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2018年03月10日17:12

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3月歌舞伎座(昼)四代目雀右衛門追善供養の「道成寺」

18年3月歌舞伎座(昼/「国性爺合戦」「男女道成寺」「芝浜革財布」)


四代目雀右衛門追善供養の「道成寺」


3月の歌舞伎座は、1〜2月の高麗屋三代同時襲名の華やかな舞台が無事大団円となり、いわば普通の興行月になった。とはいうものの、2月23日が四代目雀右衛門の命日だったことから、3月の舞台で、雀右衛門七回忌の追善狂言として、「男女道成寺」が上演された。まず、この演目から書いておこう。

「男女道成寺」は、6回目の拝見。幕が開くと、太めの紅白の横縞の幕を背景に、舞台中央に大きな鐘が宙づりになっている。この幕が上がると、やがて、背景は、紀州道成寺の遠景で、「花のほかには松ばかり」という満開の桜の景色となる。下手に桜木。「鐘供養當山」の立札。その昔、恋に破れた清姫の怨念で、焼き尽くされた鐘が、再興されたのだ。

私が観たのは、初めが、94年5月、丑之助時代の菊之助と菊五郎の親子。丑之助が、花子で、菊五郎が桜子、実は左近。以下、配役の順番は同じ。次いで、04年9月、福助、橋之助時代の芝翫の兄弟。07年4月、勘三郎(十八代目)、仁左衛門(十五代目)。いずれも、歌舞伎座で、拝見。11年4月、新橋演舞場で菊之助と松緑。16年5月、歌舞伎座で菊之助と海老蔵。6回目の今回は、当代、五代目の雀右衛門と松緑。

この演目は、「二人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白拍子として登場するが、途中で、桜子の方が、実は、といって、狂言師・左近として正体を顕わすところにミソがある。「二人道成寺」では、桜子は花子のいわば「影武者」的な存在。「男女道成寺」では、桜子は、左近がなりすました白拍子だが、なぜそういうことをするのかは、不明。松緑の桜子は、目がぱっちりしていて可愛らしい。なかなか、松緑の女形姿など拝む機会がないので、これはこれでおもしろかった。左近は正体がバレても、寺側の所化たちから特にとがめ立てもされずに、引き続き舞い続けるように所望される始末。以後は、若い女性の花子の舞いと若い男性の左近の舞の対比の妙味を見せる演目となる。「二人道成寺」とは、一味違ってくるという趣向だ。

もっとも、所化たちも、鐘供養に酒や肴をこっそりと持ち込んでいるので、行楽気分であることも否めない。女人禁制の道成寺とあって、本来なら禁じられている女性が鐘供養の鐘を拝み、奉納の舞を舞うことで、入場が許されただけに、女子が男性だったとなれば、禁制の度合いがかえって弱くなるとでも、思っているかもしれない。

その後の展開は、基本的に、「道成寺もの」の定番に似ている。真女形の雀右衛門は、さすがに、女形らしい体の動きを滲ませつつ、安定した踊り。やがて、左近の正体露見で、まず、所化に囲まれて、頭のみ、野郎頭とし、つまり、桜子の鬘を取り、左近の地頭という形(なり)の鬘となった後、松緑もコミカルに対応。

松緑は衣装を替えて、すっきりと再登場する。若い二枚目となる。花子は、いつもの「道成寺もの」同様に、引き抜き含めて、何度も衣装を替える。華も実もある花子であった。「京屋!」。屋号の掛け声が、大向うから仕切りに掛かる。

今回は、冒頭、所化が本舞台に集合したところへ、上手から明石坊(友右衛門)が、登場して、一芝居の後、「劇中口上」の演出で、先代雀右衛門の「京屋」の長男としての大谷友右衛門として父親の七回忌追善狂言を次男の当代雀右衛門を軸に上演することを観客に伝える場面があった。

