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2018年07月31日22:56

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7月31日

 余ったカレーを鍋から器にうつし入れ、ラップをかける。これは翌日に持ち越す、いわば二日目のカレーとなるものだ。ただ、この時期はとくに食品の扱いには気をつけなければならない。すぐにもこれを冷蔵庫に入れて保存しておきたいところだ。でも、まだ鍋はいくぶん熱をもっている。
 「だから、寝る前にかならず冷蔵庫に入れてね。かならずよ」。
妻はどこか威圧的にそう言ってから寝室へ向かった。ぼくはちらと時計を見やる。少し早いかもしれないけれど、あと30分経ったらしまってしまおう。もしかすると生暖かいカレーが闖入してきたことで冷蔵庫の品々は少し嫌な顔をするかもしれない。でも、万が一その作業を忘れて、カレーがお釈迦になることに比べれば大した問題ではない。それになにより、次にそういった過失をおかしたあかつきには、妻に離婚を考えるとまで言われているのだ。これまでぼくは幾度となく食品を冷蔵庫にしまい忘れ、腐敗させてきた。そのたびに妻に胸ぐらをねじりつかまれて、恫喝まがいの暴圧的な言葉を浴せられた。怒りすぎて気が狂いそう、と言った妻の目はゲイラカイトのように血走っていた。もともとぼくは忘れっぽいところがあるのだけれど、このところ輪をかけて酷くなってきているように思われる。
 たとえば、翌日に燃えるゴミを外に出すとなった場合、ぼくはあらかじめそれを玄関の自分の靴の傍に置いておく。それは自分がゴミを出し忘れてしまう恐れがあることを自覚しているからだ。あらかじめ注意深く対策を講じておくことを常に心掛けている。でもそうしておいても、当日、ぼくは玄関でそのゴミを跨いでから出掛けてしまうことになる。なんだか邪魔だな、といった視線をそれに送りながらも、まったく気づかない。そして昼頃にハッとゴミのことを思い出して、唖然とする。それから慄然とする。天井を仰ぎ見て大きなため息をつく。玄関に取り残されたゴミ袋を見た妻が激怒している様が目に浮かぶ。ぼくはひどく憂鬱な気分でその日を過ごすことになるのだ。
だんだんと自分が信じられなくなる。脳ミソのどこかに欠陥があるのではないかと疑ってしまう。現世にくる際、右脳のかわりにエアークッションが詰められた可能性だって否めない。
 今こうしている間にも、何かを見落としているのではないか。何か大事なことを忘れ去っているのではないか。そう思うと底知れぬ不安におそわれる。
そうしてぼくは、昨日もカレーを冷蔵庫にしまい忘れて床についた。朝起きると、台所で妻が、傷んだカレーをどばどばと捨てていた。おはようございます。思わず敬語をつかった。でも妻はいつまでも無言でいた。ぼくはたまらなくなって、排水溝にたまったカレーを指さし、「これはぼくが全部食べますから」と茶化してみせた。すると妻は急に振り向いて「食べろよ。絶対に」と不良みたいに凄んだ。ぼくは消え入りそうな声で「すいません」と言った。もう二度と忘れませんから。もはや常套句になってしまったそのセリフを言って頭を下げるほかなかった。
 その夜、街へ出て用をすませたあとに夕飯をとる。ぼくは何の気なしにココ壱番屋に入店した。そしてしばらくしてから、カレーを食べるという行為がその日にやってはならない最大の禁忌であることに気がついた。どう考えても、カレーを殺したばかりの人間がカレーを食べるのは道徳的にも倫理的にも問題がある。それさえにも気づかずに白米を300グラムに増加させているような人間は万死に値する。やはりどこかおかしいのだと思う。ぼくはまるで旦那に内緒でタバコを吸う団地妻のようにフリスクを大量に口に入れて、手を洗い、爪の中まで念入りに洗い、どきどきしながら帰路につく。



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