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2018年03月12日10:29

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3月歌舞伎座(夜)人間国宝、仁・玉コンビ

18年3月歌舞伎座(夜/「於染久松色読販」「神田祭」「滝の白糸」)


人間国宝の二人、仁・玉コンビ


夜の部の歌舞伎座は、玉三郎と仁左衛門を軸に展開する。前半は、若い役者たちに向けた、人間国宝のベテラン二人の、いわばロールモデル演技。演目はふたつ。「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」、「神田祭」。このうち「於染久松色読販」を観るのは、2回目。前回は、15年前、03年10月、歌舞伎座であった。南北原作の作品。長い下積み生活の果てに、50歳を前に、やっと立て作者になった南北は、満74歳で亡くなるまでの中年期こそ、彼にとっては、充実の「青春期」であったかも知れない。まあ、そういう時期ではあっても、水ものの興行の世界だ。当たり外れもある。1年余りの不当たりの後、久しぶりに当てたのが、森田座上演の「於染久松色読販」であった。五代目岩井半四郎の七役早替りが、当たったのだった。

大坂のお染め久松の物語を江戸に移すという発想をベースに、主家の重宝探し、土手のお六と鬼門の喜兵衛の強請が絡む。しかし、基本は、「お染の七役」と言われるように、女形の早替りをテンポ良く見せるという、単純な芝居(それゆえか、南北は、2年後、本格的にお六を軸にした芝居「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」を書き、江戸の河原崎座で上演する)。不当たり続きの南北が、当時、流行の早替りの演出を取り入れた捨て身の趣向が当たったのだろう。

前回は、「新版お染の七役」というサブタイトル付で上演したように、7つの場面で構成されていた。玉三郎が、「早替り」で替る役は、お染、久松、お光(「お染久松」の世界の3役)、久松の姉で奥女中・竹川、後家の貞昌、土手のお六、芸者小糸。それぞれの役を早替りで見せ、特に「悪婆(あくば)」と呼ばれる独特のキャラクターのお六をじっくり見せる、という趣向だった。早替りなどに慣れている澤瀉屋一門、先代の猿之助一座の芝居と違い、早替りのテンポなどは、「ちょっと」という場面もあったが、玉三郎は「替わる急所をしっかり押さえることが大事だと思います。七つの役がパッと浮かび上がって見えるように。だから早替わりでなくて遅替わりになるかもしれません」と言っているから、そこは、承知の上のようだったが、今回は、早替りのない演出となった。


同じ演目が「早替り」ものから小悪党の滑稽噺へ


今回は、序幕「小梅莨屋の場」と第二幕「瓦町油屋の場」のふたつの場面だけの上演だ。私が観た前回の配役は、お六:玉三郎、喜兵衛:團十郎。今回は、お六:玉三郎、喜兵衛:仁左衛門。前回の團十郎の喜兵衛も悪くはなかったが、今回は、この配役の妙で、息の合ったコンビネーションのよさに加えて仁左衛門の巧さもあり、45分程度の短い芝居が、逆に効果的でとても印象に残った。

「悪婆」という独特の女形の型(毒婦。悪事を働く中年女という設定)のあるお六(玉三郎)と元・中間で、今では「鬼門」というニックネームのついた喜兵衛(仁左衛門)の夫婦(駆け落ちした男女)が登場する。芝居の背景になっている千葉家のお家騒動の元となった重宝の刀紛失の鍵を握る男が、実は、この喜兵衛。盗んだ重宝を売り払い、百両という金を手に入れ、すでに、使い込んでしまっていた。金の工面に思いついたのが、質店油屋(お染の実家)に対する強請だが、これが、強請に使った「遺体」が、途中で、息を吹き返すという杜撰な強請で、化けの皮がはがれるが、喜兵衛は、意外と、泰然自若としている、おもしろい男。

