夏休みのこの時期、「鮎」の塩焼きを頬張りながらビールを片手にする時、岐阜県の長良川での鵜飼船を想い出します。1300年くらいの歴史があり、起源は鮎漁としての鵜飼でしたが、現在は古典漁法の伝統を今に伝える観光化された鵜飼です。
このうち、宮内庁の御料場で行われる鵜飼は「御料鵜飼」と呼ばれて、獲れた「鮎」は皇居へ献上され、明治神宮や伊勢神宮へも奉納されているようです。
「長良川の鵜飼」は日本で唯一皇室御用の鵜飼であり、「鵜匠」は職名を「宮内庁式部職鵜匠」といい、鵜飼用具一式は国の重要有形民俗文化財になっています。
鵜舟の舳先に、松明は燃え盛り、川面を照らすその炎に、鳥帽子、腰蓑を付けた鵜匠たちが巧みに縄をさばく姿が浮かび上がります。
「ほう、ほう」という鵜匠の声と舷側を叩く音に勢いを得て、水中に潜っては鮎を呑む、その鵜の長い首をしぼって鮎を吐かせるさまは、いささか残酷だが、何隻も舟が篝火の尾を引いて上がり下がりする光景は、平安時代の絵巻物でも見るような趣の深いもの。
「新古今集」に「鵜飼船高瀬さし超すほどなれやむすぼほれゆくかがり火の影」(寂蓮)と歌われているように、鵜飼の歌は万葉の時代からすでにあったようです。
愛知県知多半島の知多中央道を挟んで「鵜の山」があり、ここで「カワウ」が繁殖しています。
日本有数の繁殖地で、天保年間から住み着いていたとの記録もあり、「鵜の山ウ繁殖地」の名称で国の天然記念物に指定されている。
東に三河湾、西に伊勢湾を望む小高い丘の上に所在し、毎朝ここから飛び立ち、木曽.長良.揖斐の3河川の河口地域まで捕食しに行動しているとのことです。
芭蕉
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
長谷川素逝
疲れ鵜の細きうなじを並べけり
森の人
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