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2018年06月11日07:10

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『續人譽幻談 水の底』伊藤人譽

 『幻の猫』を読了しまして、
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 『續人譽幻談 水の底』伊藤人譽にとりかかりましたところ、なぜかこちらも読んでしまいました。収録作は、「溶解」「水の底」「ふしぎの国」「肌のぬくもり」「落ちてくる」「鏡の中の顔」「夜の爪」「われても末に」の八篇、「あとがき」と解説「魔賊の囁き」松山巌が入っています。そして、こんな一行が巻頭にあります。
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 「九十歳を過ぎてから却って小説が書けるようになりました。」人譽
 すごいですね。「水の底」と「われても末は」の二篇は「新稿」となっています。「あとがき」に、≪「水の底」と「われても末は」は、脱稿こそ二〇〇六年になっているものの、思い付いたのは五十年も前のことである。はっきりした記憶も記録もないけれど、自分の年令から考えて、そのくらいは経っていると思う。箱の中に仕舞い込んで忘れていた期間も四十年以上である。≫
 伊藤は大正二年(1913年)の生れですから九十歳は2003年、それ以降に「水の底」「われても末は」を書いたということですね。
 蛇足ながら、「われても末は」は百人一首の≪「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)のわれても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ」崇徳院(77番)『詞花集』恋・228≫です。伊藤の題の付け方はどれも小説の内容そのままのそっけなさですが、これなどは凝った(?)ほうでしょうか。しかし、この世で結ばれなかった猟師の息子と旅館の娘の純愛物語、幽霊となった息子と結ばれる話ですから、そのままといえばその通りなのでした。
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 これも余計なことなのですが、奥付に≪龜鳴屋本第七冊目 『續人譽幻談 水の底』は五百十四部を限定制作。内一番から四番までを麻蚊帳装私家本とし、五番から五百十四番までをフランス装普及本とした。≫とありますが、この本は「フランス装」ではなくハードカバーになっています。同じ伊藤の前作『人譽幻談 幻の猫』の普及本はフランス装ですから、同じつくりにするするつもりが途中で変更になったが奥付は間に合わなかったということでしょうか。

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