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2018年04月13日16:07

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4月歌舞伎座(夜/仁左衛門の「一世一代」)

18年4月歌舞伎座(夜/通し狂言「絵本合法衢」)



悪の花が、大輪で開く



「絵本合邦衢」は、1810(文化7)年、江戸の市村屋で初演された。1804(文化元)年の「天竺徳兵衛韓噺」の成功以降、成熟期に入った四代目鶴屋南北らが、合作で書き下ろした。当時の南北劇の常連、五代目松本幸四郎、二代目尾上松助(後の、三代目尾上菊五郎)、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎らが、出演した。五代目松本幸四郎のキャラクターが、南北に、史実からモデルにした大学之助という暴君のほかに、立場(たてば)の太平次という、飛脚上がりの市井の無頼を、瓜二つの登場人物という設定で発想させた。

私がこの演目を観るのは、今回で3回目。しかし、仁左衛門は、今回の上演を「一世一代」、つまり、演じ納めにするという。

勧善懲悪が、当時のモラルだったが、それに縛られない自由な人間の魔性、それは、悪というものをこれまでとは違う発想で見るという南北ならでは、発想が無ければ、誰も気がつかない視点であっただろう。それは、また、文化文政期の爛熟の世相を作り上げていた、社会の底辺に生きる大衆のエネルギーを見抜いた南北の卓見であっただろう。頭で感知しようとする知識人には、気がつかないが、肌で感知する大衆には、日常的に馴染んでいる視点であった。それを同じ大衆と通底する市井の劇作家・南北は、汲み上げて、狂言に結実させたと言えるだろう。

「絵本合邦衢」は、1656(明暦2)年、加賀前田家一門の前田大学之助という殿様が、高橋清左衛門を殺め、後に、弟の高橋作右衛門に仇討されたという、実際にあった事件を素材にし、演劇的な悪を純化させるという発想で、瓜二つの人物(殺人鬼、左枝=さえだ=大学之助。返り討ちを請け負った、いわば、配下の、小悪党、立場の太平次)を作り、物語にダイナミズムを持ち込んだ。悪の力の増殖装置。今回の南北の最大の仕掛けは、別の人格ながら、瓜二つの人物という発想をしたことだろう。

通常の仇討物語とは違って、仇討を狙う側が、次々と返り討ちに遭うという異常な物語である。悪知恵は、悪人ほど、働く。そういう連中が、連戦連勝の場面が、相次ぐという芝居。物語が展開しても、正義の秩序は、なかなか、恢復しない。悪は、悪運強く、暴れまくる。極悪の痛快ささえ、観客には、感じられる。

文化文政期から、幕末期まで、再演が重ねられたが、明治期に入ると、文明開化を標榜する高尚趣味の陰に追いやられ、血なまぐさい、この演目は上演されなくなった。息を復活したのは、大正ロマンの時期(1926年)。戦前戦中期は、再び、陰に追いやられ、二度目の復活は、1965(昭和40)年であった。最近では、仁左衛門が、再演を続けてきた。


時代物の序幕。第一場「多賀家水門口の場」。暗転の中で開幕すると、早速、殺し場。中間が、多賀家の中間の首を絞めている。水門口が開き、左枝大学之助に命じられて多賀家の重宝「霊亀の香炉」を盗み出した関口多九郎(権十郎)が出て来る。外にいた中間に重宝を持って行かせようとすると、大きな用水桶の陰から、深編笠を被って現れた武士、実は、左枝大学之助(仁左衛門)だ。悪は、隠れるのが巧い。大学之助は、口封じのために、無造作に、いとも簡単に中間を斬り捨てる。重宝は、関口多九郎自身が持って行けと、命じる。人頼みにするなと叱る。再び、用水桶の陰に隠れる大学之助。花道から、多賀家の忠臣・高橋瀬左衛門(彌十郎)が、中間を連れて、やって来る。暗闇の中、中間は、地面に倒れている遺体の足が当たったのをきっかけに、ふたりの遺体を発見する。用水桶の陰から再び、現れた大学之助は、後ろから、中間を斬り捨てる。辻斬りのように、躊躇なしで殺人を犯す。序幕第一場だけで、3人が殺される。うち、ふたりは大学之助が殺した。暗闇の中、深編笠を被ったまま、花道へ移動する大学之助。花道七三で、大学之助は、闇ながら不審な雰囲気を感じている瀬左衛門に向けて小柄を投げ打つ。飛んできた小柄を受け止める瀬左衛門。舞台中央に佇んでいる瀬左衛門を残し、幕が上手から閉まり始める。幕外の花道七三で、武士は、深編笠を取る。ここで初めて、仁左衛門は、観客に顔を見せる。白塗りの二枚目。ぞっとするような美しさ。エロスとタナトス。死に裏打ちされたエロチックな美しさ。持っている深編笠が大きな所為か、大輪の「悪の華」が開いたような印象を与える。幕外の引っ込みとなり、大学之助は、悠然と、殺しの現場を去って行く。こういう感じで、大学之助はいとも無造作に人を殺して行く。これが、今回の南北劇の通奏低音となる。