その場面を前に、まず、場内暗転。その中で、定式幕が、ザーという音を立てて舞台上手に向かって開いてゆく。序幕「小梅莨屋の場」。「非人の市」という男が、河豚の毒にあたって死んだという男の遺体を入れた棺桶をお六の営む莨屋に預けて行く。これと入れ違いになるように戻ってきたのが、「鬼門の喜兵衛」(仁左衛門)。折から莨を買いに来たのが、嫁菜売りの久作(橘三郎)。来合せた髪結の亀吉(坂東亀蔵)に久作が、その日の「災難」の話をする。災難とは、こうだ。油屋の手代九助と喧嘩になり、久作は額に傷を負わされたという。そこへ通りかかったのが油屋の娘・お染との婚儀が取り沙汰されている山家屋の清兵衛が、詫び代として、膏薬代と袷の着物を久作に渡した、という。その袷の直しを久作はお六に頼んで、亀吉と共に立ち去る。久作の話を聞いていた喜兵衛が油屋への強請を思いついた、というわけだ。棺桶の遺体を利用して、久作の災難のその後をでっち上げ、油屋を強請ろうと思いつき、お六も協力することになった。

この場面で、喜兵衛は、棺桶の遺体を取り出し、遺体の帯を解く。後で、遺体を駕籠に乗せて油屋に向かうことになるが、棺桶と遺体に絡む場面が、どうという場面でもないのだが、最後に喜兵衛が棺桶の上に座り込む(昔の舞台の名場面写真が残っている見せ場)まで、所作といい、幾度かの静止のポーズといい、歌舞伎の様式美で節々を決めた仁左衛門の演技がなんとも決まっていて見ごたえがあった。歌舞伎の美学は、所作と静止ポーズを繋ぐ様式美にこそある、と改めて思う。

この男・危険につき、注意! 15年前、喜兵衛を演じた團十郎もさることながら、今回の仁左衛門も、存在感のある小悪党を過不足なく演じている。それを受ける玉三郎の芝居も、肩に力が入っておらず、さらに味があり、「小梅莨屋の場」から、「瓦町油屋の場」までの場面は、なんとも、印象的だった。他人(ひと)に頼まれて、自分が、重宝を盗み出して、質店油屋へ質入れをし、その金を使い込んでしまい、依頼主から重宝を催促されて、質入れをした油屋に、平気で乗り込み、偽の「死体」で強請をかけ、しかもそれが失敗して、遺体を運んだ駕籠を女房と二人で担いで逃げ帰ってゆくという、なんともしまらない話が、すこぶるおもしろいのだ。

今回は、お六を前棒に、自分を後棒にして誰も乗せていない、空の駕籠を担いで逃げ帰ってきたが、本来は、この後、「油屋裏手土蔵」の場面で、喜兵衛は質店油屋の裏にある土蔵に盗みに入る。その挙げ句、盗みに入った土蔵に居た久松(千葉家家臣で重宝紛失の責任を取って切腹した石津九之進の息子。家名再興のために重宝の刀と折紙=鑑定書を詮議している。そのために、油屋に丁稚奉公している)に見つけられ、久松に斬り殺されるという、発想の単純な小悪党でもある。そのあたりの人物の描き方が、前回の團十郎も巧かったし、今回の仁左衛門も巧い。

第二幕「瓦町油屋の場」。その翌日。油屋の店先に現れたお六は、久作から預かった袷の着物を取り出す。きのう、怪我をした嫁菜売りは、自分の弟だが、傷が元で死んでしまった、と偽り、金をせびる。お六は、外で待機していた夫の喜兵衛を呼び込み、遺体を乗せた駕籠も運び込ませ、店内に遺体を放り出させる。

贅言;油屋に持ち込まれた袷の着物は、山家屋清兵衛が久作に渡したものかどうか、番頭(千次郎)や丁稚らがチェックする場面で、「そだねー」という捨て科白(アドリブ)を言って、場内の笑いを取っていた。歌舞伎は、時々、こういう捨て科白を入れ込むことがある。

油屋の強請の場面では、お六と喜兵衛の間で思惑の違いもあり、この辺りの、玉三郎と仁左衛門の対比も、おもしろい。遺体は、息を吹き返すし、死んだはずの久作が、きのうの礼を言いにやってくるし、ということで、強請はチョンとなる。女形が、強請の主導権を握るのも、珍しい。前回の見どころは、「早替り」と玉三郎と團十郎の「掛け合い」の二本立てだったが、今回は、玉三郎と仁左衛門の小悪党夫婦の掛け合う滑稽噺というコンセプトに一つに巧くまとまっていて、判りやすく見ごたえがあった。


