<お茶の間論理学:会ったという記憶はない>
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最近の国会の答弁では「会ったという記憶はない」というのが流行っているようです。
しかし論理学上は、「会ったという記憶はない」というのは「会っていないという記憶がない」と同義です。
なぜなら「会っていないという記憶がある」なら「会っていない」と断言できるからです。
したがって、「会ったという記憶はない」=「会っていないという記憶がない」=「会った可能性がある」ということになります。
したがって、答弁で「会ったという記憶はない」といえば「会った可能性がある」と述べているのと同義になります。
したがって、質問者側は「会ったことがあるのかないのか?」と質問するより、「会っていないという記憶があるのか?」と聞いた方が「会った可能性がある」という事実を印象付けるのには的確な質問法と言えます。
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