贅言;3月の歌舞伎座では、27日まで、仁左衛門と玉三郎が出演していた。同じ花道七三で「神田祭」のラストシーン。鳶頭を演じる仁左衛門と芸者を演じる玉三郎が頬を寄せんばかりに寄り添う場面も、色っぽかったが、こちらは、セクシャル、官能的な美しさだった。花道七三のスポットが、3月27日(千秋楽)と4月2日(初日)で、天国と地獄の格差が生じる。

序幕第二場「多賀領鷹野の場」。山々の見える、野遠見。舞台下手に、「多賀領 高橋瀬左衛門 支配地」と書かれた立杭がある。国境。下手奥に、2基の藁ボッチ。鳴子も見える。実りの秋。舞台中央に庚申の石碑。上手に、2本の松。舞台中央では、領民の百姓たちが、雑草を刈った後の小休止中で、お茶を飲んでいる。花道より、京の道具商「田代屋」の養女・お亀(孝太郎)と養子の与兵衛、実は、高橋瀬左衛門の末弟・孫三郎(錦之助)が、お亀の実家に行く旅の途中である。鷹狩りの途中で、秘蔵の鷹(小霞)を見失った大学之助一行が、無断で他領に踏み込んで来る。大学之助は、黒羽織の華麗な着付けに、高価な鹿革の袴を付けている。狩りの帽子、弓、槍、折畳みの椅子、長持ちなどを家来に持たせている。家来たちの態度も、横柄である。殿様でありながら、統治能力を欠き、私利私欲を行動原理とする権力者・大学之助は、癇癖で、育ちも毛並みも良いが、人格的に問題のある人間の冷酷さが滲んでいる。こういう権力者は、時空を超えて、いつの時代にも現れるらしい。大学之助は、早速、お亀に目をつけ、その場でいきなり妾になれと申し入れる有様、大学之助は、人殺しという暴力も平気なら、女好きで、性欲も強いのだろう、ということが判る。歌舞伎で、「国崩し」と呼ばれる、アンチ・スーパー・ヒーローを極端化させた人物造形である。

そこへ、花道より、通りかかった領地の地頭(支配役)の高橋瀬左衛門が、与兵衛、実は、瀬左衛門末弟の孫三郎とお亀を助ける。大学之助の鷹は、地元の百姓と子供・里松が、見つけるが、百姓と子どもが、お互いに引き合ううちに、鷹を死なせてしまう。それを怒った大学之助は、俄に形相を変えて無造作に里松を斬り殺してしまう。子殺しも平気らしい。激躁になると、欲望以外何も弁えないように見える。殺された里松は、お亀の実父・佐五右衛門(團蔵)と後添えの間に出来た弟だった。悲劇の子どもを載せて大道具(舞台)は、暗転のうち、鷹揚に廻る。

序幕第三場「多賀家陣屋の場」。陣屋では、瀬左衛門と瀬左衛門の末弟・孫三郎こと、与兵衛、与兵衛の許婚・お亀が、顔を揃えている。大学之助の顔が、店に出入りしている立場の太平次という男にそっくりだと噂している。後のための、伏線である。瀬左衛門は、道具商の弟に主家から盗まれた重宝の「霊亀の香炉」の探索を依頼する。瀬左衛門は、先日、暗闇で受け止めた小柄が、主筋の大学之助のものではないかと疑っている。花道から、大学之助一行が、板に里松の遺体を載せてやって来る。他領ながら、ずかずかと入り込み、子どもの親を詮索するためだ。土足で平気に座敷にも上がり込んでくる。大学之助の服装は、いつもおしゃれである。但し、座敷に入り込んでも土足のまま。傍若無人。