仁・玉の「神田祭」を堪能


「神田祭」としては、4回目の拝見。このうち、今回を含め、3回は孝夫時代を含む仁左衛門と玉三郎のコンビ。江戸の祭は、神田明神の「神田祭」と赤坂・日枝神社の「山王祭」がある。このうち、「神田祭」の情景を描いたのが、舞踊の「神田祭」。本外題を「〆能色相図(しめろやれいろのかけごえ)」という。1839(天保9)年、江戸の河原崎座で初演。私が観た3年前、15年2月の歌舞伎座では、菊五郎の鯔背な鳶頭と時蔵を始めとした芸者衆(時蔵、芝雀時代の雀右衛門、高麗蔵、梅枝、児太郎)、さらに大勢の手古舞(京妙、梅之助、京蔵、菊史郎、芝のぶ、春花、蔦乃助、玉朗)や若い者が絡んで、明るく賑やかに江戸の祭を活写していた。今回は、若い者との絡みの場面はあるものの、鳶頭(仁左衛門)と芸者(玉三郎)の二人をじっくり見せる。

贅言;「山王祭」の方は、通称「お祭り」、あるいは、清元の出だしの文句から「申酉(さるとり)」。本外題を「再茲歌舞伎花轢(またここにかぶきのはなだし)」。歌舞伎には、「お祭り」、「勢(きおい)獅子」(最後に、獅子舞が出てくる)、「神田祭」など同工異曲の演目があるので、紛らわしい。

贅言;今回の歌舞伎座のチラシでも、当初は、「お祭り」という外題が印刷されていた。途中から、「神田祭」。いずれも出演は、鳶頭:仁左衛門、芸者:玉三郎。

前回の趣向は、祭の曳きもの、練りものなどによる行列「附け祭」のうち、「大鯰と要石」の神輿を登場させる。鯰を鎮め、地震を防ごうと祈願する。要石に鳶頭自身を見立てて、神輿の上に乗り、大鯰の頭を踏み、天下太平を願う場面があったが、今回はシンプル。緋毛氈をかけた床几に鳶頭が座り、その床几ごと若い者が鳶頭を持ち上げる場面は、前回の神輿の代わりか、これは、初めて見たと思う。

私の印象に残るのは、仁左衛門の長い病気回復からの復帰の舞台で、鳶頭に扮した当時の孝夫に、大向こうから「待ってました」と声がかかり、「待っていたとは、ありがてい」と孝夫が科白で客席に返す場面だ。答える声に、健康を取り戻した役者の喜びが、溢れていたのを思い出す。24年前の94年1月の歌舞伎座であった。この時は、「お祭り」(山王祭)の舞台だった。この演目を観るたびに私はこの場面を思い出す。

今回印象に残ったこと。幕が開くと、舞台全面を浅葱幕が覆っている。浅葱幕振り落としで、舞台中央に仁左衛門の鳶頭。若い者二人との絡み。下手に剣菱の積みもの。やがて、花道から玉三郎の芸者登場。本舞台の仁左衛門は、親しい芸者を見つけて、「おう」と手を挙げる。役を演じているというのではなく、鳶頭になりきって知り合いの芸者を見つけて破顔している、という感じそのまま。もう、それだけで、観客の気持ちを掴んでしまう。鳶頭と芸者の踊り。若い者との立ち回りの絡み。

最後に花道の演出。二人は、もつれ合うように花道を去る場面。大向こうからは、「松嶋屋」「大和屋」「ご両人」の掛け声。それに応えるように、花道七三で、イチャイチャする二人。玉三郎の演じる芸者の頬に仁左衛門の鳶頭が唇をつけんばかりに接近する。あわや接吻か、という場面で、仁左衛門が周辺の視線に気がついた、という体で、照れ笑い、苦笑い。花道周辺の上手、下手の観客にそれぞれ詫びる仕草でお辞儀をしながら愛想笑いをする、という場面があり、ベテランの立役と女形の藝の滋味のようなものを感じた。巧いね。この味は、この二人以外には、なかなか出せないのではないか。


