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2018年06月15日00:15

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『64』テレビドラマ版と映画版

 冒頭、警察官である三上とその妻が別の地方の警察署を訪れる。その管内で若い女性の死体が発見され、それが数年前に失踪した娘のものではないか確認に赴いたのだった。幸いというべきか、死体は娘のものではなかった。
 しかし、ここで印象深いのは、むしろ、三上へ語りかける現地の警官の言葉の端々にうかがえる、警察という組織における身内意識の強烈さである。きわめて巧妙な導入部といえる。なぜなら、表向きここで扱われているのは、7日間しかなかった昭和64年の未解決誘拐事件ではあるけれど、実はこれは警察という組織と、そして、娘を失った父の物語だからである。

 年明けだったか、けっこう前に『64』の映画がテレビで放送されたので見た。ついでに残していたテレビドラマの『64』も見返してみると、やはり、そちらもおもしろかった。

 ことに前回の事件を模倣したと思しき誘拐事件が発生し、その現金受け渡しを抑えるための追跡劇が展開するクライマックスの迫力は特筆に値する。あそこで刑事たちが追っているのは、現金を運ぶ受け渡し人の車などではなく、14年前に決着をつけることができなかった、彼らの昭和64年なのだと思う。そこへ後に判明する、追う者と追われる者の倒錯した関係が絡んでくる。
 ろくに警察小説というものを読んだことはないけれど、ジャンルを通してみても屈指の名シーンではないだろうか。「いや、これぐらいはざらにあるよ」ということなら、ごめん。

 文章で読んでもいいところだろうけれど、やはり、映像の迫力が格別である。たて続けに映像化されただけのことはあって、映画もテレビドラマもいい。ここで下手を打つぐらいなら、そもそも作る意味が大きく減じてしまうぐらいだから、力が入って当然ともいえる。そして、それはきちんと結果に結びついている。

 日本の芸能界に詳しくない人が両方を見たら、ピエール瀧を佐藤浩市と同等のキャリアを有する俳優と思うかもしれない。見る人が見れば差があるのかもしれないけれど、個人的には遜色ないと思った。
 NHKの『ゆる〜く深く!プロ野球』に出演したピエール瀧の肩書は俳優・ミュージシャンになっていたが、地方局・静岡朝日テレビ制作の『しょんないTV』で広瀬麻知子と悠々と過ごしている姿がまず浮かぶ。俳優といっても、他には『シン・ゴジラ』と『あまちゃん』ぐらいしか思い出せない(どちらも出番はそんなに多くない)。ミュージシャンに至っては、私が音楽とほぼ縁のない生活をしているせいもあって、(彼の原点なのだけれど)やっているところを見たことがない。
 そんなピエール瀧の、公私ともに深刻な問題を抱えつつ事態を処理していく広報官・三上の姿にまるで違和感を覚えなかったことに、あらためて驚くのだった。

 その他、三上の部下となる広報課の課員で若い女性を映画では榮倉奈々、テレビドラマでは山本美月が演じていた。
 地元のマスコミの記者たちと飲んで互いの意向を探り合うのが、県警における広報課の仕事の一つでもあるらしいのだけれど、三上はそうした場に彼女を同席させない。#MeTooとか取り沙汰される昨今の状況を考えると、ほぼ理想的な態度と思いきや、彼女は広報課とマスコミの関係が悪化する中、見かねて記者たちのたまり場となっているような飲み屋にもやってきて、それを三上に咎められると、「私にばかりきれいなところを押しつけないで下さい」と食ってかかるのだった。
 つまるところ、自分が女性だからといって仕事から外すのは、それはそれで差別じゃないかということだろうと思う。どっかの財務大臣が女性記者に取材させてセクハラされるんなら、記者を男性にすればいいだろと言っていたが(しかも、ネット上には賛同する意見がけっこうあった)、似た話かもしれない。
 どないせえちゅーねん、という話ながら、キャストをずらりと眺めてみても、ほとんど息の抜きどころがないほど重厚な布陣の中、こういうシーンをやるのは、かならずしも演技に定評があるわけではない彼女たちにとってプレッシャーではあったと思うけれど、いずれも人物の立場と主張がきちんと伝わるいいシーンになっていた。

 個人的には、映画版は刑事としての三上、テレビドラマ版は広報官としての三上に重きをおいた描写になっていたと思う。一方で、それぞれ尺を持て余していたというか、重きをおいた方面の描き方がやや冗漫だったようにも見えた。
 映画では、前述のクライマックスの後、あくまで否認する犯人をさらに追及していくシークエンスがある。たしかに、確固とした物的証拠があるわけではないから、その気になればあくまでしらばっくれることも可能なのだが、物語の生理としてはすでに峠を越えた後でさらに引っ張られても、なんか蛇足な印象を否めなかった。
 テレビドラマでは東京からやってきた記者たちが、発表の場に立った捜査2課長を執拗に追いつめていく過程が描写される。警察に中央と地方の対立があるように、マスコミにも似たような構図があることを示しているのだろうけれど、いくらなんでも2課長が使えないやつすぎて、いかがなものかと思った。

 新刊どころではなく、まるっきり本を買わない生活をしているのだけど、毎年、ちゃんと力のある小説が書かれて、それがまたきちんと映像化されているのは、心強いことである。近ごろはアニメばかり注目されているような気がしていたので。




 最後にネタバレにかかる話を一つ。昭和64年の事件の犯人が特定される経緯について、テレビドラマでは各回の冒頭に、

D県
58万世帯
182万人

 というテロップが出ていた(なんとなく栃木とか群馬っぽい数字だと思う)。ただの背景説明かと思いきや、総当たりでなんとかならない数字でもないですよ、という伏線だったことに驚いたのだけど、電話の音質で、しかも人間の耳で聴きとって14年前の記憶と照合して、個人を特定するのは不可能だと思う。
 せやったら、小説自体が根本から成り立たへんやんけ、という話になってしまうのだけど、個人的にそれぐらいのウソは許容範囲である。そこはやはり、そうしたウソをタネにどこまで大風呂敷を広げられるか、そのあたりも作家の腕の見せどころだと思うからである。
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