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2018年04月20日17:01

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2020年大河ドラマは明智光秀『麒麟がくる』 主演は長谷川博己

2020年大河ドラマは明智光秀『麒麟がくる』 主演は長谷川博己
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2020年にNHKで放送される大河ドラマ(第59作)が、明智光秀を主人公とした長谷川博己(41)主演の『麒麟(きりん)がくる』と19日、発表された。同日、東京・渋谷のNHKで会見が行われ、主演の長谷川、脚本を担当する池端俊策氏が出席した。

【写真】ふっくら 現在の大河『西郷どん』の主演を務める鈴木亮平

 同作は、大河ドラマの原点に戻り、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦いを繰り広げる少し前、青春時代から描く「ビギニング物語」にして「一大叙事詩」。大河ドラマ第29作『太平記』を手がけた池端氏のオリジナル作品。東京五輪を迎える21世紀の大きな節目となるメモリアルイヤーに、「戦国時代」をはじめて4Kでフル撮影、従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描き、「大河新時代」の幕開けを目指す。

 長谷川は「感動しています。実感がわかなかったんですが、いま写真を撮られて、すごいことを引き受けたんだなって」とあいさつ。次期連続テレビ小説『まんぷく』の出演発表の後に、今回の話を聞いたことを明かし「連投になるな。来年、朝ドラの撮影が終わってすぐに大河の撮影に入る。難しいかなと思ったんですが、池端さんは(2016年のNHKドラマ)『夏目漱石の妻』でご一緒させてもらって、すごく楽しかったですし、役者としていい経験ができました。また池端先生の作品に出たいと思っていたので、こんなに早くかなうとは」と出演の経緯を話した。

 題材の明智光秀については「ミステリアスな人物。池端先生のお話をうかがって、明智光秀像が鮮烈に伝わってきて、これはやらなければならないな、という気持ちになりました」とコメント。「長旅になりますけど、これを乗り越えた後に人が見られないような景色が見られるんじゃないかと思って。しっかりやりたいと思います。明智光秀は三日天下ですが、僕はこれをやり終えた後に1年くらい天下がほしいです」と意気込みを語った。

 池端氏は1946年、広島県生まれ。明治大学卒業後、竜の子プロダクションを経て、今村昌平監督の脚本助手となる。映画「復讐するは我にあり」「楢山節考」などの脚本に携わる。脚本家として独立後、代表作に大河ドラマ「太平記」ほかに「イエスの方舟」「羽田浦地図」「聖徳太子」「夏目漱石の妻」など。2009年に紫綬褒章を受章。

 大河ドラマは現在『西郷どん』が放送中。2019年1月からは中村勘九郎と阿部サダヲが主演、宮藤官九郎が脚本を務める『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が放送される。
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大河ドラマには時代を映し出す鏡のような所があって、少なくとも映像技術、大道具小道具、照明、カメラなどに色濃く反映される。時代から脚本も演技も逃れられるはずもなく、これだけの予算と時間をかけるドラマに大勢に人が携わる。そこに何の意味もないのでは味気ない。

今年の西郷どんは、島津斉彬の造形はすごかったが、そのほか諸々、細部がくだくだ過ぎて見るのは辞めた。大名屋敷に子供は潜り込むは、それを見落とす警備のずさんさ、おまえらクブルスリー統合作戦本部長への襲撃を防げなかった警備と同じかよ、という感想だ。薩摩はこれから大きく羽ばたくわけで、ありえないわけだ。この程度なら、幕府の密偵によって情報は筒ぬけでなければ理屈が合わない。

右腕を怪我しているがNHKのCMを見る限り、その後も怪我をした右腕に剣を持って駆けずり回っている。握れなくなったのなら左じゃないかな、と訝る。史実は知らないけど。

とは言っても、大河など長く見ていない。というか現在進行形で見たことは一度もない気がする。最後に見たのは翔ぶが如くの再放送であるし、押しドラは花神だから、世間の視聴率とは好みが合わない。

あの当時のドラマと今の大河で何かが変わった気がする。なにもかもおしゃれになっただけではなく、野蛮さや野望みたいなものが消えいてるのも特徴的ではないか。社会の潔癖さとリンクしているようにも思われる。

どのようなドラマでも主役は好まれなければならず、そのためには、どうしても時代時代の価値観を体現しなければならない。最終的には主役がいい人でなければならぬし、悪い人に見えるならそれなりの理由がいる。またドラマは一人ではないので、足りない部分を他の役が埋めなければならない。

明智光秀をいま描く理由は分からない。暗にクーデターの正当性でも訴える気かなという気がしないではないが、虐めに耐えかねて信長を討った、信長の暴走を止めるために討った、陰謀論によって討ったなど様々な理由が考えられるのだが、民主主義の出来損ないみたいな理由だけは御免こうむりたい。

民のためなどという理由では全く面白くない。しかし史実では、光秀はかなり領民を大切にしたようなので、受けはいいかも知れない。実際に丹波では名君として知られるようだ。

それでも、信長を討った後の敗戦はやはり頂けない。諸侯からの人望のなさなど、準備不足は否めない。新しい解釈で描くなら光秀を項羽に見立てて、じつは項羽と劉邦を描くのも悪くはないが、それで面白いかな。

とかく光秀の評判は悪い。治世は良かったが、それは地方を納めるものであって、国をどうするかについてビジョンがあったという話は聞かない。しかし、よく考えれば秀吉にしろ家康にしろ後世は結果論で知っているだけで、そうなる前に彼らがどのようなビジョンを持っていたかは知らない。だが、そのことを考えていなかったはずもない。より長く考えられた家康が最も阿頑健な体制を気づけたのであろうか。いや、それだけとは思えない。

どちらにしろ光秀を描くとは信長を描く事だと理解した。信長は光秀なしでも、十分に描けると思うが、光秀は信長なしで描くのは難しいように思われる。

だから新解釈でやるなら信長は端役にして、光秀と秀吉の争いをメインで描くのが良いかも知れない。そして秀吉に嫉妬する光秀、史実とは全く異なるが、戦国時代のサリエリとして描く。するとこれは演技としても面白みが出てくる。

なぜ私が信長様を討ったのか、殿が秀吉殿の方を愛したからではないですか、みたいなBLでも構わないけどね。

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