玉三郎演出の「滝の白糸」


「滝の白糸」は、今回、初見。これは、玉三郎演出でも、やはり、新派の舞台に近い。泉鏡花が1894(明治27)年に発表した初期の短編小説「義血俠血(ぎけつきょうけつ)」が原作。1895年、東京駒形浅草座で「滝の白糸」という外題で初演された。川上音二郎の村越欣弥、藤沢浅二郎の白糸ほか。1933(昭和8)年、東京劇場で、花柳章太郎が初役で白糸を演じた際、初めて水芸の場面が取り入れられた。これ以降、この場面が見せ場の一つになった。
花柳章太郎、初代水谷八重子が白糸を演じ続け、新派の人気狂言になった。坂東玉三郎も演じたが、今回は、玉三郎は演出に回り、尾上松也の村越欣弥、壱太郎の白糸という、浅草歌舞伎のノリのフレッシュな顔ぶれで、歌舞伎界は、花形以前の若手役者を多数使って、藝の伝承と研修を図る。歌舞伎界の将来を気にかける玉三郎らしい英断だと思う。

今回の主な配役は、次の通り。
滝の白糸が壱太郎、村越欣弥が松也、春平が歌六、南京寅吉が彦三郎、松三郎が坂東亀蔵、お辰が歌女之丞、桔梗が米吉、撫子が玉朗、裁判長が吉之丞ほか。

今回の場面構成は、次の通り。
第一幕「石動棒端の茶屋」、第二幕第一場「水芸の舞台」、第二場「卯辰橋」、第三幕第一場「場末の楽屋」、第二場「金沢兼六公園」、第三場「それに続く桐田邸」、第四幕第一場「数年後の石動茶屋」、第二場「金沢の法廷」。

初見なので、コンパクトながら、あらすじも記録しておこう。
「緞帳」が上がると、第一幕「石動棒端の茶屋」。石動は、現在の富山県小矢部市石動町。現在の石動駅は、あいの風とやま鉄道線の駅。小矢部市を代表する駅で、富山県内の鉄道駅で最も西に位置する、という。1898 (明治31)年、北陸本線金沢 - 高岡間の開業と同時に石動駅が開設された。富山県の西の玄関口として発展した。

贅言;泉鏡花の原作「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」(ここでの表記は新字新仮名にした)では、

「越中高岡より倶利伽羅下(くりからじた。倶利伽羅峠の下)の建場なる石動(いするぎ)まで、四里八町(ざっと17キロ)が間を定時発の乗り合い馬車あり」と書いている。


この芝居は、それ以前の乗合馬車の時代の石動が描かれる。元々、北陸道の倶利伽羅(くりから)峠の麓の宿場町。また、明治中頃までは小矢部川の河港としても栄えた。棒端とは、宿場・宿駅の外れ(出入り口)。芝居で設定された、この時代は、乗り合い馬車の停車場。停車場にある茶屋(建場茶屋)は、今で言えば、ターミナルの待合室という感じ。茶屋には、老婆が宿駅(建場=江戸時代、街道筋で人足が駕籠や馬を止めて休息した所。明治以後、人力車や乗合馬車などの集合所・発着所となった )を利用する旅人たちの世話役として働いている。守若が老婆を演じているが、存在感があって、なかなかよろしい。

茶屋は大部分が土間で床几が置いてあり、待合室という雰囲気が伝わって来る。上手に別間があり、今は、青い蚊帳の中で誰かが寝ている。蚊帳の外には、手鏡、団扇、衣装入れなどが置かれている。富山の薬売りが二人で入ってくる。水芸(みずげい)一座の一行を出迎えに来た太夫元(芝居興行の責任者)の青柳太吉(秀調)と水芸一座の先乗り新助(千次郎)も入ってくる。別の間に寝ていたのは、水芸一座の太夫(スター)・滝の白糸(壱太郎)だった。白糸は、馬丁の「欣さん」と呼ばれる男に横抱きされて、ここまで運び込まれたなどと話す。

贅言;鏡花の原作では、オープニングのハイライト場面として、乗合馬車の御者の「金さん」が、商売敵の人力車と競争し、途中で、2頭立ての乗合馬車を停めて、馬車の1頭の馬に白糸を横抱きに乗せて、石動まで走ってきた、という場面が描かれている。