瀬左衛門は、主家の、もうひとつの重宝「菅家の一軸」の件で、大学之助を諌めるが、諌言を受けた風を装おっていた大学之助は、隙を見て瀬左衛門(吹き替えになっている)を背後から槍で突き、殺す。さらに、瀬左衛門殺しの濡れ衣を着せるために、同行していた配下をも、殺す。大学之助の殺しは、ここまでで、5人。こういう行動を見ていると、大学之助の殺人は、ある目的の元にかなり計画的に進められているのが、伺える。計画的な殺人をルーティンワークのようにこなす辺りが、不気味だ。

瀬左衛門の次弟の弥十郎(彌十郎)が、早替わりで上手から、やって来る。自分の配下が、瀬左衛門を殺したので、自分が、配下を誅殺したと大学之助は嘘を言う。フェイクニューズ。だが、弥十郎は、簡単には騙されない。不審に思う。その不審を払うのは、幕切れの場面だ。南北の鋭さは、ここにこそある。

大学之助という殿様は、なんとも、無造作に人を殺す。そういう虚無的な人間を序幕では、仁左衛門は、悪のスケールの大きさを示すように、ほとんど表情を変えずに演じているように見える。悪役の色気もある。幕外の花道七三まで、深編笠を被り続ける。声は聞こえど、姿が見えない仁左衛門。観客を焦らせるだけ焦らした後、初めて大きな笠を取り、顔を見せるという演出が成功している。一気に、悪の華が開くという印象になる。それが、なんとも凄まじく、存在感がある。

世話物の二幕目。第一場「四条河原の場」。南北の持ち味は、世話物。二幕目から三幕目が、この芝居の見どころである。幕が開くと、舞台下手にむしろ掛けの見世物小屋。「ろくろ首」「蛇をんな」「大いたち」などの看板が掲げられている。隣には、見せ物見物客を当て込んだお休み処の茶店がある。その隣に、柳の木。背景は、山と四条大橋の遠見。中央に、蒲鉾型の乞食小屋風のむしろ掛け。上手は、橋詰の石段。この石段は、後に、仁左衛門演じる、侍上がりの色悪・立場の太平次が現れることになる。この瞬間で大学之助と太平次の顔は似ているが、全くの別人をふた役で演じるという、この芝居のポイントの度合いが測られるだろう、と思う。

ここで登場する人間関係を整理しておこう。京の道具商「田代屋」に出入りする太平次(仁左衛門)は、血も繋がっていないのに大学之助にそっくり。大学之助の手下という小悪党。茶店で働いている太平次女房お道(吉弥)が、下手の見世物小屋から現れる。中央の乞食小屋風のむしろ掛けを揚げると、太平次に懸想するうんざりお松(時蔵)の登場。お松は、14歳で勘当されて家出をし、25歳になるまでに、亭主を16人持ったという豪の者、色香十分な見世物小屋の頭分。つまり、この三角関係を太平次は、利用する。田代屋の番頭(松之助)は、太平次側のスパイで、お松から、毒蛇の血を仕入れる。この毒で、店の養子である与兵衛(瀬左衛門の末弟・孫三郎)を殺して、お亀と世帯を持ちたいと番頭は妄想している。大学之助から預かった重宝の香炉を勝手に、質入れしてしまった関口多九郎(権十郎)も、香炉を取り戻したいと思っている。太平次は、お松に田代屋へ強請に行かせる。陰に隠れた大悪、ちょこまか悪さをする小悪たちが、それぞれ、勝手に悪だくみをしているのが、判る。舞台は、暗転のうち、廻る。

第二場「今出川道具屋の場」。つまり、京の「田代屋」の店先。大店である。店奥の帳場には、大福帳と売掛帳がある。花道から、お亀の実父・佐五右衛門(團蔵)が、登場し、店に入る。次いで、うんざりお松(時蔵)が、下手から、単身、田代屋に乗り込んで来る。応対するのは、与兵衛とお亀の養母で、後家の店主・おりよ(萬次郎)。太平次(仁左衛門)は、外で待っている。お松は、おりよを相手に、与兵衛との密通をでっちあげ、偽の起請を持ち込み、強請り始める。外出中の与兵衛の替わりにお亀(孝太郎)を連れ去ろうとする。出来レースの店の番頭(松之助)が、素知らぬ顔をして仲介に入り、お亀を連れ出さない替わりに、件の香炉を渡したらとおりよに「悪」助言をする。下手袖から出て来て、外で様子を窺っていた太平次も、店内に入って来る。兄の仇討をするために、養家に迷惑をかけないように、勘当を願っている与兵衛(錦之助)が、花道より、戻って来る。与兵衛の思惑を承知しているおりよは、わざと与兵衛とお亀を勘当にする。おりよは、ふたりに「霊亀の香炉」を持たせる。ふたりは、花道を遠ざかって行く。おりよは、番頭が持ち込んでいた毒酒を奥から持ってきた太平次が勧めるままに、飲んでしまい、やがて苦しみ出す。おりよにとどめを刺し、お松と共に、おりよの金を奪って花道から逃げる太平次。倒れたおりよを乗せたまま、舞台は廻る。本舞台暗転。太平次とお松は、花道をゆっくりと揚幕に向って歩むが、そのまま、向う揚幕に入りはしない。花道半ば、途中から、くるりと向きを変えて、ふたりは花道を逆戻りして、本舞台に入ると、そこは、妙覚寺裏手の墓場へと場面展開が済んでいる、という趣向だ。原作では、「沼津」(「伊賀越道中双六」の「沼津」)のように、本舞台から客席に下りて、間の通路の歩き、花道から戻って来るという演出だったそうだが、花道逆戻り、という演出も、おもしろいと思った。

