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2018年03月10日18:33

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愛おしさの理由

今日も、我が家の末っ子"はる坊"は、食べて遊んで寝て、満足げに過ごしています。そしてそれは、わたしにとっても何よりも嬉しいことであります(^^)。もう立派な大人のはずなのに、末っ子のせいでしょうか、赤ちゃんっぽさが残ったままで・・・それがまた何とも愛しいのであります。

けれど・・・わたしのこの子への愛情の源は・・・きっと自分の中のエゴそのものだと思うのですよね・・・

我が家のニャンコたちは、うちの家族それぞれにとって、特別な意味をもつ存在です。ただ可愛いペット、迎え入れた家族ということだけでなく・・・諦めきれない思いを託させてもらっている拠り所でもあるわけです。

けれど、はるは少し違います。わたしにとって彼女は、"わたしが取り上げた子""わたしが助けた命"・・・そう、何より"わたしが"な存在なのです。だからわたしは、この子がたまらなく愛おしい・・・きっとそうなのだと思うのです。

"わたしが取り上げた子""わたしが助けた命"というのは、おそらく言い過ぎではないと思います。たぶん彼女の母親にとって初めてのお産で・・・はるの兄弟姉妹たちは、みな助かりませんでした。ほとんどの子が未熟児であったことが一番の原因ですが、母親が産み落とした子の羊膜を破いてやれなかったというのも原因の一つで、はるに関しては、ようやくそれに気づいたわたしが羊膜を破いて彼女を取り出したことで、彼女はこの世に生まれ出ることが出来たのです。

"わたしが"いなければ、この子は此処には存ない・・・このことの意味は、はるにとってより、わたしにとってあまりにも大きい・・・わたしの心は、このことによって、どれだけ軽くなっていることでしょう・・・

だからこそ、はるちゃんの誕生、はるちゃんの命、はるちゃんの存在に感謝しつつ・・・なんて、わたしの愛は卑しいのだ、と思うわけです。お前は"わたしが"じゃなければ愛を感じられないのかと、情けなく思うのであります。

もちろん"わたしが"の愛があってもいいとは思います。けれど"わたしが"とか"わたしの"の愛しかない人間では、いかにも貧し過ぎるではないですか。じゃあ"わたしが"とか"わたしの"ではない愛の源って、いったい何なんでしょう。"わたしが"とか"わたしの"を押し広げていったものなのか・・・それともまったく別の種類のものなんでしょうか・・・持ち合わせた愛の薄いわたしには、それが実感として理解できないのであります・・・ああ、情けなし。
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