茶屋に遅れて到着したのは、水芸一座の男衆・松三郎(坂東亀蔵)、水芸仲間の桔梗(米吉)、お辰(歌女之丞)、白糸の弟子・尾花ほか(右若ほか)、座頭の春平(歌六)で、春平は、白糸の話を聞くと軽率な行動だと咎める。白糸たちが出て行くと入れ違いに出刃打ち芸人・南京寅吉(彦三郎)一座が到着する。

新派劇なのに、閉幕は、「定式幕」が上手から下手に向かって閉まってゆく。馬の展開の際の開閉幕は、定式幕が多用される。玉三郎の歌舞伎演出の始まり。第一幕を見た限りでは、これは完全に新派劇。役者が皆、歌舞伎役者というところは、歌舞伎劇。私の関心は、歌舞伎味がどこまで出せるか、にある。

第二幕第一場「水芸の舞台」。下手から定式幕の外に口上役の松三郎(坂東亀蔵)が出てくる。「東西、これからお目通りに控えさせましたるは、当座の太夫滝の白糸にござりまする」などと言った後、下手から幕内に戻ると、定式幕が開き始める。開幕すると、そこは全て水芸の本舞台。太鼓橋の上、中央に白糸太夫(壱太郎)、両脇に桔梗、尾花ら6人が並ぶ。刀や扇子などの小道具から細い水を噴き上げさせる。

贅言;水芸とは、徳川時代から続く水を用いた一種の手品芸。演芸場などの演目にもなっている。「水からくり」と呼ばれる。舞台裏や足元などで手押し(あるいは足でペダルを踏み)ポンプを押し、衣装の下などに蜘蛛の巣のように張り巡らせた細い導水管を通して水を送り出す。現在も日本的なマジック(手妻)として受け継がれている。水芸をたっぷり見せる場面だが、壱太郎らも、なんとか無事に芸の披露を終えた、ところで、定式幕が閉まる。第二幕第一場は、歌舞伎座が水芸の芝居小屋になった、という想定。

第二場「卯辰橋」。暗転の中、定式幕が開く。夜も更けた。浅野川にかかる卯辰橋(卯辰山の表玄関に位置する橋、天神橋)の橋詰に姿を現したのは、白糸太夫(壱太郎)。真っ赤なものを羽織っている。暗闇の中でも目立つ。舞台上手の橋場から白糸は河原へと降りる。川べりに舫っている小舟の中で寝ているのは、村越欣弥(松也)だ。目を凝らした白糸は、男が「欣さん」だと判じる。この芝居の主役のカップルの再会の場面。目を覚ました男は、身の上話をする。元金沢藩の家臣の息子。父を亡くし、学校を中退し、母親を養うために馬丁をしているが、学問を志す気持ちは捨てていないという。男の話を聞いて、白糸は、学資援助を申し出る。二人は、やっと、本名を告げ合う。

第三幕第一場「場末の楽屋」。3年後。金沢の福助座。ドサ廻りの芸人たちの姿が描かれる。滝の白糸一座と南京寅吉一座が出演している。二つの一座は、仲たがいしているようだ。白糸一座と南京一座の楽屋は、廊下を挟んで向かい合っている。両一座の間でトラブルがいずれは暴発しかねない。一方、白糸が金の工面に苦労しているのは、欣弥への援助のためらしい。戻ってきた寅吉が
白糸一座の楽屋の出入り口の近くで、盗み聞きしている。

第二場「金沢兼六公園」。白糸一座の桔梗(米吉)と南京一座の撫子(玉朗)が、下手から夜も更けた兼六公園にやってきた。寅吉らにいじめられているので、南京一座から抜けたいという撫子をなだめて、小屋へ連れ帰る桔梗。入れ違いに上手から公園に現れたのは、南京寅吉ら一座の3人。白糸を待ち伏せし、やがて現れた白糸に襲いかかると、白糸が欣弥のために借金した百円を奪い取って、花道から逃げてしまう。犯人が寅吉らだと悟った白糸は寅吉からちぎり取った寅吉の片袖と寅吉が投げつけてきた出刃を手にして、薄暗闇の中、茫然と花道に向かう。暗転で、廻り舞台が、静かに廻る。