第三場「妙覚寺裏手の場」。薄暗い。下手に大きな柳の木がある墓場。中央に古井戸。上手は、土塀。土塀の後ろに、細いが大きな三日月が出ている。しつこいお松に嫌気のさした太平次は、水を汲む隙を見て、お松を釣瓶の縄で首を絞めて殺し、古井戸に投げ込む。まず、遺体をゆっくりと投げ落とす。次いで、首を絞めた井戸の綱を落とす。最後に、おまつが脱ぎ捨てた派手な半纏をゆっくりと吊り下げるようにしながら落とす。やがて、瀬左衛門の次弟の弥十郎(彌十郎)と妻の皐月(時蔵)の夫婦が、下手から通りかかる。つまり、ここは、時蔵の早替わりが、見せ場。太平次のゆるりとした一連の所作は、時蔵の早替りのための時間稼ぎだった、ということが判る。さらに、勘当されて逃避行中の与兵衛とお亀のカップルも、上手からやって来て、太平次を軸に5人で「世話だんまり」となる。暗闇の中での「暗闘(だんまり)」という場面。歌舞伎独特の演出。次の場面、世話物第2弾「三幕目」への転換(つなぎ)の場面だが、この辺りの演出は、最近の入れ事という。確かに、皐月の登場タイミングが唐突な感じがする。

二幕目では、時蔵の悪女振りが、魅力的。うんざりお松は、悪婆と呼ばれるキャラクターだが、時蔵は、官能的で、古風な風貌も幸いして、好演。太平次役の仁左衛門は、重々しい大学之助とがらりと変わり、軽妙に、愛嬌もある小悪党というイメージで、太平次を演じている。元は、武士という感じが弱いか。いがみの権太風になりすぎている嫌いはある。


暗転の中で開幕する三幕目も、世話物。新たに、追加参加する人間関係を見ておこう。第一場「和州倉狩(くらがり)峠」。名前通りの暗闇峠。背景は黒幕のみ。下手に「倉狩峠」の木杭だけがあるシンプルな舞台。駕篭かき、雲助、飛脚、それに与兵衛とお亀の行方を追う大学之助・家臣の島本段平(當十郎)などが居る。島本段平は、駕篭に乗り、上手へ入る。黒幕振り落しで、場面転換。第二場「倉狩峠一つ家の場」が、三幕目のメイン。薄暗い。峠の一軒家。花道の出入りが多い。お亀に執心の大学之助に命じられて、与兵衛とお亀の行方を追う家臣の島本段平を乗せた駕篭が、下手から現れて、一軒家の表に着けられる。

峠の一つ家は、「立場(たてば)」だ。立場とは街道や峠を行く旅人が、人馬を替えたり、貨客を送り継いだりする宿駅のことである。簡易な旅宿を兼ねた茶屋だ。舞台下手には、「立場茶屋」の木杭がある。舞台中央の、一つ家の障子には、「丸に太」という紋が、書き込まれている。「立場の太平次」とは、この宿駅を営む所からの渾名であろう。表も裏も悪殿様の大学之助と顔こそ、瓜二つとはいえ、太平次は、表向きは、立場の主として善人面をしているが、裏は、大学之助同様の悪人ということで、より根性の悪い男である。典型的な小悪党である。この一つ家に、お亀の妹のお米(梅丸)が、滞在している。高橋瀬左衛門配下で、夫の孫七(坂東亀蔵)とはぐれて困っている所を親切そうな太平次に助けられて、連れて来られた。太平次は、お米を売り飛ばして、稼ごうとしている。さらに、孫七が、敵対する高橋瀬左衛門配下と知って、見つけ次第、殺そうという心づもりである。現れた段平を太平次は、奥に通す。

