物事は時期が来ると変化するものですが、案外変化した事に気づくのは後からだったりします。
決定的事態と言うのは即時認識されるのはそんなに多くはありません。
そんな中、1862年3月8日から9日にかけて、南北戦争中、ハンプトン・ローズ沖で
海上戦闘における決定的事態が発生します。
ハンプトン・ローズ海戦として知られる海戦は、その生起二日間に革命的な事が発生します。
一日目は南軍が装甲艦バージニアを登場させ、北軍の木造艦群に大損害を与えます。
二日目は北軍装甲艦モニターが到着、初の装甲艦の決闘とも言える戦闘が発生します。
双方明確な勝敗は付かないままに終わります。
この戦いは一日目はそれ以前の木造軍艦が鉄製の軍艦には敵わないことが決定的になった上、
操縦、動力機関がむき出しの帆船軍艦の終焉も示唆していました。
二日目は装甲艦は木造艦には決定的な優位に立てるものの、相手も同じ装甲艦ならば膠着する事になり、
今度は艦載砲の開発競争になっていく訳ですが、
南軍が廃船を利用して装甲艦を作った先見性、こう行った事態に、すばやく対処できた北軍。
この海戦には戦闘以外の部分でも大きな教訓となる訳です。
特に「モニター」は砲塔を備え全周に砲撃できるなど、現代軍艦の原型ともいえます。
しかし、特殊すぎる構造ゆえ1862年12月31日、
運送船での曳航中に高波におそわれノースカロライナ州ハッテラス岬沖で沈没してしまいます。
バージニアは南軍の敗北と共に爆破、自沈させられます。
歴史の証言者は共に不幸な結末を迎えますが、
軍事史のみならず、アメリカの民衆の心にに深く刻み込まれた事件だったようで、
人気の高い逸話です。
日本史で言えば長篠の合戦みたいなものでしょうか。
この戦いが特筆すべきなのは、二日目にモニターが間に合い、
技術のシーソーゲームがわずかな時間で演じられた事です。
それは、その後全世界に拡がり、国家間で演じられる事になります。
100人にも満たない乗員の船がもたらした事態としては、非常に大きなものにおもえます。
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