第三場「それに続く桐田邸」。兼六公園に近い高利貸しの桐田老人の屋敷。花道から本舞台に戻ってきた白糸。桐田邸の内部に薄明かりがある。「助けてください」などと言いながら、白糸は、鍵のかかっていない邸内に入り込む。裏木戸から出てきた老人とともに邸内に姿を消す。屋敷内から「泥棒、人殺し」などという老人の声の後、茫然自失の白糸が中から出てくる。手には出刃包丁が握られている。

贅言;芝居では、桐田老人を殺すだけだが、鏡花の原作では、白糸は、老人夫婦二人を殺し、特に、妻には、姿を見られていて、犯人は女と判ってしまうので、殺したことになっている。

第四幕第一場「数年後の石動茶屋」。事件から数年後(原作では、事件から数ヶ月後)。茶屋の女将(京蔵)は、代替わりで、若返っている。茶屋には、様々な人々が出入りする。水芸一座のほかでは、猿回し、行商の男、三味線弾き、巡査、祭文語り、娘軽業、俥夫、巡礼、郵便配達夫。玉三郎演出は、江戸の南北ばりに庶民の姿を描こうとしているようだ。おもしろい。

桐田老人を殺めた疑いで、寅吉らが捕まった。殺人現場には寅吉の出刃と片袖が落ちていた、という。水芸一座は馬車を待っている。それでも、事件の翌朝、白糸が東京の欣弥に手紙とともに為替を送っているので、白糸も警察に事情を聞かれたのだ。茶屋で馬車を待つ白糸を訪ねてきた巡査は、白糸を裁判所に同行させる。一座の一行も出発する。これと入れ違うように欣弥(松也)が母のおえつ(吉弥)とともに茶屋に現れる。通りかかった郵便配達夫(寿治郎)は、渡された名刺から欣弥が、金沢裁判所に赴任する検事代理と知る。定式幕が閉まる。

第二場「金沢の法廷」。定式幕が開くと、法廷。中央の裁判長(吉之丞)が、審理を進める。舞台上手側は、傍聴席のようだ。法廷内には、被告の寅吉(彦三郎)のほか、証人の春平(歌六)、白糸(壱太郎)にも続けて喚問する。白糸は、金を送った相手への想いを交えながら、寅吉たちに金を奪われていないと答える。(金を奪われていないから、自分は他人を殺して金を奪う必要などない。)これを聞いた裁判長は白糸に退廷を促す。しかし、検事の欣弥が白糸への尋問を要求する。欣弥は真実のみを語って欲しいと白糸に説く。白糸は、終に、寅吉らに金を奪われたと話し出す。欣弥は、白糸の起訴を裁判長に申し出ると、退廷してゆく。この間、壱太郎の白糸は、終始、客席には立ったままの後ろ姿しか見せていなかったように思える。古い写真を見ると、白糸は観客に横顔を見せたりしている。欣弥の言葉を聞き、泣き崩れる白糸。抱き起こされ、こちらを向いた白糸は舌を噛んで自害している。法廷外から銃声が聞こえる。献身的に援助してくれた白糸を死なせた責任を感じて欣弥が自害したのだ。この場面は、玉三郎演出。

終演となり、最後は、「緞帳」が下りてくる。新派劇「滝の白糸」の初めての歌舞伎劇化した舞台は、その心意気は興味深かったが、歌舞伎味は、もう一つだったように思う。後半の部分は、原作とはかなり違う。今後の歌舞伎再演を期待したい。

贅言;泉鏡花の原作「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」では、最後の場面は、次のようになっている。

 「これに次ぎて白糸はむぞうさにその重罪をも白状したりき。裁判長は直ちに訊問を中止して、即刻この日の公判を終われり。検事代理村越欣弥は私情の眼を掩(おお)いてつぶさに白糸の罪状を取り調べ、大恩の上に大恩を累(かさ)ねたる至大の恩人をば、殺人犯として起訴したりしなり。さるほどに予審終わり、公判開きて、裁判長は検事代理の請求は是なりとして、渠に死刑を宣告せり。
 一生他人たるまじと契りたる村越欣弥は、ついに幽明を隔てて、永く恩人と相見るべからざるを憂いて、宣告の夕べ寓居の二階に自殺してけり」。
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