太平次の女房・お道(吉弥)は、太平次とは、異なる。花道から与兵衛とお亀を連れて、立場に案内して来る。道中で、持病の癪に冒された与兵衛。路銀を追い剥ぎに奪われてしまい、困っているふたりに太平次は、お亀を大学之助の妾に世話してあげると持ちかける。段平が、支度金50両を用意している。仇討を果たすためには、敵に近づかなければならないと苦渋の選択をして、妾奉公を承知するお亀と与兵衛。お亀が、駕篭に乗せられて去ると、太平次は、与兵衛の持っている「霊亀の香炉」を取り上げようとして、拒まれる。さらに、大学之助の息のかかった峠の飛脚や雲助らが、与兵衛を襲う。与兵衛の手助けをする振りをしながら、太平次は与兵衛の脚を鉈で切りつける。「摂州合法辻」の脚の不自由な俊徳丸のパロディであろう。太平次は与兵衛に逃げろと言って、峠の古宮へ行かせる。足を庇って右手で杖を突き、左手に提灯を持たされた与兵衛は、大事な香炉を何処に隠し持っているのだろうか。太平次は、与兵衛殺害の現場を己の営む「立場」でなく、「古宮」に移そうという企みがある。

お米は、縛られて2階に押し込められる。お道は、与兵衛を助けようと古宮に向かう。お米を探していた孫七が、花道から立場にやって来る。太平次は、お米を連れて来ると孫七を騙して、出かけている。その隙をついて、お米を助け出す孫七。

第三場「倉狩峠古宮の場」。舞台が、鷹揚に廻る。舞台下手に、「倉狩峠」の木杭。中央上手寄りに、古宮。与兵衛を殺そうとやって来た太平次が、古宮の戸を開けると、すでに、与兵衛を逃がしたお道が居るが、それに気付かず、太平次は女房に斬りつける。お道は、太平次と飛脚に相打ちで殺されてしまう。殺されるお道は、善人だけに、殺される哀れさが欲しい。吉弥は元が腰元という感じが弱い。刀を担いだ太平次が、花道を引っ込む。七三で腰をかがめる太平次のポーズが、見せ場の一つになっている。

第四場「元の一つ家の場」。舞台が、逆に、廻って、戻る。孫七・お米夫婦を殺しに戻って来た太平次は、孫七に向かう。暗闇で、孫七は、誤って、お米を斬ってしまう、孫七も、太平次に殺されてしまう。さらにお米にとどめを刺す太平次。嬲り殺しにされる夫婦。悪びれずに、平気で、人殺しを続ける太平次。善人面と性根の悪さの共存が醸し出す、ユーモラスでさえある殺し場は、仁左衛門歌舞伎の新しい魅力だろう。悪党を乗りに乗った芸域に引き上げた仁左衛門が、軽妙な演技で演じて行く。

「先代萩」の八汐に続く、悪役、憎まれ役であるが、悪とはいえ、スーパーマンの造形は、仁左衛門の芸域を拡げる悪の華が咲き競っているように思う。この三幕目の第二場、第三場、第四場という、廻り舞台の往復が、今回の世話場のハイライト。

三幕目では、仁左衛門の太平次ぶりが、ポイント。大学之助との違いをどう描くか。仁左衛門は、「絵本合邦衢」のふた役の演技で、頭一つ飛び出した、ということだろう。「一世一代」ということで、この演目、今月の上演で仁左衛門の出演が終わってしまうのは、なんとも惜しい。残念である。

暗転のうち、定式幕が開くと、大詰第一場「合法庵室の場」。二幕目、三幕目と続いた世話物に時代物が入り込んで来る。ここからは、世話物の太平次とダブらせながら時代物の大学之助をひとつの頂点とするふたつの三角関係を押さえると、理解し易い。1)大きな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助(仁左衛門)に対する合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎(彌十郎)と妻・皐月(時蔵)の夫婦が作る。その内側にイメージする、2)小さな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助に対する与兵衛(錦之助)とお亀(孝太郎)のカップルが作る。合法庵室にいるのは、弥十郎と末弟の与兵衛だが、養子に出た与兵衛を兄の弥十郎は、この場面まで顔を知らないという設定だ。