大団円。三味線の早弾き。鐘が、落ちて来て、花子(雀右衛門)は、鐘の上に上がって蛇体(赤地に金の鱗模様の衣装)の清姫の霊として正体を顕して、大見得。左近(松緑)は、同じく、蛇体(黒地に金の鱗模様の衣装)の正体を顕して、平舞台鐘の下手に立ち、同じく大見得。二人合わせて、清姫の亡霊だったとわかる。一体の清姫の亡霊が、観客や所化には、二重に見える、という趣向。

追善供養に参加した所化たちの名前を記録しておこう。
歌昇、竹松、壱太郎、廣太郎、米吉、橋之助、男寅、(中村)福之助ほかで、総勢16人。


上方の役者・愛之助が江戸歌舞伎の荒事に初役で挑戦


「国性爺(こくせんや)合戦」は、徳川幕府の鎖国時代に育まれた歌舞伎では珍しい国際ものの芝居。私は、今回で、5回目の観劇となる。いつも場面構成が、微妙に違う。

初めて見たのは、98年12月、歌舞伎座であった。この時観た猿之助一座の舞台は、人形浄瑠璃の全五段をすべて見せたので、いかにも、「戦史」という印象であった。歌舞伎の場面構成は、「大明御殿」から「南京城」まで、16場面だった。03年4月、歌舞伎座は、場面が整理され、コンパクトになっている。平戸海岸、千里ケ竹、獅子ケ城楼門、甘輝館、紅流し、元の甘輝館。つまり、「平戸海岸」から「元の甘輝館」まで、6場面。10年11月、国立劇場は、「大明御殿」から「元の甘輝館」まで、7場面。12年10月、新橋演舞場は、「楼門」から「元の甘輝館」まで、4場面。そして、今回は、前回の新橋演舞場同様、4場面という構成。つまり、「楼門」、「甘輝館」、「紅流し」、「元の甘輝館」となる。

「国性爺合戦」は、もともと、17世紀の中国の歴史、「抗清復明」の戦いと呼ばれた明国再興のために清国に抗戦した歴史、なかでも、史実の人物、日明混血の鄭成功(前名、和藤内)の物語を題材にしている。史実の鄭成功は、「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれた。鄭成功は、清に敗れた後、台湾を攻略し、そこを活動の拠点にした。

近松門左衛門は、「明清闘記」という日本の書物を下敷きに、「国性爺合戦」を書いたというから、これは、まさに、国際的な「戦記」である。1715(正徳5)年、竹本座で初演された近松門左衛門原作の人形浄瑠璃は、全五段構成。韃靼(だったん)に滅ぼされた明の再興を願う和藤内(後に、鄭成功)は、姉(父親の先妻の娘)の錦祥女が、甘輝将軍に嫁いでいるという縁を利用するため、大陸に渡る。韃靼に従っている甘輝将軍に対して、義弟の和藤内が、日明混血という立場を生かして、実の父母(父親の後妻)とともに韃靼征伐への旗揚げ協力を要請に行くという物語である。

老一官(東蔵)は、その昔、明の官僚だったが、日本に密航し、日本人の妻・渚(秀太郎)と結婚し、長男・和藤内(愛之助)を生んだ。明滅亡の危機という情報を得て、明再興のため家族を連れて、祖国に戻る。頼るのは、老一官の先妻の子どもで、長女にあたる錦祥女(扇雀)。錦祥女が明の将軍・甘輝(芝翫)の夫人になっているからだ。権力者の妻になっている娘を頼って帰国したある在日中国人一家の前に待っているのは、どんな物語か、というところで、歌舞伎の幕が開く。

贅言;韃靼とは、本来モンゴル系の遊牧部族タタールを指した中国側の呼称。タタール部は11〜12世紀においては、モンゴル族の中でも多数を占めていたという。その後、12世紀末〜13世紀初め,モンゴル部にチンギス・ハーンが出現し,モンゴル帝国が出現するに及んでタタール部の力は衰えていった。

