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2017年12月20日07:54

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12月国立劇場(小劇場)「ひらかな盛衰記」

17年12月国立劇場 (人形浄瑠璃・「ひらかな盛衰記」)


じっくり味わう「ひらかな盛衰記」


「ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)」は、源平合戦の木曽義仲討ち死に描いた時代物の人形浄瑠璃。「ひらかな」と書いて、「ひらがな」と読む。文耕堂ほかの合作。1739(元文4)年、人形浄瑠璃の大坂竹本座で初演。「ひらかな」とは、「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」を庶民が、「ひらかな」を読むように、分かりやすく作り替えたという意味が込められている。江戸庶民に馴染みのある通俗日本史解説という趣向だ。平家と木曽義仲残党、それに源氏の三つ巴の対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆櫓(さかろ)」で、良く上演される。今回は、「逆櫓の段」の前に、普段余り上演されない「大津宿屋の段」「笹引の段」が上演され、「三段目」全体が、丁寧に演じられる。さらに、加えて「初段」中(なか)の「義仲館の段」が珍しく上演され、義仲の御台所の山吹御前と一子駒若君の逃避行の発端が描かれる。

「ひらかな盛衰記」は、人形浄瑠璃では3回目。今回は、五段構成。このうち、「義仲館の段」は、私は初見。この段が上演されるのは、1988(昭和63)年以来、29年ぶり。「大津宿屋の段」、「笹引の段」を観るのは2回目。「松右衛門内の段」、「逆櫓の段」は、3回目。

「義仲館の段」。京にある木曽義仲の館。御所から戻ってきた義仲は、朝敵とみなされ、さらに頼朝に義仲追討の宣旨が下された、と自らの苦衷を妻の山吹御前らに伝える。義仲の愛妾・巴御前が鎧姿で馬に乗って駆けつける。宇治の戦いで、味方が敗れたという。義仲は山吹御前と駒若君を腰元のお筆に託し、巴御前とともに粟津の戦場へ向かう。(山吹御前と駒若君は、お筆の父親・鎌田隼人の元に匿われていたが、鎌倉方に気づかれ、皆で、逃避行に入る。)

義太夫は、義仲が始太夫、巴御前が、南都太夫、山吹御前が、希太夫、お筆が亘太夫。三味線方が、團吾。人形遣いは、お筆が、勘彌、山吹御前が、清五郎、駒若君が、勘介、義仲が、玉佳、巴御前が、一輔。

「三段目」全体は、旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちまつ)と義仲の一子・駒若君を取り違えて連れてきてしまった松右衛門、実は、樋口次郎と義父・権四郎に加えて、槌松として育てられている駒若君のことを聞き付け、駒若君を引き取りに来た腰元・お筆の3人が、キーパーソン。

「三段目」のうち、「大津宿屋の段」では、舞台は、左右対称。真ん中に暖簾を下げた宿屋「清水屋」の出入口。出入口の廊下の左右に部屋がある。上手の部屋は、下手の部屋より、やや広い。この部屋に泊まるのは、山吹御前・若君の駒若君に同行したお筆、お筆の父親・鎌田隼人ら義仲残党一行。下手の部屋に入るのは、三井寺参詣の旅の帰途に大津の宿で初めて同宿した摂津国福島(大坂)の船頭・権四郎一行(権四郎、娘のおよし、孫の槌松)。たまたま同宿したことで、権四郎一行が、悲劇に巻き込まれる。

義仲残党一行が、梶原の家臣・番場忠太らに取り囲まれた夜中の残党狩りの混乱のなか、権四郎一行のうち、年齢3歳(「乳飲子」という言葉も出てくる。数え年の2歳。実年齢は1歳とちょっとくらいか)で同じ年という、孫の槌松が、駒若君と間違えられて義仲残党一行に紛れて連れ去られてしまう。

この場面のおもしろさは、昔の宿屋の情景が生き生きと描かれること。隣室でむずかる駒若君の声(「何の頑是も泣き出だす駒若君のやんちや声」)を「襖一重」に聞きつけて、同じような年齢の孫のいる権四郎が、大津でお土産に買った大津絵を一枚「童(わらべ)すかし」(幼子の機嫌取り)に、とプレゼントする場面などは、「大津宿屋」の場面を省略し、「逆櫓」で、過去の出来事だけをお筆に物語らせる演出では、楽しめない。安宿で、費用がかかる行灯の油代を倹約するため、「両方兼ねたこの行灯」(左右の部屋で油代割り勘)が、その後の展開の伏線。