支度金をもらい、大学之助のところに妾奉公に行ったお亀は、既に、逆らった挙句、大学之助によって殺されてしまっている。肉体は、大学之助に従わざるを得ないとしても、心は、大学之助の意に添わなかっただろう。そういう心の動きには、敏感な大学之助だったろうし、あるいは、仇討を焦り、逆に、返り討ちにあったのだ。

薄暗い中、お亀は、死霊となって与兵衛の夢枕に立ち、悔しさを訴えて消える。明転。病気の上に、太平次に鉈で切られた脚が不自由な与兵衛の前に、大学之助一行が、舞台下手から豪華な駕篭に乗って現れる。大学之助は得意げに重宝のふたつとも入手していることやお亀の最期を告げる。おしゃれな格好をした大学之助は、この場面でも、土足で庵室に上がり込んでくる。与兵衛は、大学之助に切腹させられてしまう。大笑いの声を響かせながら、再び、駕篭に乗って下手に入る大学之助。性悪な人間が、権力の座につくと、こういう行動をするのか、というのが、「暴力装置」と化した大学之助という殿様の姿だ。

花道から合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎が戻って来る。留守中の出来事を与兵衛から聞く。苦しい息の下で、弥十郎に告げる与兵衛の言葉に、弥十郎は、ふたりが、同じ、仇討を狙う兄弟だったことを初めて知る。場面としては、登場しないが冷徹な大学之助が、用済みの太平次の殺害を配下に命じるというのは、原作にはない新演出らしい。仇討のすべての構造(ふたつの三角形)を理解した弥十郎は、舞台下手から現れた妻の皐月と共に、花道から大学之助を求めて追って行く。本舞台は、死にゆく与兵衛の頭上から浅黄幕が振り被せとなり、次なる場面展開へ。

第二場「閻魔堂の場」。浅黄幕が振り落とされると、舞台中央には、巨大な赤い閻魔像。下手に、「合法ヶ辻 閻魔 建立」の木杭。舞台上手と下手に松並木。舞台下手袖からやってきた大学之助一行の行列を襲おうと弥十郎と皐月の夫婦が、花道から近づいて来る。夫婦は、配下を追い払った後、行列の駕篭に近づき刀を駕篭の中に差し込むが、駕篭に載せていたのは、鎧のみ。大学之助は、いなかった。悪は隠れている。

仇討に失敗したとして、弥十郎と皐月は、観客席に背を向けて自害してしまう。すると、巨大な閻魔像の後ろから、不適な笑いを浮かべて、大学之助が姿を表す。ここでも土足のままだ。背景の黒幕が落ち、山と松の遠見となる。偽りの自害を演じていた夫婦は、近づいて来た大学之助に斬り掛かり、なんとか、仇討を果たす。閻魔堂に上がった弥十郎は素足、皐月は白足袋。斬りつけられた大学之助は、乱れ苦しみ、倒れる。兄の高橋瀬左衛門が刺された槍先を持ち込んでいた弥十郎は、槍先で、大学之助にとどめを刺す。

芝居を終えて、大学之助を演じた仁左衛門はムックリと起き上がる。仁左衛門を軸に、彌十郎、時蔵と並んで座り、「東西東西、まず、こんにちは、これぎり」の口上を言う。

大学之助に返り討ちに遭った人々や濡れ衣を着せられて殺された人々、太平次に殺された人々など、実に、多く人たちが犠牲になった物語も、やっと、大本の殺人鬼がしとめられて、幕となった。正義の秩序の恢復は、善人の側(弥十郎と皐月)の、自害の偽装という姦智で、最後の最後に、実現できた。幕切れは、時代に戻っていて、この演目の大きさを感じた。

「絵本合邦衢」、5回目の主役を演じる仁左衛門は、瓜二つという想定ながら、主家横領を狙う謀反人(国崩し)で、「血も涙も無い」徹底的に冷徹一筋な殿様・大学之助と善人面と悪党の対比が魅力の、飛脚上がりの立場の主、市井の小悪党(殺人請け負い人でもある)・太平次を見事に演じ分けたと思う。「一世一代」という。要するに、仁左衛門は今月の主演で、「絵本合邦衢」を演じ収めるというのだ。

この演じ分けは、武士と町人というだけに留まらず、言葉、身のこなし、氏素性から来る雰囲気、人柄など、全く、違う人物を感じさせなければならない。それでいて、両人とも、仁左衛門独特の悪の魅力で、彩られている。
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