「戦記もの」ながら、見どころは、和藤内から見て、実母の渚と腹違いの姉の錦祥女という、義理の母娘が、重要なポイントになる、というのがおもしろい。

私が観た和藤内は、猿之助、吉右衛門、團十郎、松緑、そして、今回が愛之助。このほかの配役は、錦祥女が、玉三郎、雀右衛門、藤十郎、芝雀時代の当代、五代目雀右衛門、そして今回が、扇雀。甘輝が、梅玉(2)、段四郎、富十郎(病気休演の仁左衛門の代役)、そして、今回が芝翫。父・老一官が、左團次(3)。歌六、そして今回が東蔵。母・渚が、秀太郎(今回含め、2)、九代目宗十郎、田之助、東蔵。東蔵は、父・老一官も母・渚も演じているのですね。今回は、顔つきが痩せていて、彌十郎が演じているのかと見間違えた。科白を言う口跡も似て聞こえたから、不思議だ。

今回は、みどり上演で、序幕「獅子ヶ城楼門の場」、第二幕第一場「獅子ヶ城内甘輝館(かんきやかた)の場」、第二場「同 紅流しの場」、第三場「同 元の甘輝館の場」という場面構成。ここが、「国性爺合戦」で、いちばんの見どころとして、演じられる。軍師・和藤内は、老いた両親を連れての登場である。ファミリーで戦争へ行くという発想も、衝撃的であるし、非日常的なものがある。戦のなかで翻弄されるふたつの家族の物語。和藤内一家と和藤内の義理の姉・錦祥女(扇雀)、そして錦祥女の夫・甘輝(芝翫)の夫婦が、物語の軸になる。

まず、序幕「獅子ヶ城楼門の場」では、和藤内が、金の獅子頭が飾られている楼門の外から城内に呼び掛け、甘輝ヘの面会を求めるが、断られる。この後、和藤内は、暫くは、あまり、仕どころが無い。

次に、老一官が、娘の錦祥女に逢いたいと申し出る。やがて、楼門の上に錦祥女が現れ、「親子の対面」となるが、親子の証拠を改めるという場面である。幼い娘に残した父の絵姿と見比べながら、楼門の上から、月の光を受けて、鏡を使って父親を確かめる娘。楼門の上と下という立体的な「対面」も、劇的な趣向が良い。

父と娘と、お互いに本物と知れても、戦時下のことゆえ、異国人の家族は、城内に入れるなという韃靼王の命令で、入場厳禁という。

そこで、母・渚の仕どころとなる。縄を打たれ、縄付きの人質になるから、義母(渚)を城内に入れてほしいと義理の娘(錦祥女)に頼む。渚は、いわば、全権大使の役どころ。それは、聞き入れられる。和藤内らは、甘輝の面会の是非の判断は、化粧殿(けわいでん)の鑓水(やりみず)に流す「紅白」の合図(紅=是か、白粉=非か。後の「紅流し」の場面に繋がる)を決めて、両手を後ろ手に縛られた渚を城内に引き入れる。

第二幕第一場「同 甘輝館の場」。甘輝は、芝翫。だが、この場面の主役は、女形たちである。和藤内の母・渚(秀太郎)。甘輝の妻・錦祥女(扇雀)。特に渚は大活躍することになる。

夫婦の縁で、義弟の味方をしては、将軍としての体面が保てない。和藤内に味方するためには、妻の錦祥女を殺さなければ韃靼王に対して面目が立たないと、甘輝が、錦祥女に刀を向ける場面では、両手を縄で後ろ手に縛られていて不自由な渚が、口を使って、ふたりの袖をそれぞれに引き、諌める場面が、良い。夫・老一官の先妻の娘への、継母の情愛が迸って来るのが判る。互いの立場を慮る真情は、いまにも通じる。「口にくわえて唐猫(からねこ)の、ねぐらを換ゆるごとくにて」という竹本の語りがあるように、「唐猫のくだり」という名場面だ。夫の面目を立て、父と義弟のために、喜んで命を捨てるという錦祥女。継母としては、義理の娘の命を犠牲にするわけにはいかない、一緒に死ぬという渚。家族の情愛、特に、母性愛の見せ場だ。

