新富座で通しで、初演された。当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=初代左團次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞(大正の「菊吉」と明治の「團菊左」は、よく比較される。「菊吉」は、六代目菊五郎、初代吉右衛門のこと)。三千歳=八代目岩井半四郎という豪華な顔ぶれであった。
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