夜中の残党狩りの詮議で混乱が起きる。大人たちが寝込んだ後、目が覚めてしまい、それぞれの部屋を出て廊下で一緒に遊んでいた駒若君と槌松。二人は、件の行灯を引っ張り合って、「こなたが引けばあなたも引き突き戻せば押し返し」で、遊んでいたのだが、「土器(かわらけ)揺り込み、行灯ばつたり真つ暗闇」。灯りが消えた、暗闇の中で、それぞれの一行は、「危ふさ怖さも暗紛れ」となり、子どもを取り違えて、連れて行ってしまう。

義太夫は、靖太夫、三味線方は、錦糸。ツレは、清允。

「笹引の段」は、宿屋の大道具が上がって場面展開となると、そこは宿屋の裏手。田畑を隔ての大藪。「風も烈しき夜半の空、星さへ雲に覆はれて、道もあやなく物凄き」。暗闇の中、上手奥から若君(実は、槌松)を抱いたお筆は、山吹御前の手を引き連れて、薮まで逃げて来る。そこへ追っ手が現れ、お筆と立ち回りになる。逃げる追っ手を舞台下手へ追いかけるお筆。山吹御前と若君が舞台に残される。上手から、お筆の父親・隼人と番場忠太が斬り結びながら現れる。隼人は、忠太に討たれてしまう。忠太は、さらに山吹御前と若君にも襲いかかる。若君は、忠太によって、なんと、首を刎ねられてしまう。お筆が戻って来るが、父親の隼人と若君の死を知り、愕然とする。

しかし、暗闇の中、若君の遺体に触れると「笈摺(おいずる)=巡拝の際に着る袖のない法被」の手触り。これは、若君の遺体ではない、とお筆は気がつく(夢中で、抱いて逃げて来たので、それまでは気がつかなかったのか?)。宿で隣り合った一行の孫と取り違えていたことを初めて知る。お筆が、殺されたのは若君ではない、と山吹御前に伝えるが、安堵して緊張感が緩んだのか、山吹御前は、息絶えてしまう。

お筆は、父親の敵を討つとともに若君探索を決意しながら、薮にある笹竹を切り取り、竹を橇(あるいは、御所車の見立てか)のようにして、山吹御前の遺体を笹竹に載せて、曳いて行く。この場面は、歌舞伎では上演されない。人形浄瑠璃独特の演出だ。静謐な場面で、ここは、ひとりで取り残されたお筆の悲哀が静かに豊かに描かれる。

義太夫は、咲甫太夫。三味線方は、清友。人形遣いは、山吹御前一行では、お筆の勘彌ほか。権四郎一行では、権四郎の玉也、およしの文昇ほか。権四郎は、「六十路に色黒き達者作りの老人」で、還暦過ぎのお年寄り。宿屋亭主が、亀次。鎌田隼人が、文司。番場忠太が、玉勢。

ここで、一旦、幕。幕間は、25分。

「松右衛門内より逆櫓の段」では、いつもの展開。まずは、「松右衛門内の段」。屋敷の下手に松の枝が見える。後の伏線。「松右衛門内の段」の「中」の義太夫は、芳穂太夫、三味線方は、野澤喜一朗。人形遣いは、新たに登場した松右衛門、実は、樋口次郎が、幸助。畠山重忠が、玉輝。

通称「茶呑話」の場面では、田舎の船頭宅で、近所の人たちが「お茶参れ」で招かれて、槌松の父親の三回忌(没後2年)。槌松が、巡礼に行く前は、「色黒に肥え太りて、年より背も大柄」だったのに、戻って来たら、「顔もすまひも変わつて、背も低う弱弱と」なり、「面妖な事」と噂すれば、権四郎は、「ありや前の槌松ぢやござらぬ」と、呑気に「悲劇の真相」が語られる。「奥」は、盆回しで呂太夫と清介。呂太夫に大向こうから、声がかかる。

騒ぎから逃れて生きのびた権四郎、およし、それに「取り違え子」の駒若君。自宅に戻った権四郎は、駒若君を孫の代わりに育て、娘およしを再婚させる。婿入りし、松右衛門の名前を引き継いだ二代目の夫は、樋口次郎兼光(木曽義仲残党。四天王のひとり。巴御前の兄)であるが、正体を明かさないまま駒若君を陰ながら守る。そのために、入り婿になった。松右衛門、実は、樋口次郎兼光は、権四郎に家伝の船の操縦法である「逆櫓」の術を取得する。お筆が、槌松の笈摺に書かれていた所書きを頼りに訪ねてくる。

