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2018年07月24日05:07

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部活で得たもの

キノコ. 毒キノコ キノコ
社宅にいた時、最初に一番仲良くなった女性がいた。
私と彼女は同い年で 、娘同士も同級生。テキパキと仕事をこなし、部屋はいつもきちんと整頓されていた。リーダーシップは向こうで、私はお世話になったほう。

いつか、お互いに違う人と仲良くなって疎遠になったが、私達はまだ窪町小学校のママさんバレー「窪町クラブ」のメンバーとしての付き合いが続いていた。
私はあの最後の頃、「イジメ」にあっていたんだろうなあ、と思う。
バレーは ワン ツー スリーの三回で相手コートに返球する。 ワンの人がミスしても ツーの人がカバーする。ワンもツーもダメでもスリーの人がなんとか繋いでくれたりして助けられる。テニスは一回しかボールに触れないから、私がミスしたら終わりだ。 相手チームに得点が入ってしまう。
私は団体競技って すごいなー、いいもんだなーと、夢中になった。学校の役員で知り合った「コバヤシ」が私をチームに誘ってくれた事に感謝して 彼女との付き合いにも夢中になった。
週二回の練習の後は 皆んなで「飲み」 それから「カラオケ」
午前様もしばしば。

ところが、ある日、同じ社宅の彼女がメンバーの一人に対して 不満を持つようになり、悪口が始まった。 その攻撃は、しばらくすると別のメンバーになった。そして私に回ってきた。 そこでは 団体競技の悪い面が出てきた。 彼女は「ハーフセン」という 9人制バレーの9人のど真ん中のポジションで ワン のレシーブもやれば 、ツーで セッターの役割もやり、苦しい展開でも スリーでなんとか ボールを相手コートに返球する事も 要求される、カナメとなるポジションだった。
つまり、それだけ うまいし、彼女がヘソを曲げたら試合は勝てない。 キャプテンは 役員で知り合って私を入部させた「コバヤシ」だったけど 「ハーフセン」には何も言えなかった。

私は その時、団体の中で 誰か一人でも 声を掛けてくれる人がいたら 続けていける事を学んだ。 みんなが 「ハーフセン」と私の関係に困惑する中、 変わらずにいたのは「ヒガシデさん」だった。体育館に入って行った時の、「今晩はー」という挨拶が私を救ってくれていた。

いい気分(温泉). 所沢の再会 いい気分(温泉)
一昨日の日曜日、 母の面会に行った帰り、とうとう所沢の温泉で「ハーフセン」に会ってしまった。 清瀬市に引っ越した事は、風の便りで知っていたし 、病院へのアクセスをあれこれ調べていた時に 清瀬 と 所沢が 直近だと気付いてもいた。 でも、住所を知ってる訳じゃなし、会う事は無いはずだったのに、まさか 露天風呂で素っ裸同士で会うとは。しかも耳にはピアスが3つもついてるよー。 一個は長いし・・・

一瞬、知らん顔をしようかと思ったが 仲良くしていた時代を思い出して 私から声をかけた。 彼女の話題は、母親の認知症 、 弟の死 、 家のローン、 上の娘がまだ家にいる事 生まれつきのアトピーで20歳まで生きられないと言われた下の娘は無事に成人して結婚 子供にも恵まれたが うっかり 2人目を妊娠してしまい、出産後 体のバランスを崩してしまった事・・・

ああ、そうだった、こうやっていろんな事をお互いに腹蔵なく話していたっけ。
先に風呂から上がった彼女が 「これ」といって 住所と携帯番号を書いた紙切れを渡しに来た。 受け取ったものの やっぱり 気が進まず 私から連絡はしないと思う。
また、偶然 温泉で会ったら その時だけ 愚痴を言ったり 聞いたりする仲で充分だ。

りんごバレーボールで団体競技の良い面、悪い面を知ったが、それ以上に 自分が上級者である事を武器にするのは卑怯だな、と考えさせられた。 彼女は中学 高校と部活がバレーだったから 私がいくら頑張っても追いつけない。
私の部活は6年間テニスだったから、 これから自分の今のテニスクラブに 初心者が入って来た時、きっと優しくしてあげようと思った。
それにしても中年になってから「大塚ウィンドアンサンブル」でトランペットを吹いていた時の心地良さはどうだったろう。 ほとんどの若いメンバーが、部活で「吹奏楽」をやってきたにも関わらず、おばちゃんで 譜面を読むのさえ 四苦八苦の私達に本当に優しくしてくれた。楽しいだけの時間を過ごさせてくれた。
あの時の仲間に 改めて 御礼を言いたい。




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