歌舞伎の「三婆」は、通説では、「盛綱陣屋」の「微妙」、「菅原伝授手習鑑」の「覚寿」、「廿四孝」の「越路」だが、「越路」の代わりに、「国性爺合戦」の「渚」を入れる説もある。それほど重要な役なのに、近松の原作には、母の名前が無かった。それで、歌舞伎では、「渚」という可憐な名前がついた。初役ながら、前回に続いて2回目の渚を秀太郎は熱演で応えてくれた。

「甘輝館」の御殿の壁は、緑地に金のアンモナイトの図柄。御殿から鑓水に架かる小さな橋で繋がる上手の化粧殿は、紫の帳(とばり)が、垂れ下がっている。いずれの緞帳も、蝦夷錦という。ここで、錦祥女は、左胸に抱えた瑠璃の紅鉢から、紅を流すのだが、実は、これは、紅では無く、自分の左胸(つまり、心臓)を刺した血であるが、赤布で表現される「紅流し」は、まだ、観客には、底を明かさない。だが、甘輝が、渚を和藤内の元へ送り返そうと言ったとき、錦祥女は、白糊(おしろい)流しと紅流しの合図があるから、それを見て和藤内が母を迎えに来ると答えるが、このときは、もう、錦祥女は、瀕死への坂を転がり始めている。紅布は、水布の上に載せられ、上手へと移動して行く。

場面展開となり、御殿の大道具のうち、化粧殿は、舞台上手に、御殿や石垣は、舞台下手に、それぞれ引き込まれる。引き道具の石橋が、奥から押し出されてきた後、さらに、舞台前方へと押し出されて来る(大道具の「押し出し」は、九代目團十郎以降の演出という)。

第二幕第二場「同 紅流しの場」。橋の上には、紫地木綿に白い碇綱が染め抜かれた衣装の和藤内がいる。右手に持った竹の小笠で顔を隠している。左手には、松明。背には、化粧簑を着けている。舞台のさらに奥は、川の上流の体。下手は、城壁の塀。城内は、たちまちにして、城外に早替り。

「赤白(しゃくびゃく)ふたつの川水に、心をつけて水の面」というのが竹本の文句。橋の下の水の流れを注視している。やがて、紅(赤い布)が、流れて来る。「南無三、紅が流るるワ」で、顔を見せると、和藤内の隈が、前半の場面の一本隈から筋隈(二本隈)に変わっている。怒りに燃えて、顔に浮き出る血管が、増えていることになる。人質の母を助けようと急ぐ和藤内。それを阻止しようとする下官たち。和藤内は、下官たちとの立ち回りの末に、黒衣が、黒幕で包んで持って来た下官の胴人形を下官たちの群れに投げ入れる。最後、愛之助は「両手」を拡げた、飛び六法で花道の引っ込みとなる(「楼門」では、通常、「片手」の、飛び六法で引っ込む)。

贅言;「飛び六法」は、歌舞伎では、「勧進帳」の弁慶の引っ込み、「車引」の梅王丸の引っ込み、そして、「国性爺合戦」の和藤内の引っ込みだけで、演じられる。

石橋などの大道具が、先ほどの手順の逆で、奥へ引き込まれ、上下手の道具が、再び、押し出されて、第二幕第三場「同 元の甘輝館」の場面へ。巧みな場面展開である。

甘輝館へ乗り込んだ和藤内は、母・渚を助け、縄を解く。甘輝と対決しようとする和藤内。ここが見せ場の一つ。和藤内の元禄見得対甘輝の関羽見得。ハイライトの場面。そこへ、上手の一間から錦祥女が出て来る。瀕死の錦祥女。命を掛けた妻の行動に和藤内への助力を約束する甘輝は、さらに、和藤内を上座に座らせ、和藤内に名前を「鄭成功」と改めるように勧める。甘輝・鄭成功の連繋に拠る韃靼征伐、明国の再興を目指すという旗揚げ。その一部始終を認めた渚は、義理の娘同様の志で自死する。韃靼王を渚と錦祥女の仇とするために。和藤内にとっての母と姉。甘輝にとっての妻と義母。ふたりの女性の命を犠牲にしての、男たちの大団円。女たちが、物語の主軸になると、和藤内は、仕どころが無くなる。和藤内の荒事芝居より、女形たちの情愛芝居の勝ち。