「光を添へぬらん 妻恋ふ鹿の果てならで」。お筆は、槌松の死を伝えるとともに、駒若君を取り戻そうという魂胆だ。経緯を語るお筆は、大津の宿の出来事を明かす。槌松の死、駒若君の生が対比される。お筆はやましさを隠しきれない。

お筆が現れると、樋口次郎は、身元を顕し、源氏への復讐の真意を明かす。駒若君を小脇に抱き上げ、「権四郎、頭が高い」と宣言する。しかし、計画の裏をかかれ、樋口次郎は、源氏方の畠山重忠に取り囲まれてしまう。樋口を訴人したのは実は、権四郎の機転で、駒若君は、孫の槌松として、源氏の手から逃れることができるという展開。

舞台は、松右衛門を軸に展開するが、実は、歌舞伎であれ、人形浄瑠璃であれ、キーパーソンは、権四郎である。権四郎の駒若君に対する愛憎は、複雑なものがある。駒若君のために、実の孫の槌松は殺されている。一度は、駒若君を返せと言って来たお筆の態度に対して、怒りを覚え、駒若君を殺そうとさえ思った。若君が、「朝日将軍義仲公のお公達駒若君」と告げられると、樋口の意向に従う気になる。にもかかわらず、子供の命というものを大切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君を自分の孫だと主張して助けようとする。愛憎を超えて、幼い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の追尾から駒若君を助けるために、畠山重忠に訴え出て、自ら、再び駒若君を槌松と思い込むことで、将来のある駒若君の命を守ろうという作戦だ。

そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若君といえど、「子供」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思う。

義太夫が呂太夫から睦太夫へ、三味線方が鶴澤燕三へ、と盆回しで、替わると、「逆櫓の段」。睦太夫は、大きくゆったりと語り出す。

松右衛門宅の裏は、海。船中の場面への展開は、海原の道具幕が、振り被せとなる。下手から舟に乗った松右衛門ら4人登場。松右衛門のほか、船頭らが「逆櫓」の稽古をしている。松右衛門が、船頭らに教えている。今回は、船中の立ち回り(教えを請う筈の船頭らは、隙を見て、松右衛門に襲いかかる)の場面はなく、再び、下手に戻る。道具幕振り落しで浜辺(松右衛門宅の裏)の場面に戻る。海原の背景。松も、中央に移動して来る。上手に松右衛門宅の裏が見える。浜辺に戻って両者の争いとなる。

人形浄瑠璃では、余り見せない場面で、今回は上演する見せ場は、樋口の「物見」。遠寄せの陣太鼓を受けて、樋口次郎は、舞台中央の大きな松に登り、大枝を乗り越え、その上にある別の大枝を持ち上げての物見をする。遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍勢の攻めよる合図だった。

権四郎が若君を連れていながら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門の正体を樋口次郎だとばらすことで、畠山重忠に訴人する効果を上げる。

捨て身で、駒若君を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口次郎危うし、被害を最小限度にとどめて、と思っての権四郎の機転が、槌松・駒若君の、いわば二重性を利用して、「娘と前夫の間にできた子・槌松」を孫だと強調して、駒若君を救うことになる。子供の取り違えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を救うという作戦である。樋口も、権四郎の真意を知り、かえって、義父への感謝の念を強くして、己の死を了解するという場面だ。「父と言わずに暇乞ひ」と樋口。駒若君は、「『樋口樋口、樋口さらば』と幼子の誰れ教へねど呼子鳥」。

武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、さらに、その恨みを消しながら、一庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、納得して、おとなしく縄に付く樋口次郎。事情を知っていながら、権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。

そういう封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸の庶民の、大向こう受けするような芝居が、この「逆櫓」の場面なのだ。人形浄瑠璃や歌舞伎に多い「子殺し」という舞台が連綿と続く歌舞伎・人形浄瑠璃の世界の中で、権四郎のような人物に出会うと、私はほっとする。きっと、江戸の庶民たちも、こういう武家社会の道徳律には、従いながらも、反発していたのだろう。この芝居は、じっくり味わいたい、といつも思う。

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