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2018年05月27日10:57

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沖正弘先生 「下座の心」と「上座の心」



私たち沖ヨガの創始者・沖正弘先生は「させていただく」を「下座の心」といい、「してたあげた」を上座の心であると言われ、「ヨガの喜び」(光文社文庫)の中で次のように書いておられます。


「下座」とは他に対して何かをしてあげたときに、決して恩を売らない心のあり方のことだ。逆に恩を感じる心のことである。「お前のために、俺はこうしてやったのだから・・・・」と恩を、たとえ口に出さなくても内心で売ることを、上座心という。

私はたとえ面倒を見た人からそむかれても、腹を立てたことはない。面倒を見たというより、面倒を見させていただいた。そうすることで楽しみを得たのだから。

人間にとって大切なのは、私はあなたを愛させていただくだけで結構ですという心、つまり下座心である。

私はこうしてもらいたいために、あなたを愛したのだ、というのは上座心であり、必ず憎しみ、呪い、怒り、不平、不満が起こり、いらいらしつづける。
そういうむだな心の葛藤は止めようではないか、と痛感するところから「下座心」がはじまる。

私も最初から下座心を体得していたわけではなかった。心がけているうちに、少しずつ身についてきたのである。はじめは上座心が多かった。上座心の極限までいってはじめて、下座心のありがたさが身にしみたといっていい。

おそらく、最初から下座心が身についている人などいないだろう。人間は誰でも、最初は欲をもたなければ、仕事に打ち込むことはむずかしい。やがて、その欲を極めたときに、下座の心が見えてくるにちがいない。

いま直ちに、あなたに下座心を持てとは言わない。ただ、こういう心があり、それを体得すれば、ほんとうの意味で楽に生きることができるのだ、ということをおぼえておいていただきたい。
(以上)

沖先生は「下座の心」が身につくことの難しさを、知っておられたようです、
そして、その難しいことを、求道心の強さと自らの意志、実行力によって身につけられました。

ただ、身につけたいと思うだけではいけない、誰でもできる。

いつも脚下照顧、日に反省しながら、
少しずつ「させていただく」気持ちを身につけたいと思います。







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