もともと「戦史」を下敷きにしている狂言だけに、ナショナリズム的な言辞が多い科白回しだが、男たちの勇壮な戦への誘いのなかで、女たちは、死という形で、家族の絆を深めて行く。和藤内=渚=錦祥女(=甘輝)。軸に位置するのは、渚である。「国性爺合戦」は、影の多い狂言で、表面的な言辞と深層的な味わいが、共存している。この狂言、別の光を当てれば、また、違って見えて来るはずだ。私は、戦の影を「荒事」演出に注目しながら、拝見した。荒事演出を除けば、物語は、立ち役より、女形の方が、おもしろい。

舞台下手寄りで、両腕をぶっちがえにして、じっとしている和藤内。関節が抜けるほど苦しいという。

「荒事の基本を学んだ」という愛之助初役の和藤内は、熱演だったけれど、女形たちの芝居が印象に残った。


圓朝の人情噺「芝浜革財布」


「芝浜革財布」は、落語家三遊亭圓朝の人情噺を歌舞伎化したもの。この芝居は、軸になる政五郎一家だけでなく、脇の役者衆が、江戸の庶民を、いかに、生き生きと演じるかに懸かっている。拝見するのは、今回で5回目。私が観た政五郎は、菊五郎(4)、そして今回は、初役の芝翫。政五郎女房のおたつは、松江時代を含む魁春(3)、時蔵、そして今回は、やはり初役の孝太郎。

「芝浜革財布」は、夜明け前の芝浜(芝金杉海岸)の暗い海辺から始まる。真っ暗な場内、暗闇のなかで、ぼうと赤い煙草の火がついたりするが、今回は、いきなり、くしゃみ。菊五郎の演出を引き継いだのだろう。菊五郎は、この辺りは、巧い。朝焼けの海で、財布を拾う政五郎(芝翫)。汚い財布に大金が入っていたので、慌てて、家に駆けて帰る。ドンチャン騒ぎ。酔っぱらって、喧嘩。宴会の場面が、江戸の庶民像をリアルに描いて行く。寝込んで、目覚めると、財布を拾ったところは、夢で、ドンチャン騒ぎで、仲間に奢ったのは、現実と女房のおたつ(孝太郎)に聞かされ、がっかりする政五郎。ぐうたらな生活を改め、真面目に働いて、3年後の大晦日。実は、あれは、現実で、拾得物をお上に届けていたが、物主不詳で、大金の所有権が、正式に政五郎になったという女房。偉い女房にぐうたら亭主も改心という物語。めでたしめでたし。

芝翫は、時代物の時の科白廻しと違って、自然な無理のない発声で聞きやすかった。初役の割には、きめ細かな演技を積み重ねていて、なかなか、よかった。

ほかの役者では、姪のお君を男寅が演じていたが、彼の女形も可愛らしい。政五郎の友人たちでは、大工の勘太郎(彌十郎)、左官の梅吉(松江)、錺屋金太(橋之助)、桶屋吉五郎(中村福之助)など。ほかに納豆売り(松之助)、金貸おかね(梅花)、大家長兵衛(橘三郎)、丁稚長吉(愛三朗、愛之助の部屋子から役者に。今回披露)。リアルの江戸の庶民像が、浮かび上がって来る。

今月の歌舞伎座は、初役に挑戦が多い。玉三郎も後継作りに熱心に取り組んでいるようだ。
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