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2018年08月09日17:16

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8月8日

 台風がちかづいているという予報があってから、みんなマメに進路を確認していた。なぜかこの期間に休暇をとっている人がやたらと多く、その運のなさを嘆いている。ぼく自身、今度の台風こそ間のがれたものの、過去には何度も天候にスケジュールを狂わされるようなことがあった。それだけに旅行と天気については、たとえ他人の予定であってもつい気になってしまう。
 はじめて沖縄に行ったときは、地元のひとも青ざめるほどの嵐に巻き込まれた。南国のどっしりした樹々が激しく揺さぶられ、信号機も頭をだらりと折れ曲げてちかちかと色を変えている。何かが風に飛ばされて当たってのか、レンタカーの窓ガラスが割れた。ぼくたちは嵐を全身で受けながら車を走らせることになった。まるで海に水を補給するかのように耐えず雨はふりつづけた。
 それは一種の強烈な思い出として胸に刻まれることにはなる。でも、やはり思い描いていた旅とはずいぶんと色合いの違うものだ。往々にしてそういった時に議論されるのは、だれがこの雨を引き寄せたのかという件についてだ。俗にいう雨男探しをはじめるわけだ。そしてなぜなのか、ぼくはそこで多くの人差し指を向けられることになる。根拠も責任もないその指先をまるで銃口のようにぼくの顔面に突きつけて、台無しになったスケジュールのうっぷんをいくらかそこで晴らそうとする。妙な疑いをかけられたぼくは憤り、それらの指指を払いのけはするものの、しかしいくつかの事例を思い起こすと反論するにも言葉が出て来ず、沈思して、ただ雨雲をそこはかとなく見つめる。
 たとえば本当にそういった雨男みたいな機運を持っているとするならば、それと併せてある、傘を持ち忘れるという癖は、ものごとを穏便にはすましてくれない。これまで、数々の場所に傘を忘れてきた。電車のアナウンスが丁寧に教えてくれるにもかかわらず、その一切を無視し、傘を置いたまま平然と席を立つ。そしてぼくは濡れることになる。この前もそうだった。髪は雨を含んで額に張りつき、頭皮は生暖かい雨粒の重みを受けいれる。でも、どこかに走って逃げ込むようなことはしない。天命を受け入れてこその人生だと開き直り、ぼくは雨の街を歩く。でももしかするとそれは失恋をした人みたいに映るかもしれない。少し薄くなった髪はそれをさらに悲痛なものに見せるかもしれない。そのうち、なんだか本当に失恋したような惨めな気持ちになってくるのはとても不思議だ。
 その夜、床につくとぼくは頭に花が咲く夢をみた。きれいな花ではあったが、異様な姿だった。ぼくは風が吹くたびに頭をふせたり、まめに頭に水やりをしたりとかなり大変そうにしていた。枯れてしまう恐怖というのがそこにあるようだった。だからぼくは目を覚ましたときに、これが何か新しいことがはじまろうとしている前兆なのか、それとも、ただ自分の脱毛状況に怯える心のあらわれなのか、判然とせず、その日はずっともやもやしていた
 


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